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『ワーホリ、その後』、はじめます

ずっと、形にしたいと思いながら“やるやる詐欺”になっていることがあった。

それがこれ。「ワーキングホリデーで海外生活を経験したひとが、『その後』、どんな人生をおくっているのか?」をインタビューし、記事として紹介してゆく、ということだ。

2015年の9月、まず3人の方にインタビューさせてもらったのだが、その後、もろもろの事情でお蔵入り……してしまっていたそれらのデータと、2018年のいま、時を超えて向き合っている。

そのあたりの葛藤については以前こちらのnoteに記した。

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■ なぜ、『その後』を聞くの?

さて、なぜわたしが『ワーホリ、その後』というテーマにそれほどこだわっているのか。ちょっと書いておきたい。

まずひとつは、わたし自身が、オーストラリアでのワーキングホリデーを終えて日本へ帰国したとき、ものすごいモヤモヤの渦に包まれたからである。

日本へ帰って、いざ転職活動に飛び込んでみると、経験として聞かれるのは海外へ飛ぶ前、日本国内での前職のことばかり。

自分のなかでは、海外生活を通して「主体的に行動する力」や「不測のトラブルに対して臨機応変に限られたリソースで問題解決をする力」「異なる国籍の人々とうまく暮らす力」などを身につけ、以前よりははるかにパワーアップしていたと体感していたのだが、ワーキングホリデー中のことについてはほんのわずか、現地で半年働いた会社の業務内容について申し訳程度に聞かれただけだった。

このときほど、「履歴書文化、ジャパン!」を痛感したことはない。面接をうけても、目の前にいる人間を見ているというより、紙のうえに書かれた情報だけでひとを判断しているようだった。

人としてひとまわりもふたまわりも成長したはずなのに、仕事に活かせる力もマインドも強化されているのに、ああこの紙っぺらの上では「なかったこと」になってしまう。衝撃だった。

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憤慨した当時、「ワーホリ その後」でネットを検索してみると。

画面に出てきたのは「ワーホリに行きたいけどその後のキャリアが不安」、「ワーホリは休暇と見なされその後の就職は難しい」などなど。

な、な、な、な、なんてネガティブなんだーーー!!

留学しましょう、ワーキングホリデーへ行きましょうと、呼び込むほうは華々しくキラキラとやっているのに、そして「ワーホリ中」のあれこれについても数多くのひとたちが経験談やブログを書いているというのに、「その後」についてはこんなにネガティブな情報しか出ていない。

ちょっと待ったぁ!と、思ったのだ(まだ血気盛んな20代だった笑)。

これじゃあ、たとえば30歳を目前にワーキングホリデーに興味をもったひとがいても「やっぱり今からなんて辞めといたほうがよさそう……」としか思えないじゃないか。

そんなの、もったいなさすぎる。というか、事実と相違がありすぎる。

まず、「遊び呆けて、日本人とつるんで終わる」というのが、日本における「ワーホリ」の一般的なイメージになっていることがもう、事実と違う。

「ワーホリは履歴書における職歴の空白」、「基本的には休暇とみなされるためうんぬんカンヌン」。……んあああ?!である。

そう言っているひとに聞きたい。あなたはいったい、今までの人生で何人のワーホリ経験者に会って話を聞いてきたのかと。実際、「遊び呆けて終わる」人も大勢いるだろうが(※本人が満足しているならそういうワーホリビザの使い方もあってよいと思っているので誤解なきよう)、そうじゃない人だってまた大勢、いるのだ。

自分のことばかりを言っているわけじゃない。

わたしの周りにいたワーホリ仲間は皆、とても魅力的だったのだ。

たとえば、

日本での大企業を辞めて、ワーホリで飛んだ外国の地で技術を身につけ、セラピストとして独立して生計を立てている男性。
ワーホリ中、日本食レストランで働きながらも転職機会をねらい続け、念願かなって現地企業に就職してビジネスビザを取得し、働き続けた女性。

はたまた、

現地の人と結婚して外国で生きることを選び、現地での暮らしや子育てを楽しんでいる女性。

ほんの一部を思い浮かべるだけでも、バラエティにとんでいる。

仕事でも、プライベートでも、ワーホリをきっかけに、人生を「自分が思う方向にぐっと近づけていった」、そんな友人たちをたくさん見てきた。みな、楽しそうなのだ。

そして私自身も、海外へ出る前はライターという職業ではなかったが、ワーホリ中に現地の編集部とのご縁があったおかげでライターとしての経験を積むことができ、その後の人生につながっている。

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「実際はこうなのに、全然知られていない。むしろ、事実と違うイメージがはびこっている」。

そんな状況は、いつもわたしの原動力になる。

だから実際に、そういった「ワーホリをきっかけに自分らしい人生を謳歌しているひと」に話を聞き、それをインタビュー記事として紹介していこう、と思ったのだ。

以前こちらの記事「大勢に爆発的に読まれなくてもいい、大切なのはネット上に『ある』ことだ。」と書いたけれど、まさにそう。

かつてのわたしのように、興味をもった人が検索をしたとき、たどりつけるページであってほしい。またはリアルの友人やそのまた友人にそういった情報が必要なとき、すぐにURLを送れる状態であってほしい。

ネットの片隅に置いておけば、必要なひとが必要なときに、その情報にたどりつくことのできる可能性がゼロではなくなる。そして、そこへたどりついた人の気持ちを、行動を、ほんのすこしでも後押しできたら、そんなに嬉しいことはない。

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欲をいえば、めぐりめぐっていつか、少しずつでも、日本における、”ワーホリ”のイメージが変わってゆけばいいなとも思う。

もちろん、“ワーホリ”にいけば必ず自分らしい人生が見つかります!なんてことを言うつもりはまったくない。むしろ行った先で何をするかは完全に自分次第なので、主体的に動けないとほんとうに何もしないまま帰ることになる。

ただ、多様性を知ってほしいのだ。

あなたがもし面接官になる機会があるのなら、”ワーホリ=休暇”でしょ、の単純公式にあてはめてその人物を見るんじゃなくて、「目の前のひとが実際に何をしてきたのか」を、見てほしい。

* * *

ちなみに念のため補足しておくと、ワーキングホリデーはあくまで選択肢のひとつ、だと思っている。ワーホリにかぎらず、いろいろなきっかけで自分らしく人生を楽しんでいらっしゃる方はたくさんいるからだ。

じゃあなぜわたしが『ワーホリ、その後』を書くのかといえば、それは自分が経験してきた、自分に縁のあるフィールドだから。それだけだ。

なので全員に全員、ワーホリへ行け!なんて強制する気持ちは微塵もない。

わたしにできることは、ただこういう生き方もあるよ、ということをそのまま伝えてゆくことだけだ。

たとえば、日本でなんだか窮屈な思いを抱えている。朝起きて会社に行くのがどうにも苦しい。何か変えたい、と思っているのだがどうしたらいいのかわからない。

ひょっとしたらそんなだれかが、「ああ、こういう生き方もありなのかも」と感じて、選択肢のひとつとして参考になれば、嬉しい。

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さぁさぁ、長くなってしまった。

思い入れが強すぎる文章は読みにくくなっていけないわ。

この試みがどんなふうに転がってゆくのか、まだわたしも全然わからないけれど。

まずは一歩進めてみることで、きっとまた、違う景色が見えてくるんじゃないかと思っている。

なにごとも、まずは一歩を踏み出すところから。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。