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赤ちゃんから遠く離れて

遅れてきたおめでとう

「大変遅くなりましたが、この度はお子さんのご誕生おめでとうございます。」

息子は産まれてすぐに手術を受けた。

このお祝いの言葉はNICU(新生児集中治療室)にある小さなミーティングルームで、今の病状やこれからの治療方針を一通り聞いて、各分野の小児専門医が去った後にその部屋の責任者でもある新生児科の先生が私たち夫婦に伝えてくれた言葉。

おめでたい時に相応しいはずの言葉を固い表情で言われたのは初めてだった。

そういえばこれまで誰かにおめでとうって言われたっけ?
帝王切開で生まれた時は意識が朦朧としていて麻酔科医の「お疲れ様でしたー。」という声しか覚えてない。

「出産おめでとう!」
それまで何度も友人や職場の同僚に向けて言っていた言葉だったのに、わたしには簡単に言って貰える言葉じゃなかったんだ。
世界からポイっと弾かれたような気がした。

この時息子が入院していたのは出産した自宅から10分の総合病院。
から離れて自宅から1時間半かかる専門病院。

県内随一のドクターと助産師さん、看護士さんがいる総合病院なら安心して出産できると思っていたのに。
「急で申し訳ありません。当院では対応できないため明日転院していただきます。」

聞いて真っ先に考えたのは色んな管に繋がれたこの子を私たちが車に乗せて?できる?
冷静になって考えたら抱っこすら満足にできない状況でやれるわけがない。
担当医が先に気が付いたようで
「小児用の救急車というものがあります。
私たちも同乗して向かいますので安心して下さい。」と説明してくれてようやく理解できた。

息子は新生児期に手術だけじゃなく救急車に乗って高速にも乗った。
後から車で追いついた私たちの方が、かなり動揺していたと思う。

そこから色々あって、ようやく冒頭の新生児科の先生から「おめでとうございます」を聞いたのだけど、その祝福は今にも消えそうな蝋燭のようで『健康に産めなかった自分が祝われていいのだろうか。』
当時はこんなことを考えていた。

私を救ってくれた看護士さんの言葉

意外にも早く小児病棟に移ることになったものの、まだ退院が決まったわけでもなかった。

小児病棟は産前から母親の付き添いがあることを知っていた。
狭いベッドの上に子どもと二人で過ごす。
病室にほとんど篭りきりになる。
母親の精神力が相当削られる過酷な修行、合宿…。
とにかく大変そうなイメージだった。
(実際このあと現在まで何度か付き添いを経験してるか、イメージ通りだった。)

『私もできるだけ一緒にいた方がいいんだろうな。』
『まだ産後1ヶ月も経ってない上に、この子の病気を全て受け入れられたわけじゃ無いのに。』
やっと息子を自由に抱っこできて側にいれるというのに心から喜ぶことができない。
ダメな母親だ。

この頃は子供のために頑張らないといけない。
大変な状態で産んでしまったから母親なら耐えなきゃいけない。


誰に言われたわけでもなくそう思い込んでいたことが更に自分を追い詰めていた。

暗い顔をした私を見かねて、担当看護士さんが「今はまだ赤ちゃんが親が居なくて寂しいと感じる年じゃないですから。お母さんは自分の体調優先にして来れるペースで来ていいですからね。」と言ってくれた。

『あ、それでいいんだ。』
すっと力が抜けて真っ新な気持ちで息子と向き合えた気がする。

繰り返しの日々が取り戻したもの


毎朝、大きなリュックに搾乳した母乳と保冷剤、お昼に食べるおにぎりを詰めて通勤する会社員や学生さんに混ざりながら電車とバスと徒歩で病院に行き息子に会いに行く。
面会中はやることがたくさんであっという間に時間は過ぎていった。

当時、帰りの電車の窓ガラスに映る自分を見て
「パリジュテーム」※というオムニバス映画の一つの作品を思い出していた。

早朝、パリ郊外に住む移民の女性がまだ小さな我が子を託児所に預けて電車とバスを乗り継ぎ16区にある職場に向かう。
彼女の仕事は高級住宅街のある家庭の赤ちゃんの世話をするベビーシッターだった。
(16区から遠く離れて)


ここはパリでも無ければ、自分の子の世話をしに行ってるから全然違うのだけど…

早朝の託児所で泣く我が子をあやしながら
後ろ髪を引かれる思いで足早に出勤している主人公の姿。

夕方、家に帰るために息子を病室のベッドに下ろして早歩きで駅に向かう自分の心情を重ねてしまい、今でも観るたびに込み上げるものがある。

それでも朝決まった時間に起きること。
病院までの長い坂道を歩くこと。
夜は夫とご飯を食べながら息子の様子を報告すること。
その時その全てが私自身を取り戻すために必要な時間だった。
一寸先は闇しかないと思っていたけれど、息子と一緒に暮らせる様になったらこんな事がしたいと考えられるようにもなった。

家族みんなそれぞれ場所で頑張っていたんだよ。と
息子がもう少し色んなことが分かる様になったら、この時の思い出も話してみたい。

全てのお母さんにおめでとう

私は息子を産んでから新生児医療を必要とする
お子さんが沢山いることを初めて知った。
NICUのベッドは常に満床で毎日のように赤ちゃんがやってくる。
ドラマの中の出来事だと思っていた世界はすぐ隣にあった。
誰もが元気な赤ちゃんを産み育てることを望んでいたはずなのに。
何か1つ違うだけで世界の色は一瞬で変わってしまう。

入院中は母乳を飲む時間、沐浴の時間、全て決まっているので、泣いていたら抱き上げて母乳をあげることもできず、おっぱいの代わりにおしゃぶりを咥えている息子を見て泣いてしまった時もある。

病院の窓から外を見れば、子どもは皆健康に生まれてくる事が当たり前に思われているようで、一体何をどうすれば良かったんだろう?と答えの出ない問いを何度も何度も考えていた。

「ご両親の遺伝的要因は関係ありません。」
「お母さんは悪く無いよ。」
と言われたこともある。

じゃあなぜ我が子は病気を持って生まれてきたの?
どうして他の子のように一緒にいられないの?


最近になってSNSで同じような境遇のお母さんたちと知り合い、出産当時の想いを語り合ったのだけど皆それぞれ孤独や不安と戦っていた。

その時に気がついたのは、あの時「おめでとうございます。」という先生の言葉が無かったら
もしかしたら私は一度も直接的に息子の誕生を祝われなかったのかもしれない。

小さな蝋燭の光でも親としての感情を取り戻すために必要な希望の言葉だったんだと今になって思う。
お医者さんってやっぱりすごいや。


今、生まれたばかりの我が子と離れ悲しみの渦中にいるお母さんが近くにいたら抱き寄せて「出産おめでとう。」と言いたい。

挙動不審な女に突然抱きつかれて迷惑かもしれないが、子どもの誕生を祝う当たり前のことを当たり前にしたいのだ。

我が子と離れているお母さんも
付き添いしているお母さんも
家族一緒にお家で暮らせるその日が
来るのを遠くから応援しています。





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