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「誰が好きか」よりも「誰といるときの自分が好きか」 アニメや漫画に影響を受けすぎた日本社会で、何よりも自尊心を大事にすること

とても個人的な感覚ではあるけれど、インドやパキスタン出身の友人たちと話していて、立場や職業、地位や年齢に関係なく、生き方の哲学や真理を語る人々が多いというイメージがある。

同世代のインドやパキスタンの方々は、「見合い結婚」がまだ多く、パキスタンの友人は「自分が生まれる前から、結婚相手が決まっていた」と整然と言う。「自分が意識や『恋や愛』という感覚をもつ前から、結婚相手が決まっている状況というのは、どういう感じなのか?」と聞くと、「青春時代のトキメキを持つ機会が全く無かったのは残念だが、効率的ではある気がする。」という。その感覚もまた、面白いな、と思いながら、インドの友人も「見合い結婚のほうが、離婚率は圧倒的に少ない」とも言っていた。好きという感覚の前に、結婚という儀式があって、徐々に相手を好きになる、というのも、なんだかアリな気もする。そして、現に周りの夫婦はとても仲が良い。(お互い精神的に自立しているからなのか、心の底から信じているからなのか、不安というものが無いのだと思う)

インドは、まだ全国民の80%は「見合い結婚」とも言われているけれど、大都市を中心に自然恋愛を経ての結婚も増えてきていて、ある友人は「でも、インド人はBollywood映画の恋愛物語に影響を受けすぎて、誤った恋愛関係を築こうとしている。ファンタジーすぎて、現実を反映していない。」とも言っていた。

確かにな、と聞いていて思ったのは、私たち日本人は、インドでいうBollywood映画、日本でいうアニメや漫画の恋愛物語に、こと影響を受けているのではないか。ということ。物語の展開、繊細な描写や背景、風景美には、とにかく尊敬しかないのだけれど、全体的に、どこかこう「叶わない恋を追いかける辛さ」「告白したいけれどできない切なさ」を美徳として、共感を誘い、でもなんだかんだ最後はハッピーエンド、みたいな。それが青春の人間関係の風景として描かれていて、そこに「自尊心」というものは見えてこない。全てが、相手にどう思われるか、相手目線で語られている。嫌われることへの恐怖を増すように、本当は、何よりも自尊心を大事にすることが、周りの人々に無条件に愛を与えられる人に繋がるはずだけれど、その「自尊心」ですら、相手に育ててもらおうとする。これも「同調圧力」所以のもの?

ある本で、「理想的な男性像」が語られていて、以下のような点が挙げられていた。これ、結局、人間として生きていく上で、性別関係なく大事なことで、相手に求めることではないはずなんだけれど、どうも日本社会の中では、ある程度の理想像が、アニメや漫画という文化によって創られている気がする。(もちろん、そのアニメや漫画を創ったのも、日本社会を生きてきた方々なので、お互い影響を受けているのだけれど)

1.素直な人(「正しさ」や「常識」に縛られない人)
2.変化に強い人(時代の流れに乗る人)
3.志や基準が高い人(社会全体をこうしていくという意志)
4.本質的価値を見抜く力
5.スピードや決断が早い人(決断とは、決めて断つこと。他の可能性を捨てることができる人)
6.孤独に強い人(その人独自の空気をいつもまとっている感じ)
7.失敗を多く経験している男性
8.愚痴や環境への悪口を言わない人

だからなのか、日本人女性から「恋愛とか、過程はうまくないし苦手」とか「家事は苦手」という言葉を聞くのだろうか。うまくないといけないと思わされる雰囲気は、どこからやってくるのだろう。そして日本人男性から「結婚は絶対にしたくない」「自分の時間が大事」という言葉を聞くけれど、たぶん、そのような考えに至った経緯は、全てその人の周りの環境からしか判断できないから、勝手に「結婚すると自分の時間が減る」という式ができあがってしまうのだろうか。

私が、基本的にインドやパキスタン出身の人々と話していて、何かと「楽」で「知的好奇心が高まる」のは、そういった社会の決まりというものを基準とするのではなく、「自分の生き方」にある程度のロジックや決まりがあって、それを支える哲学というものを持っていて、上っ面の人間関係をそもそも好んでいないから。

今まで、何度か海外の方々に聞かれたのが「日本人夫婦は、なぜ浮気をするのか?これは、男性や女性といった性別関係無く、仕事が忙しい、一方が勝手に不安になったり疑心暗鬼になっている、どういう理由が考えられるのか?」という質問。日本社会をよく見ているなーと思いながら、私としての結論は「自尊心の低さ」に至っている。

どれだけ頭が良くても、地位が高くても、有名な人々でも、自分が一番自分を好きでないと、本当の意味で誰にも無条件の愛というものは与えられない気がする。誰が好きか、よりも誰といるときの自分が好きか、が理解できるというのは、自分のことを自分が良く知っているからであり、きっと親世代の愛情をたっぷり受けてきたのだろうと思う。そして、男女の性差別というもの、そもそもの言い方や、制度で変えようとしても、やはり個々の自尊心を高められる社会をつくらないと、いつまでも相手の様子を伺い、「不安」になり、「不幸せ」な社会が続いていくような気もしている。

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