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絵本にあった《お話》とはいくらか異なるシュリーマンとトロイ(トロイア)の遺跡 マルマラ海沿い街道の旅★2019(15)
ドイツ生まれのハインリヒ・シュリーマンは、幼い頃にギリシア時代の叙事詩に書かれた《トロイ戦争》が実在すると信じ、こつことと資金を貯めました。そして、50歳近くなってから発掘を始め、ついに伝説都市の遺跡を発見し、トロイが実在することを証明しました。
以上は、私が子供の頃に《絵本》で読んだ話です。たぶん、《偉人伝シリーズ》的な絵本でしょう。
しかし、自分がこの地を訪れたのを契機に調べてみると、歴史ロマンの香りが漂い、遺跡発見場面などはドラマティックでもある《絵本》の話は、実際とはかなり異なっていたようです。
自身の著作では、幼少のころにホメーロスの『イーリアス』に感動したのがトロイア発掘を志したきっかけであるとしているが、これは功名心の高かった彼による後付けの創作である可能性が高い。発掘当時は「トロイア戦争はホメーロスの創作」と言われ、トロイアの実在も疑問視されていた、というのもシュリーマンの著作に見られる記述であるが、実際には当時もトロイアの遺跡発掘は行われていた。
彼は発掘調査費を自弁するために、貿易などの事業に奔走しつつ、『イーリアス』の研究と語学にいそしんだと、自身の著作に何度も書き、講演でもそれを繰り返した。実際には発掘調査に必要な費用が用意できたので事業をたたんだのではなく、事業をたたんでから遺跡発掘を思いついたのである。
まあしかし、経歴詐称のような《まるで嘘》ではなく、彼自身にも快く、そして読者や聴衆も求めている方に、(公的な事実ではなく)個人的な《動機》や《いきさつ》をねじ曲げたぐらい、許してやれよ、と私は思う。
こういう話は、人前で語っているうちに、より《ウケる》方向に、そしてそれらが《つじつまが合う》ように、次第に変形していくものです。
例えばノーベル賞受賞者の「子供時代のエピソード」にも、きっとこういう部分、あるんじゃないかな。
それはともかく、《トロイの遺跡》は、地図のように、チャナッカレの街から海峡沿いを南西に20 km強移動した、エーゲ海に面した農村地帯にあります。
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この場所には、Outdoor MuseumとIndoor Museumがあり、前者がいわゆる《遺跡》発掘現場、後者が主に《発掘品の展示館》となっています。
入場料42 TL払ってOutdoor Museumに入ると、さっそく巨大な《木馬》が歓迎してくれる。もちろん複製です。狭い階段を登ると、木馬の窓から辺りを眺めることもできます。
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チャナッカレの港にある木馬は映画「トロイ」で使ったものでカッコ良かったけど、遺跡にあるのは素朴な作りです。高さはどちらも10 mを少し超えたくらい。
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映画「トロイ」のセットで使われた後、寄付された。
この遺跡のすごいのは、紀元前30世紀から始まる最古の層から、紀元前400年ごろ(ローマ時代)に誰もトロイに住まなくなるまでの、9層にもわたっている点です。
トロイはもともと河口に作られた都市国家でしたが、長い年月の間に土砂が堆積し、今では海から2-3キロ離れています。
今でも発掘が続いている部分もあります。古い層から新しい層へと移ると、当然のことながら技術の進歩が明らかです。
発掘された石やレンガから再現された壁や井戸、石畳などが再現されている部分もあり、非常に興味深いのですが、とにかく日差しが強烈。
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シュリーマンが《発見》のいきさつを《盛って》いたのは、まあいいのだけれど、問題は、彼がターゲットと考えていた《トロイ戦争》時代の遺跡を、9層のうち、第2層だと思い込んでいたことでした。
第2層は、紀元前2600-2300年と、実際にはかなり古いもので、考古学知識のないシュリーマンは、その上にあったホントの《トロイ戦争》時代の第7層(紀元前1300-1200年ごろ)を破壊してしまい、その遺跡が史実通りのものなのかどうか、検証できなくなってしまったのです。
おまけに、シュリーマンは発掘された金の装飾品などを勝手に持ち出してドイツに送ってしまった、ということで、トルコでは評判が良くないようです。
なお、その《財宝》は、第2次大戦の末期にベルリンがソ連に占領された時に行方不明となり、なぜか今はモスクワとペテルスブルクの美術館にある、ということです。
以上は、さらに42 TL払って冷房の効いたIndoor Mueumに入ったら、説明パネルに書いてありました。
トルコ人の静かな《怒り》を感じましたね。
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