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AI時代にこそ必要な「学び方」:人間にしかできない学びとは

はじめに


そもそも「学ぶ」とはいったいどういうことなのでしょうか。

日本式受験勉強を耐え抜いてきた我ら大人世代にとって、長い間、勉強といえば教科書の内容を覚えることや、テストでいい点を取ることだと思ってしまうのではないでしょうか。ん。今でもその傾向があるって?

でも、実際の生活を振り返ってみると、私たちの多くの学びはもっと自然な形で行われているのに気づきます。

(私は「学び」と「勉強」の違いについていろいろ思うところがあるのですが、この記事では同義として使っちゃいますね。)

例えば、子どもが自転車の乗り方を覚えるという例。最初は補助輪をつけ、親が後ろから支えながら、少しずつコギコギして長く乗れるようになりますよね。これって、本を読んだり、youtubeで勉強するわけじゃないですよね。もちろん、コツを本や動画で参考にしたりすると思いますが、自転車に乗るという学びは実際に体験しながら、周りの人のサポートを得て、徐々に上達していきます。

この最初は出来なかった【学び手】が、【できる人】の導きによってどんどんと上達するというプロセスを「導かれた参加」と呼ぶというのを、前回のルゴフ先生の記事で紹介しました。

しかし!

「学び」というのは初心者が徐々にできるようになるということだけを指すのではない、もっと自分自身を知る【アイディンティティ確立】のプロセスなんじゃー、と異論を唱えたのがレイヴとウェンガーです。

彼らはざっくりとまとめると「学び」とは次ような図のようなプロセスを辿ると考えました。

レイヴとウェンガーの考えを理解するうえで特に重要なキーワードが「状況的学習」と「正統的周辺参加」というものです。

難しく聞こえますが、「状況的学習」とは文脈があってのもの、という考え。これは、前回のルゴフの「導かれた参加」とほぼ同じです。レイヴとウェンガーが特に強調したのが、「学び」はある実践コミュニティーに参加し、交流することで深まるというものです。これを「正統的周辺参加」と名づけました。

めちゃ簡単にいうと、空手を習いたい。ただ、youtube見て庭で練習するだけでは上手くならない。だから、近所の道場(実践共同体)に【参加】し、師範に教えてもらい仲間と切磋琢磨することで(交流・協働)、上手くなるし、何より【空手家】としての自己を確立するという感じです。

今回は、この新しい学習理論から、学びに活かせるヒントをご紹介したいと思います!

状況的学習とは?

では状況的学習とはなんぞや?

状況的学習とは、学びは常に特定の状況や文脈の中で起こるという考え方です。いわゆる状況的学習を推す人々は、学習は単に頭の中だけで起こるのではなく、私たちを取り巻く環境や人々との関わりの中で生じると主張しています。

以前紹介したバーテンダーはどのように注文を覚えるのかというのが、これに当たります。

状況的学習の考え方によれば、こうした実践の中での学びこそが重要なのです。教室で学んだ知識も、実際の生活の中で使ってこそ意味を持ちます。数学の公式を覚えるだけでなく、買い物の際の計算や、家計管理などの実生活で活用することで、より深い理解が得られってわけです。

だから、座学教科と探究の連動ってのが重要ってなってくるわけですが・・・(さらに言えば、評価も)

この考え方は、教育関係の仕事に従事する人に加え、子育て世代にも重要なヒントを与えてくれます。単に記憶させるのではなく、学んだことを実践できる機会を提供すること。そして、日常生活のあらゆる場面を学びの機会として捉えることが大切ということなんです。

では次に、この状況的学習の考え方をさらに発展させた「正統的周辺参加」という概念について見ていきましょう。

正統的周辺参加:学びとは参加することである

「正統的周辺参加」という言葉は少し難しく聞こえるかもしれませんが、実はとてもシンプルな考え方です。これは、学びの過程を【道場】に入門して、【鍛錬を積む】のようなものとして捉える考え方です。

ポイントは入門ってとこです。

例えば、料理人になりたい人が、最初からシェフとして働くわけではありませんよね。まずは【レストランに見習いとして入り】、野菜を洗ったり、食器を片付けたりする簡単な仕事から始めます。そして徐々に、より複雑な料理の準備を任されるようになり、最終的には一人前の料理人になっていきます。

さらにいえば、ただ料理が上手になるだけではなく、お店のサービス基準、超一流のお店だったら伝統やステータスなど、料理はこうあるべきという概念というか「超一流としての料理人」のイメージを身につけていきます。

この過程で重要なのは、見習いが「正統的」に、つまり本物の料理人の集団に参加していること。そして、最初は「周辺的」な、つまり簡単で責任の軽い仕事から始めて、徐々に中心的な役割を担っていくということです。

レイヴとウェンガーは5つの徒弟制の事例研究(ユカタンの産婆、ヴァイ族とゴラ族の仕立屋、海軍の操舵手、スーパーの肉屋、断酒中のアルコール依存症者)を紹介し、それらを通して正統的周辺参加の概念の意味を探りました。

正統的周辺参加の考え方の中心は、

学習を知識の獲得としてだけでなく、実践コミュニティにおけるアイデンティティの変容

として捉えることなんです。

正統的周辺参加の考え方は、学びの過程を長い目で見守ることの大切さを教えてくれます。一朝一夕には身につかない技能や知識も、適切な環境と機会があれば、学び手は着実に成長していくのです。

そもそもなぜこのような考えが生まれたのか

この本が書かれたのが1991年。状況的学習とか正統的周辺参加という概念は1980年前後からポツポツと紹介されていました。

日本だけでなく、1980年代というのは欧米でも教育改革の機運が高まった時期でもあります。伝統的な一斉教育型教育の限界が指摘され、よりオーセンティックで協調的な学習環境をデザインする必要性が叫ばれるようになりました。状況的学習論や正統的周辺参加は、まさにこのような教育改革の議論に対して、学習環境のデザイン原理を提供するものとして注目されました。

学習を知識の獲得としてだけでなく、実践共同体におけるアイデンティティの確立と変容と考えるのは、今日の学校教育の場でも重要な考えです。

例えば、学級目標づくり。クラスの学級目標を作る過程は、正統的周辺参加の良い例です。ただし、先生が勝手に作るのではなく、子どもたちが自分たちで目標を考え、決定させるってのが重要です。それで、先生はその目標に向けて生徒たちがすべき行動を実践するように励ましたり、モニタリングしていくわけです。この過程で、民主的な意思決定の仕方や、クラス共同体の一員としての責任や意識を身につけるのですね。

体育祭とか文化祭とかこれらの行事は、まさに状況的学習の宝庫です。もうザクザク成長という宝が出る感じ。例えば、文化祭の準備では、企画力、協調性、時間管理など、教科書では学べない多くのプロジェクトマネジメント関連スキルを実践的に学びます。また、学年が上がるにつれて担う役割が変化していくことも、正統的周辺参加の考え方と合致していますね。

また、オランダのイエナプランとかが日本で流行り出して認知されるようになってきましたが、上級生が下級生の面倒を見たり、一緒に活動したりする機会を設けることで、教える側も学ぶ側も多くのことを学べます。このような異学年交流は、実践共同体における知識やスキルの伝承を模したものといえるでしょう。

さらに!探究とかプロジェクト学習は、この理論を実践する上で非常に有効です。例えば、環境問題について学ぶ際、単に教科書を読むだけでなく、実際に地域の清掃活動に参加したり、リサイクルプロジェクトを企画したりすることで、より深い理解と実践的なスキルを身につけることができます。

ここら辺はデューイ先生

この探究系で私の推しは昔からの盟友がやっているこれ!絶対おすすめ。

今見てきた実践は、

あれ、学校ってなんのためにあるんだっけ?

というそもそも論を考える上でも重要だったりします。コロナ禍を経て、知識伝達はオンラインで十分じゃんとわかってしまった今、改めてリアルに人と触れあう学校(コミュニティー)という場の意味を考える時なのではないのではないでしょうか。

正統的周辺参加というレンズを通して見ると、学校を単なる知識伝達の場ではなく、実践的な学びのコミュニティとして再定義することができるのではないでしょうか?

子どもたちが学校内外の境界線を飛び越え、リアルな社会文脈の中で学び、徐々に中心的な役割を担っていくことで、より深い理解と実践力を身につけることができるのです!

まとめ!

今回紹介した状況的学習と正統的周辺参加の考え方は、学びを単なる知識の詰め込みではなく、実践共同体(コミュニティー)における自分確立の旅として捉え直すものでした。

今多くの人々が、コロナ禍を経て、オンライン学習の普及と同時に、リアルな交流や体験の重要性を再認識してきているので、この話題って結構納得していただけるのではないでしょうか。

コロナを経て、生成AI来て、リアルな体験が価値を生む。

そんな時代になってきていると思います。

これからの教育では、社会的文脈の中で、もっと言えば人間に備わった5感をフルに活用するリアルな学びをより重視し、子どもたちが様々な状況で責任ある役割を担う機会を提供することが大切なんですね〜。

学ぶというのは単に知識を獲得するだけでなく、自分自身の立ち位置を認識するという過程でもあるようです。うーん、深い。

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