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看護師の在り方~トラベルナースをみて~

今期も医療ドラマが始まった。
テレビ朝日系列 木曜夜9時から放送の
『ザ・トラベルナース』だ。

トラベルナースとは、
 スーツケースひとつを手に街を渡り歩き看護に従事する、優れた資格を持ったフリーランス看護師のことを指す。
日本ではまだあまり知られていないが、
アメリカでは全看護師の1割を占め、
コロナ禍のNYでも活躍した。

特殊な看護師を描く今作。
みなさん、ご覧になっていますか?

私が注目したのは、冒頭。
元々同僚だった 患者(であり看護師)の男性と、
トラベルナースの男性が、
激しい口論を交わすシーンだ。

患者の言葉だけを、一部抜粋する。

「この3ヶ月、私がどれだけひどい看護に黙って耐えてきたのか、これっぽっちもわかっていないようですね。
ものの言い方は上から目線。
術後の痛み止めの量も不適切。
おまけにリハビリは雑で乱暴。
そのくせ、自分で自分に酔いしれるかのような笑顔で”大丈夫 大丈夫”を連呼。
頭がどうにかなりそうでした。
あなたがいつ気が付くのか、
あなたの看護を最後まで見届けてから申し上げようと思っていました。
これは文句ではなく、患者目線の感想です。
あなたはやっぱりプライドだけが無駄に高く、
患者に寄り添えない不適切で無能なナース。
”俺が俺が俺が…”
その恩着せがましさが、患者にとっては最大のストレスなんです。」

他にも、口論の中で、
●患者の言葉には耳を傾けず、ただ”大丈夫”という言葉を押し付け続ける
●患者のアレルギーを把握していない
●実際に体験せず、人から見聞きした情報だけで判断する

これらの情報が露見する。

「医者は、病気を見つけて病気を治し、
ナースは人を看て人を治す。
しかしあなたは残念ながら、
人をみて人を裏切る、馬鹿ナースです。」

そうして、口論は終わった。


たしかに、優秀な看護師として描かれている主人公。
同時に、人間として、看護師として大切な素質に欠けていることも描写されている。
キャラクターを理解するのに、
非常に十分な第1話だった。


最近私は、学生以来に、
『トラベルビー 人間対人間の看護』という文献を読んでいる。
この理論家の言葉は、私の看護観に深く根付いているのだ。

好きなものを2つ、紹介しよう。

人間を理解するためには、看護婦が、その人のくだす健康状態の評価をその人から確かめる、ということが非常に重要なのである。

看護師は、主観的および客観的に患者を評価する。
「痛い」「苦しい」などといった主観的表現は、
評価するのが難しい。
しかし、そのような主観的表現に目や耳を傾けることが、患者への寄り添いなのだ。


目的をもち、進歩した思慮ぶかい方法で、変化を確認し、かつ変化を生じさせうるのが、看護活動である。
看護婦は変化を起こす行為者である。


看護師は、常に自分をアップデートする必要がある。
知識や技術はもちろん、看護に対する自身の考え方もだ。
患者に起きている変化を正確に捉え、
その上で必要な変化をもたらすこと。
それが看護師としての正しい看護活動なのだ。

…と書いてしまうと、
ものすごい思想家のようだけれど(笑)
看護師ならだれでも、なにかしら信念をもっているはず。
良きも悪しきも。

あなたのまわりの看護師にも、
ぜひ聞いてみてください。

お読みいただき、ありがとうございました。
読了したら、トラベルビーについても もっと掘り下げて書いてみたいなと思います。

私の記事を気に入っていただけたら嬉しいです。頂戴したご支援は、読書など 今後の創作活動のために 大切に使わせていただきます。