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私の映画観が変わるきっかけは「Vフォー・ヴェンデッタ」だったという思い出話

ふと見かけた、WOWOWさんの企画。
映画にまつわる思い出、といわれてまっさきに思い浮かんだのが、わたしにとって映画が「見るもの」から「考えるもの」に変わったときのことだった。

一応、わたしは映画好きを自称している。
よく見るジャンルはサスペンスやミステリー、SF。
とはいえ、いまだに見ていない作品は数知れず…。スターウォーズにバックトゥザフューチャー、マトリックスなどの大作を見ていないくせにSF好きを名乗るのもおこがましいと我ながら思わずにはいられない。
また、足繫く映画館やビデオショップに通った経験もなければ、配信サイトで映画にどっぷり浸る習慣もない。
あまりにライトな”映画好き”だ。

けれど、わたしにとって映画は、切っても切れない存在である。

とりわけ映画館で見たいと直感した作品は、できるだけ見に行くようにしている。
画面の迫力、音響、雰囲気。
個人的に映画料金の値上がりは財布にとって辛いところだが、映画館でしか味わえない感覚には代えがたいのだ。

かつてわたしが中学生だったころ、「学生3人で料金1000円」というありがたすぎるキャンペーンが開催されていた。
その恩恵に預かって、よく友人たちと邦画を見に行っていたことも、映画にまつわる思い出のひとつ。
ただ、とにかく興味の赴くままにあれこれ見漁っているばかりで、あくまでも映画は友達と遊ぶツールに過ぎなかった。

そんななか、父に頼んで一緒に見に行ってもらった作品がある。
「Vフォー・ヴェンデッタ」

作品の詳細や感想については割愛するが、公開当時のわたしは、この作品をどうしても観てみたかった。

しかし、原作のアメコミを読んだことはなかったし、洋画にはほとんど縁がない状態。
なんならダークな世界観で、とてもじゃないが友人たちの趣味にあいそうもない。
今のわたしであればひとりで見に行くところだが、まだまだそんな行動力のない年頃だった。

翻って、わたしの父は映画、特に洋画が好きなタイプ。
子供向けの映画作品には興味がなかったせいだろう、小さい頃に映画館で一緒に見た作品といえば「ファインディング・ニモ」くらいだ。

だから、「Vフォー・ヴェンデッタ」は父に同行してもらえる作品だと私は踏んだ。
その読み通り、無事に映画館に連れていってもらったわけだが(ついでに料金も父持ち)

映画を見て「なんのこっちゃ」と混乱したのは、覚えている限り、この作品が初めてだ。

主人公のVは、終始仮面をかぶっている。そのため、表情は一切見えない。
彼の感情は仕草や台詞から推し量るしかなく、それが「正解かどうか」も定かではない。

また、当たり前といえばそうなのだが、登場人物の行動や台詞のひとつひとつに意味があって、見たままに捉えるだけでは理解が追い付かない。

とにかく、物語を追いかけるのに必死で、エンドロールを呆然として迎えることとなった。なんなら映画館を出てからしばらくしても感想がまとまらず、脳みそがしっちゃかめっちゃかになっている感覚も抜けなかった。

「映画って、こんなにもいろいろな見方ができるんや」
「台詞のいっこいっこに意味があるんや」
「私はこう思ったけど、お父さんはどう思ったんやろ」

次々と湧いて出てくる疑問。
「映画は見るだけじゃない、感じて考えるもの」
そう思い知った日の衝撃を、わたしはきっとずっと忘れない。

映画の監督が考えるストーリー。役者が表現したいイメージ。
そして観客が抱く感想。
すべてがあわさって、映画になっていく。
答えがひとつじゃないから、映画は面白いのだ。

わたしに映画の面白さを教えてくれた「Vフォー・ヴェンデッタ」。
この作品を、ほかでもない父と映画館で見れてよかったと思う。
映画館が好きで、父と洋画の話をする今のわたしのルーツは、この思い出にこそあるのだから。

#映画にまつわる思い出


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