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(NZワーホリ)起死回生を遂げ、人生をかけたおいとまをいただいたおはなし。
昨日自己紹介がわりに投稿したこちらの記事で、私が現在もなお海外生活を続けることとなった数奇な人生の出発点について言及した。
書きながら自身の過去について内省することができたため、私にとっては有意義で実りのある作業ではあったが、同記事ではニュージーランドへの出発を決意するまでのエピソードに焦点を合わせた内容となっていたため、当記事では、決意後の私が、二の足を踏み続けた闘病生活から這い上がり、遅れを巻き返すかのように、持って生まれた強運を片手にニュージーランドでのたうち回った日々について触れていきたい。
なお、既にニュージーランドを去っているため、情報の鮮度は落ちており、これからニュージーランドのワーホリを検討されている方々にとって参考にならない可能性もあるのでご容赦ください。
帰国直後に泣きながら書いた当時の記事はこちら。
石橋は砕ききるまで叩くくらいがちょうどいい
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前回の記事において、私が如何に慎重に、且つ着実にワーホリ計画の実行にむけて前進していったか言及したが、このワーホリ計画はほぼ独断で進め、家族には既にエージェントに費用を振り込んだ直後に伝えた。
これは、家族は私の決意を絶対に反対しないという確固たる自信と信頼があったことが大きい。実際心配こそされたが概ね肯定的に捉えてくれた。
何より、いつまでも陰鬱とした状態でいるより、目的を見つけて早急に行動に移す私の方が家族としては絶対に嬉しいだろうと確信していたからだ。
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余談だがエージェントと計画を練った際、私は6月の出発を希望していると即答した。これは5月、7月の渡航はゴールデンウイークや夏休み等で飛行機代が高騰していそうだと予想していたためである。
かくして、新たな道を自力で手繰り寄せた病み上がりの私は、意気揚々と職場に退職願いを郵送し、メールで総務に「これ以上会社にご迷惑をおかけすることはできません」と別れを告げた。
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初めての海外長期滞在だったため、とにかく準備には渡英時とは比べ物にならないほど神経を使った。
ニュージーランドの入国審査は厳しいことに定評があったため、お気に入りのドクターマーチンのブーツは、リネットにクリーニング依頼をし、スニーカーはしっかり洗いスーツケースに入れ、そして当日はサンダルで空港に向かい、出発前にドクターマーチンに履き替えた。
そしてホストファミリーへのお土産も用意。
これは過去にドイツの短期ホームステイ経験で確信したことだが、食品サンプルやミニチュア食玩(ぷちサンプルシリーズと言うとピンとくるだろうか。私もこのシリーズは大好きです)はとにかく喜んでもらえるので、今回も食品サンプルを大量に持参した。
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私はいつも最高のタイミングで強運を発揮する分、些細なトラブルや不運にも見舞われるのだが、ニュージーランドへ出発時にもそれは発揮された。
なんと出発前にチェックインマシンが故障し、ギリギリまで手続きが出来ず、税関を抜けてから搭乗口まで全力疾走する羽目となった。
しかし私は「ここぞというときに私の悪運は力を発揮するんだから、こういうところでバランスを取らなきゃいけないよな…てことはもう向こうでは良い事しか起きないなこれ」と、持ち前の根拠のない自信と前向きさでやり過ごした。
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思えばこの時私に降りかかっていた不運は全て空港に置いて行かれたのだと今なら心から言える。
さよなら不運。こんにちはオークランド
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6月下旬。初夏が顔を覗かせていた日本から、吹きすさぶ北風が頬を撫でるニュージーランドへついに到着。
同じエージェントを利用し同日に到着した日本人が何人かいたため、全員集合してから現地オフィスへ向かい、その後各ホームステイ先へ送ってもらうという手厚い対応をしていただいた。ちなみにこの時1人の日本人がなかなか来ず、日本人ドライバーの方がわざわざ探してくれた結果、彼は空港内のお土産屋を物色していたそう。私にはこのたくましさが必要なんだろうなあと思いつつ、そんなたくましさがあったらそもそも病気になんてならなかったよなとひとり結論づけた。
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貯金があったおかげで、ニュージーランド生活を始めてしばらくは急いで仕事を見つける必要もなく、語学学習に集中することができた。そうして培った語学力をアウトプットし同時に養うため、なるべく英語を使う機会がある職に就きたいなと漠然と願いながら勉強をしていた記憶がある。
最初の数週間はホームステイだったため、料理が美味しいネパール人の夫婦の元にお世話になったのだが、料理はティッカマサラのようなスパイシーな料理やサモサ等で、毎回食事が楽しみだった。
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また、時々遊びに来てくれる彼らの息子さんはチェスを教えてくれたりと、とにかく親切にしてくれた。
入居時に日本から持ってきたプレゼントを渡したとはいえ、予想以上に素晴らしい対応をしていただいた彼らに何かしたいなと思い、引っ越し時にはオークランドのJAPAN MARTで日本のお菓子を用意し、日本の風呂敷で包んで感謝の気持ちとともにそっと渡した。
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不運を置き去りにした結果、暴走した強運
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ホームステイ期間が終わり最初に見つけたフラットは、家賃が当時としては格安の上、台湾人の大家と日本人のフラットメイトがとても親切だった。
大家は同じ建物の上の階に住んでいるのだが、庭で飼っているニワトリが卵を産めばお裾分けをしてくれたり、家庭菜園で取れた野菜を渡してくれたり、皮から手作りしたお手製の肉厚ジューシー餃子をくれたりと、家族同然に接してくれた。またフラットの家賃が格安なのも大家のご厚意であった。
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大家は「私達が小さい頃はいつもこれくらいみんなに親切にしてもらってたんだよ。」と話してくれ、自分が彼らと同じ立場だったら果たしてここまで人に手を差し伸べてあげることはできるだろうかと密かに自問自答をしたりもした。
フラットメイトも本当に優しい方で、引っ越し初日に「ご飯を一緒に食べましょう」と屋台が立ち並ぶ夜市に連れて行ってくれたり、私が「せっかくだから1年以上ニュージーランドで就労経験を積めたらいいなあと思ってます」と相談する場を設けてくれたり、日本文化交流サークルに連れて行ってくれたりもした。
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そんなある日、フラットメイトが朝から興奮しながら私を呼び、就労ビザを提供してくれる求人を教えてくれた。
聞くところによると、彼女の元フラットメイトも過去その職場で就労ビザを獲得し、経験を積んで今はYMS(年齢制限のある期間限定の就労ビザ。私も取得しました)を取って渡英中だよと話してくれた。彼女はまた『この職場はオーナーがすごく良い人だと聞いたし、クイーンズタウンから面接のためにはるばるオークランドまで来てくれるから、絶対応募すべきだよ』と強く勧めてくれたので、その熱意に後押しされる形でそっと応募をした。
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その職場はなかなか求人を出さないらしいので、これを見つけて大喜びで教えてくれたフラットメイトには本当に頭が上がらない。
くわえて、フラット探しのために邦人向けNZ情報サイト(NZdaisuki)に張り付いて30分以上F5を連打し続けた結果、当時格安価格で住めたそのフラットを見つけ、フラット募集記事が掲載後に即連絡し、全力で勝ち取れた自分の運の良さには今もなお助けられているなあとつくづく思う。
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今だから言えるが、そのフラットを見つける前に内覧アポイントをとったもう一つのフラットは、最初のメールのやり取りからなぜか嫌な予感がしていた。それは言葉遣いなどから来るものだけではなく、一体何がそんなに引っ掛かっていたのかいまだにわからないのだが、本能的に『この人と住みたくないな』と危険を察知していた。虫の知らせといったところだろうか。
文面が丁寧なようでどこかとげとげさを感じるものだったことがとても引っかかったことをおぼろげながらに記憶している。
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この野生の勘はある意味正しかったのかもしれない。かくして私は前述した親切なフラットメイトのおかげで仕事にありつき、就労ビザを獲得し、職場の先輩経由で仲良くなった友達のYMS当選をきっかけにYMS抽選に応募し、ありがたいことに一発当選し紆余曲折を経て念願の渡英を果たせたのだから。
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闘病生活において味わった、前に進めない歯がゆさや悔しさは、ニュージーランドで平和な生活を過ごすための前菜だったのだと、今なら言える。
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