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視覚支援の誤解

視覚支援とは、目で見えないことや残りにくいものを目で見えるようにして、物事を理解しやすくしたり、苦手なものを上手くできるようにしたりすることです。

スケジュールを活用する。
絵カードでコミュニケーションをする。
筆談もそうです。TO DOリストを使うのもそうです。

そんな視覚支援について、
視覚支援は支援者の思い通りに動かそうとしている
将来どこでもしてもらえるとは限らないから
という意見があります。
私は、それは、視覚支援の目的が間違っていると思っています。

視覚支援をあまり好まない人は、ASDさんを周りに合わせるためのツールだと思っているように感じます。
思い通りに動かそうと視覚支援を使っている場合です。

本来の視覚支援は、ASDさんの物事の捉え方をわかりやすくしたものです。
ASDさんにはASDさん独自の物事の見方、捉え方があります。
それは、今の多勢の社会とは異なるもので、ASDさんからすると多勢の社会は混沌としています。
それをASDさんにわかりやすく整理したものが視覚支援です。
決してASDさんを社会に沿って動かすためのものではなく、ASDさん自身が社会を理解しやすくするためのものです。
視覚支援はわかりやすく生活をすることができるガイドです。視覚障害の方の点字ブロックのようなものかもしれません。
それがないまま生活するのは、混沌とした世界で手探りで生活することです。言葉もルールもまったくわからない海外に行くようなものです。

もしかしたら、ASDさんにとって、視覚支援はなくてもいいのかもしれません。
自分の世界で生きていけばいいのです。
だけど、視覚支援をするのは、私たちの社会で生活をするためです。
視覚支援やASDさんに対しての配慮がない状況で、私たちはASDさんに私たちの社会に合わせて生活することを求めてはいけません。
私たちの社会で一緒に暮らそうとするならば、こちらから、ガイドブックやルールブックを提示するべきだと思います。
視覚支援で示されることで、凸凹さんたちが安心して生活をすることができます。

また、将来視覚支援をしてもらえないかもしれないから、という理由で視覚支援をしない場合もあるようです。
誰かがしてくれるしてくれないではなく、する必要があります。
それが、その人にとって、世界を理解して、世界とつながって安心できる方法なら、それは必要な方法です。楽になって何が悪いのでしょう。
視力が低い人に、将来メガネがないかもしれないから、ぼんやりしたまま生活する練習をしようと言うようなものです。


言葉での表現が少ない方ならば、絵カードや筆談などは大切なコミュニケーションツールになります。また、言葉は目に見えないので、通り抜けてしまってコミュニケーションに困るならば、筆談など目に見える形でのやりとりが必要です。
見通しが立たなくて不安が強いならば、スケジュールを使います。
ルールなど目に見えにくいものを理解すること、覚えることが苦手ならば、目に見える形で伝えてもらいます。

視覚支援はそんなに難しいことではありません。
私たちが日常でやっていることの延長です。スケジュールを使う人もいたり、メモを書く人もいます。

一人でできるようになる人には、方法を伝えてできるようにしていくといいです。
カードを用意したり、誰かが書いたりしてサポートが必要な人もいます。
コントロールではなく、安心して生活することができるようにするお手伝いです。



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