歴史は・・・常に変わる
仕事から帰って来ると、休日だったKちゃんが何故だか疲れて見える。
どしました?と訊くと、「執筆活動で疲れました。」と言う。あら、何書いているの?と、テーブルに目を落として絶句。
この人!履歴書を書くことを執筆活動なんて言ってる!
でも、お互い履歴書書くのなんて物凄く久しぶりなもんで、確かに疲れるかも。何年に何をやっていたか?なんて、この年齢になると正確なところが簡単には思い出せないので、二人して思い出を辿るのだった。
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明日と31日出勤すれば、一区切りつく。きっと最終日には泣いちゃうんだろうな。既に挨拶に来て下さる人の予想外の言葉や熱に驚いたり感動したりしている。
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また高齢者看護がやりたくて、いくつかの施設を紹介されて条件もなかなか良いところばかり。
でも、しばらく派遣で色んな施設を回ってみようと考えている。
いつも次の場所へ行くときには、後悔が微塵もない。良くも悪くも、自分の力より+αの分を出し切って、やり尽くしているからだと思う。
それは仕事だけでなく対人でも言える。私に出来るのはここまでだよとハッキリ言えるところまで。
だから、こうして間延びしているかのような時間には、もう力も残っていないというのもあるが、さっさと次へ行きたいなという思いがある。
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プライドが高くて何一つ覚えようとしない。でも、自分は出来ると思っているナースさんが焦っている。
いよいよ持ってクライマックス。
キーキー言っているのは、もうこの先は自分でやらなければならないということが分かるからだろう。
もう、文句をつける相手もいなくなる。
人や権力に執着している間に、学ぶ機会を逃した人の焦り。
そこにつける薬はない。
自分を見つめないということは、どこまでも色んな意味での貧しさの中に住まうことになる。
休日のオンコールも入れて、いよいよあと3日のラストスパート。多くを得て、多くを振り返り、また次の場所で学んでいこう。
沢山のさようならと、沢山のはじめまして。
そんな人生に感謝している。
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