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少数派の窮屈

前回の記事を書いててふと思いました。

インクルーシブで、みんなが認め合って一緒に暮らすことが言われるけど、拒否する権利だってあるのでは?と。
特に少数派の方にとって、別にみんなと一緒に暮らさなくてもいいよという場合もあって然るべきではないかなと。


例えば、発達ゆっくりさんで、少しでもみんなと一緒に過ごせるように、みんなに知ってほしいから、受け入れてほしいから、と通常学級で学校生活を送ることを望むことは多いと思います。

親御さんがそう望むのは当然のことです。
みんなと一緒に過ごすことで伸びる力もあります。
本人も親御さんも知ってもらえること、サポートを受けられることは助かるでしょう。
周りのみんなにとっては、ゆっくりさんのことを知ることもできるし、自然とサポートをすることができ、優しい心を育てることになるでしょう。

だけど、本人は本当はどうなのでしょうか?

環境面で配慮がされているのかは考えないといけません。
その環境は元々多数派の子たちに合わせられたものです。
その中で無理はしていないのか。
比べたり比べられたりしないのか。
合わせないといけないのは少数派ではないのか。
多数派の環境に合わせてまで一緒に過ごさないといけないのか?

周りに人がいるのは嫌かもしれない。
もっとのびのびさせてほしいかもしれない。
自分だけできないことを感じさせられて苦しいかもしれない。
似たような特性を持つ友達がたくさんいる方が安心できるかもしれない。

みんなで一緒に、というと、少数派の人が窮屈な思いをすることになる可能性もあります。

みんなで一緒に、は、多数派の中でも少数派の人のことが知られていて必要な配慮がされてのびのび過ごせる状況で、です。
決して、ただ一緒に暮らしているから共生ではないのです。

それを少数派の人が選べるようにしないといけないと思います。

確かに、私だって、いきなり外国で、日本人受け入れ大歓迎だから外国人だけのアパートに住みなよって言われても困ると思います。

日本語はわかるの?
日本の文化は出していいの?
納豆は食べていいの?
もう少し日本人の多い所が安心できるよ…


少数派の人たちを集めることを反対する意見もあります。

だけどそれは、隔離することや強制的に入れられることが問題なのであって、選択肢としてあってもいいと思っています。


多数派がウェルカムでも、少数派の人からの拒否だってありえます。
多数派の人と一緒にいたくない。

発達凸凹の子が数人しかいない地域の学校に通っていた子が放課後デイに来て、自分だけじゃなかったと安心したという話はよくあります。


一緒に暮らすのが嫌、距離を取りたい、はお互いにあってもいいと思います。
それで不必要な意地悪や差別はしたらだめですが、関わらないのも選択です。

なんでも画一的に考えるのではなく、この人はどうなのか、この環境ならどうなのか、と一人一人それぞれについて考えていかないといけないと思います。

いろいろな選択肢があって、それぞれの人が合う環境を選べるといいです。

そして、みんな一緒に暮らすためには、ただ一緒にいればいいのではなく、それぞれの人が受け入れられて必要な配慮を受けられる環境が必要です。
私は凸凹さんに関して、周りの人に凸凹さんのことが知られていて、受け入れられていて、必要な配慮やサポートが受けられて、笑顔で暮らせる、そんな世界になればいいなと思います。



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