カンニングには4種類ある (ニュースに連動した加筆・再掲エッセイ)

昨日(2022/1/27)の日本経済新聞朝刊に掲載された情報によれば、

共通テスト 撮影・送信か
今月15日午前の「地理歴史、公民」の試験時間中、ビデオ通話アプリ「スカイプ」で世界史Bの試験問題の画像が外部の大学生に届き、大学生が解答を返信していたことが判明した。

2022/1/27の日本経済新聞朝刊

うーむ、《世界史》でのカンニングか! 懐かしい!
これは《Pochipico式カンニング分類法》によれば、4分類のうち、
 《点カン》X《複数犯》
であーる。つまり《1番マズイ》カンニングが実行されたわけだ。
などと、昨年4月10日の投稿記事を思い出したので、前後に多少加筆した上で再掲させていただきます。

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空腹の万引きに逆転無罪=「食べなければ死ぬ」―伊最高裁
【ローマAFP=時事】イタリア最高裁(破棄院)は、少額の食料を万引きした疑いで逮捕されたホームレスのウクライナ人男性に逆転無罪判決を言い渡した。

この記事を見た時に、以前読んだ新聞のコラムを想い出した。
その要旨は:

──カンニングには2種類ある。《落第をしないためのカンニング》と、《点数を上げるためのカンニング》である。行為は同じでも、《本質》はまったく異なる。


私は前者(ラクカン》、と呼ぼう)に加担したことがある。
高校3年の最後の校内試験で、クラスメイトに頼まれて世界史の答案を交換した。
私大の入試が迫っていた彼は、その試験をまともに受ければかなりの確率で単位を落とし、留年することになる、と前日に頼んできた。
一方の私は、全科目中、世界史を最も得意としていた。

前後の座席に座っていた我々は、試験時間終了と同時に、回収のドタバタにまぎれてすり替えた、相手の答案に自分の名前を書いて提出した。
作戦は成功した、と言いたいところだが、教師が本当に気付かなかったのかどうかは謎のまま。いずれにしても、私も彼も、無事卒業した。

大学では、別の光景を見た。
定期試験で大きなサメ(優等生)の周りに席をとった数匹のコバンザメたちが、寛大なサメの答案を覗き見て、その栄養を吸い取ろうとする。前者は本当の鮫のように、コバンザメを振り払うでもなく、優雅に泳いでいた。
それはいいのだが(良くないか)、コバンザメたちの多くは、落第の瀬戸際にいるわけでもなく、単に楽して成績を上げようとしているのだった(こちらは、テンカン》、かな)。

《落カン》もあった。
「吹き溜まりナイン、旋風を起こす」に出てくる瀬戸際学生、《オジサン》を救うキャンペーンだ。

彼は、教養2年間を終えるのに、留年を2年、休学を4年、合わせて8年を費やしてようやく工学部の3年に進級したが、そこで引きこもりが再発し、3年でも留年がほぼ決まった頃に学部長杯野球大会があった。
《オジサン》はその後、野球仲間に助けられ、トータルで11年かかったものの、無事(?)、卒業した。ちょうど景気が回復したタイミングとも重なり、某企業に就職した。
助ける手段は、合法的なものばかりではなかったと記憶している。

カンニングばかりではない。

私が就職したころ、多くの企業には、まだ《タイムカード》なるものがあった。
出退社時にこのカードを打刻機に入れ、毎月人事が遅刻や欠勤などをカウントする。フレックスタイム制度など、まだない時代である。

規則上、必ず自分の手で打刻しなければならないが、稀に、他人に代行を頼む社員がいた。
寝坊して遅刻必至の同僚のカードを提示前に打刻して助けるのである。これは《落カン》の一種だろう。

これとは別に、友人に退社の打刻代行を頼み、残業手当を稼いでいた社員がいた、── らしい。こちらは、典型的な《点カン》と言える。


さて、2種類のカンニングが本質的に異なるのは、原因よりむしろ、まさに、その本質にある。

>《落カン》はきゅうした時のみ発生するが、《点カン》は常習化する。
これは、あらゆる不正行為に言えることだろう。

冒頭のニュースは、イタリアの裁判官が、
『生存のための万引きと、節約・蓄財のための万引きとは、本質が異なる
⇒『本件は、《落カン》であーる』
と判断したのだろう。


カンニングを例とした不正行為のタイプ分けとして、もうひとつ、重要な項目がある。
《単独犯》か、《複数犯》か、である。
つまり、カンニングには、2×2=4種類ある。

昔、カンニングを主題テーマとした小説を書いたことがある。
その中で、主人公は以下のような理念を持っている。

カンニングは孤独に行うべきものであり、グループで行うのは、責任の所在をあいまいにするだけでなく、他人の力量に自分の運命を託す、極めて危険な行為である。

しかし、この小説を原作としてつくられた映画では、カンニングはチームプレイとして行われた。その方がエンターテインメント映画として盛り上がるのは理解しつつも、上記の《カンニング理念》は結構気に入っていたので、少々悲しかった。

作家と物語の主人公は別人格だが、

>《ズル》に、他人を巻き込んではいけない。

というのは、私自身の信念に、かなり近い。
高校3年の世界史試験では巻き込まれたけれど。

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〈ここまで再掲〉

さて、今回のカンニングを分析すれば、

どうやら今回のプロジェクトを企画・実行したのは既に大学生らしいので、高校卒業など資格に関わる試験などではなく、少しでも共通一次試験の点数を上げてより偏差値の高い大学に行きたい、ということだろうから、《点カン》なのは間違いない。

また、家庭教師紹介サイトの登録者を《ズル》に巻き込んだもので、企画は《単独犯》かもしれないが、実行は《複数犯》状態になっている。
この場合、私の《カンニング理念》上では、
・責任の所在は明らか
かもしれないが、
・他人の力量(口を閉ざすことも含む)に自分の運命を託す
ということには代わりがない。

だから、バレちゃったんだよ! 
カンニングに他人を巻き込んじゃ、だめだってば!
── では、この場合、どうすれば良かったのか?

自分で過去問のデータベース(世界史の教科書1冊分でいいはず)を構築し、類似問題から解答を提案する、《世界史に特化した簡易AI》を自分で構築すればよかったのではないか?

でも、だったらもう、大学なんか行く必要ないかもね。

元記事は:

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