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離れないと付き合えません(グレートマザーの脅威)

人の顔を見る度にご自身の息子さんについての愚痴を言って来る人がいる。

他の事で忙しい最中というのもあるが、細切れにしょっちゅう耳にしていると問題の根深さを察知して、気軽にコメントが出来ない。

それなのに、ああ、それなのに、ある日「一度息子と会って貰えませんか?」と言われてコーヒーを吹く。やけどする。(最近はよく飲み物を吹くことが多い。これは私が気が小さいからというばかりではないような気がする。)

いやあ、あの、ほら、私は娘たちしか育てたことがないので男の子のことは良くわかりませんと言って交わす。しかし。

「いいえ!もう、ほんとにもう!うちの働かない息子をどうにかして欲しいんですよ!」

”働かない息子”とハッキリ命名なさっている。根深いというのはこういうことを言ってるのよ。男も女も、人は誰でも心の中に”グレートマザー”という存在を内包している。

グレートマザーとは、ユングさんが唱えた母親の象徴、原型の部分なのだけど、ポジティブな側面で言えば優しく温かい包み込んでくれるような母親のイメージ。しかし光と影は表裏一体というのはお約束。ネガティブな面のグレートマザーは、相手を息ができないくらいに締め付ける。自分の中に閉じ込めようとする。

細切れではあるものの話を聴いていると、息子さんが何かする度に否定している。

せっかくバイトを始めたときも「どうだったの?聞かせて。」と言っては全て報告させて「どうしてああしなかったの?ああすれば良かったのに。」といちいちケチをつける。そうして20数年に渡って ”あなたは、私がいないとダメな子なのよ”ということを刷り込む。実際はそんなことないんだけどね。

でも、この方にとってはダメな子でいてくれないと困る理由がある。無意識の中に「お母さんを一人にしないで。」という欲求があるので、息子さんの受験や就職活動、何か大切な日には必ず体調が悪くなるとか、色んな症状が出る。

本人は自分を振り返るなんてことはしないので偶然だと思っている。何せ悪いのは息子で、自分はそれに心を痛めている母親なのだと主張し続けなければならないから。人付き合いにもそれを梯子として使う。

人は親と離れて行く時に4つの段階を踏むと言われている。

①母親と他人を区別していない段階
②母親と他人の区別がぼんやりついてくる段階
③母親が明確に特別な対象となり、いなくなると泣くなど愛着行動が見られる段階
④母親に抱かれるなど身体的接触がなくても問題がなくなる段階

息子さんがとっくに4つめの段階まで成長しているということが受け入れられないのは自分自身がそこに到達していないから。

グレートマザーは母子間だけでなく、仕事の先輩後輩の間、何かの師匠と弟子とか、友人同士、あらゆる人間関係で猛威を振るう。

例えばカウンセラーや、これからカウンセラーになろうとする人などは、人一倍母性が強い人が多いので、きちんと自分見つめをしていない人だとクライアントさんの自立を邪魔するという恐ろしいことも起こる。不勉強はほんとにやばいです。

加えて、いつぞやお話したメサイヤコンプレックス。

母が子にこれを発揮した暁には目も当てられない。自分の自尊心を保つために、いつまでも我が子を、あるいは妹や弟を、後輩を、ダメな子として扱うのだから。

どう表現したら良いのか分からなかったのだけど、乗りかかった舟なので息子さんについての話をもっと詳しく聴いた。と言っても、これまでとは違う聴き方に徹して。

結果、その子は決して”働かない子”という名前の子ではなく、真面目で強くて自立心の強い優しい子なのだということが明らかになった。

泣いていらしたが、残念なことにそれは息子さんの成長を喜ぶ涙ではなかった。

親も子も、友人も恋人も、上司も部下も顧客も全て、この世で出会う人というのは、いや、動物さえも、かけがえのない使命を持って生まれて来たかけがえのない魂の化身。

例え姿形や年代が違えど、敬意を欠いてはならない。その邪魔をしてはいけないし己の幼さや不勉強をカバーするための所有物のように抱え込んでもならない。

わたしはあなたを
束縛せずに愛したい
判定せずに称賛したい
侵入せずに結ばれたい
強制せずに誘いたい
後ろめたさなしに別れたい
責めることなく評価したい
見下すことなく助けたい
あなたも同じようにしてくれたら
ふたりはほんとうに出会い、
おたがいを豊かにできるでしょう
(ヴァージニア・サター)

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