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スピードで自由になる

 カーブに差し掛かると、ブレーキを踏みスピードを落とす。この車は前輪駆動で、なおかつホイールベースが長く直線は矢のように走るが、カーブはどうしてもアンダーステアが出る。外に出る力を抑える為に適度にブレーキを踏んで、ハンドルを少し早めに切り始めて、カーブに突入する。アウト・イン・アウトで上手く抜けられれば、何となく気持ちが良い。
 同乗している友達には、なるべく心配をかけないように運転しているつもりだが、友人は「このスピードでよく走れるな」と少し不安げだった。それほどスピードを出しているつもりもなければ、片側一車線の山道だが、後ろの車もそれほど車間距離を詰めてないし、詰めたがっている感じでもない。車自体は、曲がった時に後輪が流れたり、車体がねじれるような感じはないが、何せ真っすぐ走りたがる。そういう車なのだ。
 山道を終えて、二車線となり、カーブも緩やかになった。ロードノイズも変わり、山道に比べると、スーッと滑るように走り始めた。スキーのダウンヒルのように、所謂、オン・ザ・レールを感じる。実際、新しい道なので、どの車も走りやすい道に切り替わった。

 友人が山道を通っている時から、ずっと話している。車の話ではなく、友人本人の話だった。その友人とは付き合いが長い。20年以上になる。話はお互いクドいが、その友人は負けじとクドい。主張が激しく、それを隠そうとして、必死で弁解するが、どうしてもその弁解が、くどさを増す。「要するに・・・」と、話すのだが、それが要約されてないのではないか、と不安になるようで、「それは、例えば・・・」と話し出すが、たとえ話になっていない事も多い。悪い友達ではない。凄く馬鹿な友達でもない。中年になって、こうした友人は貴重だ。ただ、話がくどいのだ。
 「・・・というわけで、何とかやっているんだよ。」と何か話を締めくくろうとしていたが、運転することが楽しかったことと、山道で集中したためか、少し疲れていたので何について話したのかはよく分からなかったが、彼が自己正当化しようとしていたのはわかった。自分の結婚生活において、如何に心を砕いているか、如何に年下の妻のしていることが理不尽で理に適っていないか、自分のやっている事の方が合理的か、という事を説いていたはずだ。

 その友人が結婚したのは、ここ数年で、二人は初婚で、友人は40を過ぎて結婚したので晩婚である。友人の話をしても、結婚生活が破綻した身、バツイチになった身としては、中々自信を込めて意見することも無いし、そもそも、そういう話で意見する気は全くない。夫婦の数だけ形があるというのは、それなりにあたっていると思う。
 その彼にはまだ子供がいないが、作る気がない様子だった。人の息子に何か買ってあげたりする以前に、自分の子供をどうするか考えないのかな、などと思っていたりするが、それを言うのは無粋なのでいつも言わない。こないだ進学のお祝いという事で、プレゼントをしてくれた時、息子は大層喜んでいた。その反応をみて、彼も喜んでいた。そんな家族の事を思い出すと、子供達と自分のことを考え出す。だから、余計に意見したくないのかもしれない。

 息子は父親が放蕩しているようで、少し不安がっている。実際、「お父さんは何をしているの?」と聞かれたこともある。鬱病になって、会社を辞めることになり、数年間、何度か復職が上手くいかず、鬱病も再発を繰り返していた。すっかり自信を無くした姿も見られている。
 別れたとはいえ、子供とは密にコミュニケーションは取っており、彼らは心配してくれていたが、その心配が心に刺さった。子供が疎ましいのではない。自分の不甲斐なさが刺さるのだ。彼らと話をしたり、目を見たりすると、不安が大きなとげのように自らの中に育ち始め、それが心を刺し始める。だからか、そうした話は心の中に仕舞って、いつも彼の話を聞くことが多い。
 友人は話し出すと止まらないタイプなので、話させておく。話のタイミングで、話させる話を変えるような質問をさしはさむこともある。そうすると、別の話をし始める。聞いているこちらも疲れてしまうので、たまにはそういう操作は必要なのだ。
 友人の話を上の空に聞いた風にして、記憶がよみがえる。子供達は、不甲斐ない父親と思っているのだろうな。同じことを何度も思い出す。「家を売ってもいい??」と聞くと「ダメ、嫌だ。ここが好きだ」という。それはそれで構わない。彼らの希望はできる限り叶えたい。

 背伸びをしたな、と思わせる、この一戸建てを買って5~6年で鬱病に罹患したことが分かった。当時も今も、その友人は「お前が家を買ったり、車を買ったりするのは、良いと思う。だけど必要なのか」と言ったりしていた。
 その時、その場では必要だったのだ。欲しかったかどうかではない、流れがそうさせた。ただ、買うと決まったのだ。欲しがっていた人が、配偶者だったという事だ。そんな風に友人の意見に反論を心の中で繰り返しながら、友人が展開する、家の購入や、車の購入の一つ一つについての持論を上の空で聞いていた。

 高速道路に入って、速度を上げた。法定速度を大きく超えるスピードで走ることが多い。覆面につかまったこともあった。友人は「なぜそんなにスピードを出すのだ、俺にはできない」と隣で話している。この友人以外にも言われたことがあった。「なぜ、そんなに飛ばすのか?」と。飛ばしているつもりが余りないのは少し問題だが、理由がないわけではなかった。飛ばす、と言っても、所謂、煽り運転をしているつもりはなかった。極端な車線変更や、急加速で前の車両を抜く、車間距離を詰めすぎて、急ブレーキをガンガン踏む、そういうことはしない。とは言っても、実際、オービスがあったら、一発アウトなスピードを超えて運転している。
 アクセルを踏む。加速する。一番右の追い越し車線にいる車がどいていく。適度な車間距離を保って、ずっと後をついていると、さすがに退くのだ。さらにゆっくり、確実に加速する。優位になった気分だ。まだ、できている、まだ私にはできることがある。説明をしなくても、こうしてできている。「なぜ」スピードを出すか、ではなく、なぜ「出さないのか」。なぜ、鬱病になったのか、ではなく、「ならないでいられるのか」。そんな、細かで、意味の無い「なぜ」に振り回されながらここまで生きてきてしまった。
 何度か、人生を終えようとしたことがあった。それでも、子供達のことを考えると、それはできなかったし、失敗した。

 隣でクドクドとと話す友人の声、子供達が持つ不甲斐ない父親、失敗した結婚、失敗した復職、心の病と付き合って生きる人生。そんなものを全部フロントガラスの前にある景色に集中することで、バックミラーの後ろに追いやることができる。
 障害があれば、退いてもらうか避けることができる。私の曲がりたいところで曲がり、緩やかに漫然と直進することができる。誰も文句を言うことはない。自分の心にその充足感を感じることができる、唯一の時空はこのスピードの中にある。
 随分前から分かっていた。今の人生は自分が選んだと思っていたが、そんなことはなく、流れていただけだった。学校も、結婚も、子育ても、会社でも、どれもこれも、自分で選んだ、悔いはない、と胸を張って言えるかと言われれば、全く自信がなく、そこにアイデンティティを持つことができたとは言えなかった。唯一、この車を選んだこと、その自由を手放すわけにはいかない。

 友人を家に送り「気を付けて、飛ばすなよ」と送り出された。私はまた、アクセルを踏んだ。選択の自由を感じる為には、今はこれしか残されていない。その自由がなくなったら、何も残らない。

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