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やりたいことだけをやっていたら、それが仕事になっていた【3/5】 【ワーホリ、その後#003】

※本記事は全5回の第3回です。【→ 第1回第2回 はこちら】

■ おなかすいたからカレー食べたい、みたいなシンプルさで働く

ワーホリにいって、日本にいたときと、考え方が変わったと思うことはあるだろうか。例えばもとさんはオーストラリアで本当に楽しそうに働いているように感じたけれど、仕事や、働くということに対する考え方についてはどうだろう。

仕事観はガラッと変わった。日本にいたときの仕事ってなんというか、『そつなくこなす』とか、『無難に』とか、『辞めたら食べられない』、『世間体が』とか、なんかネガティブな域に入っちゃってたんだよね、自然と(笑)。日本にいたときは、失うものが多いと感じていたのかな。自分のプライドだとかさ。そういうのが、気になっちゃって」。

でも、オーストラリアへ行ったら、「だれもそんなの気にしてる人がいなかった」

「ボロボロの車に乗ってても、マッサージベッドを脇に抱えてジャージで大都会を歩いてても、じろじろ見る人なんかいないし。なんにも気にしなくなった」。

 ただただ、楽しかったからね!と、目を輝かせて語るその表情がいきいきとしすぎていて、疑いすら持てない。ひたすらに楽しすぎて、日本で感じていたネガティブな部分が「全部ふっとんだ」というのは、本当にそうなのだろう。

こういう話をすると、働いていると言っても期間が短くて“非日常”だから特別で楽しいんだろう、と思う人もいるだろう。確かに半年や1年ならば、そういう面もあるかもしれない。

でも、もとさんの場合は約4年間、シドニーで働く日々を続けていたことになる。それはきっと十分に、「日常」になっていたのではないだろうか。そしてそれでも、日本で感じていた「働く」とは違ったのだろうか。

「ずーっとずーっと、ずーっと違った。最後まで違ったね。シドニーにいる4年間、楽しいことだけをやってたからね。ストレスもなかったし。例えば、おなかすいてカレーが食べたい、みたいなシンプルさなんだよね。日本で過ごしていたときの休日に、朝起きたら『友達と遊びたい』とか思うのと同じ感覚で、仕事があったというか

朝起きて、「治療がしたい」から治療をして、夕方になったら「サッカーがしたい」からサッカーをする。

「それをやってきただけなんだよね。それが休日じゃなくて“日常”として4年間続いていた感じ」と、いとも簡単に相変わらず気負いなくいう。 「やりたいことだけやってきたから、何の不満もない」と話すもとさん。

「体は疲れても、心は疲れてないから幸せだったねぇ」と振り返る。なんて、なんて幸せそうに語るんだ。


■ 郷に入っても郷に従わないスタイル

↑ 帰国後に開業した麻布十番のクリニック。照明がやわらかで心地よい

ここで『ワーホリ、その後』のインタビュアーとして一番気になるのは、それが、日本に帰ってきてからも維持できているのか、というところである。

オーストラリアでの“日常”が人生の中では総じて“非日常”として片付けられるのか否かが、それによって決まるのかもしれない、と思うから。

そして、もとさんの答えは、“Yes”。維持できている、という。

ワーホリの1年間を「非日常」で終わらせるんじゃなく、その延長線上に今の日本の仕事や暮らしが組み立てられている。それって、とても魅力的だ。でも同時に、それって意識していないと、結構大変なことだということも知っている。もとさんはどうやってその“日常”を続けているのだろう。

「それはほんとに、オーストラリアの自分をそのまま持ってきて、『郷に入っては郷に従え』をしてないから、だと思う。自分に合わないと思えば、もうそこにいかない(笑)。 自分のスタイルを、変えない。変わらないけれど自分がちゃんと価値を提供できれば、まわりからやってきてくれるよね。自分から日本に合わせてくんじゃなくて、自分のスタイルに、まわりがやってきてくれる。そのスタイルができてるから」

そのスタイルが確立しているというのがすごい。でもそうだ、そうじゃないと、確かにわざわざ日本でやる意味もないのだろう。 ただ、それは、思った以上に難しい。

ワーホリ中ってすごくいろんな経験できて面白かったけれど、それは「1年か2年の非日常でした」と過去に押し込めてしまう人が多いと思うし、確かにしがらみの多い日本で生きるには、そのほうが一時的にはラクなのだ。自分にもそういう時期があったからわかる。

だからこそ、もとさんの身軽さというか、意志というか、変えないスタイルを、このしがらみの多い日本で貫けているのがとてもいいなと思う。そしてもちろんそれは単なる自己中ではなくて、しっかりと確立された業があってこそであることも、わかる。


■失敗は、したときに考えればいい

ところで、もとさんの場合はフィジー留学のときに初めてワーホリという手段を知ったわけだけれど、実際に行ってみて、当時、率直に受けた衝撃とかはあったんだろうか。

「やっぱり世界は広い、って思ったんだよね。こんな遠くはなれた土地でも、同じように朝起きて、生活してる世界がたくさんある。長い人生で、ほんと少しの期間くらい、ちょっと休憩して新しい世界を見てみるなんてのは全然たいしたことないよね。 

自分が80歳になったときに振り返ったら、1、2年なんてほんとたいしたことないと思ったから。だから今もし、日本でくすぶっているというか、現状に満足してないとか、何かちょっと変えたいとか、そういう気持ちが少しでもあるんだったら、ちょっと一歩踏み出してみたら?って思う」

失敗はしたときに考えればいい、というのがもとさん流。

「例えば『猿も木から落ちる』ってあるけど。もし怠けてて、木から落ちちゃったら問題だけどさ、新しい木の登り方を試してるときに落ちちゃったら、それは別にいいじゃない! 『あ、この登り方だめなんだな』ってわかるし。だからその後者であれば、どんどん、やってみろよ、って思う。人生の1、2年くらい、そこからじゃ見えない世界を見に行ってきたらって思うよね。それはすごく思う」

そう、本当にそう。この話については私もついつい語りたくなってしまうけれど、ここで書くと本当にエンドレスで続いてしまいそうなので、また別の機会にしよう。

ちなみに、もし海外へ行っていなかったら、今の自分はどうしていたと思う?

「そうだなぁ。大学卒業した1年目も、その10年後も、なんの考え方も変わってなかったんじゃないかな。仕事力はあがっていただろうけど、人間力はあがってなかっただろうな、と思う」。

裏返せば、ワーホリ生活を経て一番培ったと感じられるのが、一生ついてまわる“人間力”と呼べるものだということなのだろう。


■やりたいと思っていることを、追求し続ける

せっかくだから、インタビューらしく今後の展望も聞いてみちゃおう。

「テーマは『やりたいことをやる』かな。それが今は、人の体をトリートメントするっていうことだから。この、やりたいと思ってることを追求し続けるよね」

そして「やりたいこと」はこれからも、変化していくかもしれないし、それでいい。また「ピンときたら」それに取り組めばいいと、もとさんは言う。

「これからも、柔軟にやっていると思うんだよね。『一回これをやるって決めたんだからこれをやるんだ!』じゃなくて。今まで生きてきた中で、たまたま今、これが第1位にきているだけで、これから先にもっと、これを超えてくる何かがあるかもしれないから。そしたらまたそれをやっていると思うんだよね」

まさにその柔軟さを持てるかどうかが、人生を楽しめる人の共通点なのかもしれない。

やっぱりどこまでいっても、あくまで自然体でフラットなもとさん。だが話を聞いてみれば、実はものすごく熱い一面があったりもする。

傍から聞いていればだいぶ面白いストーリーを、どこか人ごとのように「運がよかったよね〜」と笑いながら話す、その表情はどこまでもすがすがしくて、ほがらかだ。


(2015年編 おわり)


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以上で、インタビュー2015年編は終わりです。

つづく第4回、第5回では、2018年の5月にスカイプで実施した追加インタビューの内容をお届けします。“―あれから、3年”。もとさんの「いま」に迫ります。どうぞお楽しみに。

第4回 <2018年追加インタビュー>
・ 事業を拡大、4本柱で展開中
・ 整体の知識を投入したサッカースクール、始動
・ 好きなことだけやって、生きてます
・ 技術を磨きつづけていれば、結果につながっていく
・ 奥さんの「どうにかなるよ」に励まされ
第5回 <2018年追加インタビュー>
・ 海外生活は、いまの幸せの起点
・ とりあえず一回、からっぽな自分になってみる
・ 今も常に、つぎは何をはっちゃけようか考えてる

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<途中から読み始めた方へ>

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