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【詩を食べる】此處で人間は大きくなるのだ(山村暮鳥)/豊作を祈るシードケーキ

ここは、詩情(ポエジオ)を味わう架空の食堂「ポエジオ食堂」―詩のソムリエによる、詩を味わうレシピエッセイです。春は種まきの季節。土を耕す豊かさを雄大にうたった詩と、その詩をイメージした素朴なケーキを味わってください。

種ということ、実りということ


ウクライナの国旗は、まぶしいような青と黄色だと、多くの人が知ることになった。
青は空を、黄色は小麦を表すという。「豊穣」という幸せをかたどった美しい国旗。

ところで、世界最古の詩といわれるメソポタミアの「ギルガメシュ叙事詩」(紀元前2000年ごろ)を読んでいて、こんな記述にであった。英雄ギルガメシュが大洪水にあうシーンである。

家を打ちこわし、船をつくれ
持物をあきらめ、おまえの命を求めよ
品物のことを忘れ、おまえの命を救え
すべての生きものの種子を船へ運びこめ

『ギルガメシュ叙事詩』(矢島文夫訳 ちくま学芸文庫)

旧約聖書の「ノアの方舟」を思い浮かべた人も多いだろう。同根の物語であるが、ノアの方舟に乗るのは動物たちであり、もっと古い物語は「種子」というのが興味深い。

ちなみに、インドの「マハーバーラタ」(紀元前5-4世紀ごろ)にも人類の祖であるマヌが、大洪水を前に「あらゆる種類の種子」を集めるという記述がある(『マハーバーラタ』山際素男訳・三一書房)。

種子を植え、そこから実りが広がっていくー。「人類」という規模で見たとき、もっとも根源にあるのは、そんな風景なのかもしれない。

人類の「大きな幸福」

耕作という営み。そこから、豊作の祈りが生まれ、農業のため天文学が生まれ、社会という枠組みができ…と考えると、ちいさな種子は、とても壮大な「はじまり」だ。

日本で「種」について詩を多く残した人がいる。キリスト教の伝道師でもあった明治の詩人・山村暮鳥だ。

此處ここで人間は大きくなるのだ」

とつとつと脈うつ大地
その上で農夫はなにかかんがへる
脈搏みゃくはくをその鍬尖しゅうせんに感じてゐるか
雨あがり
しつとりとしめつた大地の感觸かんしょく
あまりに大きな此の幸福
どつしりとからだも太れ
見ろ
なんといふ豐富さだ
此の青青とした穀物畑
このふつくりとした畝畝うねうね
このひろびろとしたところで人間は大きくなるのだ
おお脈うち脈うつ大地の健康
大槌おおつちで打つやうな美である

山村暮鳥『風は草木にささやいた』

なんとも、のびのびと豊かな、土の香りがする詩。「種子」はキリスト教において、キリストの教えや希望のたとえに使われる。が、この詩はそういう宗教的イメージ抜きに、率直にほれぼれと美しいと思う。

ひろびろとした健康な大地の、ふっくりとした畝。青々とそよぐ麦の穂。これを「大きな幸福」でなくてなんといえばよいのだろう。(ウクライナの情勢を見るに、よけいにそう思わずにいられない)

収穫を祝いあう、種(シード)のケーキ

山村暮鳥の詩をイメージして作るのは、イギリスで小麦の種まきのあとにみんなで食べる「シード・ケーキ」。
卵・砂糖・小麦粉・バターを同量(1パウンドずつ)いれる伝統的で素朴なつくりのパウンドケーキに、ほろ苦く甘い香りのキャラウェイシードが入る。豊かで、ふっくりとおいしいケーキ。

キャラウェイシード


独特な香りの種がアクセントとなるこのケーキは、たっぷりのミルクティーといただくのがおすすめ。

しっかり焼くのがおいしい

わたしのレシピにはオレンジキュラソーが入る。入れなくてもいいけれど、いれると日にちが経ってもしっとりと上質な香りが残り、とてもおいしい。

【材料】パウンドケーキ型(6.5×17.5×4.5)1つ分
卵2個
ベーキングパウダー 大さじ1
薄力粉 115g ※卵と同量
バター 115g  ※卵と同量
砂糖 115g  ※卵と同量
オレンジキュラソー 大さじ2
キャラウェイシード 〜5グラム(いれすぎ注意)

【作り方】
(準備)バターと卵を室温に戻しておく
・卵を2つ割り、重さを計る。その重さと同じ量の砂糖、小麦粉、バターを計る。
・小麦粉とベーキングパウダーはあわせてふるっておく。
・やわらかくなったバターに砂糖を3回ほどにわけていれながら、白っぽくふんわりするまでよくまぜる。
・粉類をいれ、すこしずつ卵を入れて混ぜる。キャラウェイシードとオレンジキュラソーをいれ、混ぜる。オーブンを180度に予熱開始。
・型に流し入れ、180度で40分ほど焼く。
(オーブンのクセによります。様子を見ながら、ケーキの側面にも焼き色がつき、真ん中を竹串で刺してもなにもついてこなくなるまでしっかり焼いてください)
・あら熱をとり、冷蔵庫でひやす。
(一日冷やして食べるのがおすすめ)


大きなお皿に盛って、春の花をまわりに飾れば、たのしい気持ちになってくる。種を蒔き、やがて実り、それで大きくなる…そんな原初的な幸せが、どうかどうか、脅かされないようにと祈りながらシード・ケーキをいただく。

後日談

実はこのケーキを作って食べた日の深夜、陣痛が来た(!)。朝の4時に病院に向かう前に、腹ごしらえに二切れほど食べて出産に臨んだ。あれからあっという間に3週間が過ぎ、息子は日に日に育っている。「シード・ケーキ」を食べた日に生まれるなんて、なんだか縁起のいい食べ物のようである。

詩人について

山村暮鳥(やまむら・ぼちょう)1884-1924

 群馬県高崎市(現在)生まれ。家庭に恵まれず陰鬱とした幼年期をすごし、10代前半で家を出て放浪、ものを盗むこともあったそう。17歳ごろには小学校の臨時雇として働きはじめ、キリスト教に出会い伝道師となる。その頃、詩を作りはじめる。「山村暮鳥」という名は「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味で詩人・人見東明よりもらった。
 激しさをともなうピュアな性格だったようで、毎日往復7里(約28キロ)かけて教会の夜学英語学校に通ったり、教会の長老と大喧嘩したりしながら、布教にも魂を燃やしていた。しかし、結核のため伝道師を休職せざるを得なくなり、1924年に40歳で病死。
 作風については、短い生涯のなかで大きく変化。前衛的で技巧に走った詩を書いていた暮鳥だが、晩年は素朴で枯淡な詩を書いた。最後の詩集では「詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない」(『雲』)と言っている。生き方がまっすぐな人―そんな感じがする詩人。



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