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一生繋ぎ止めたかった幸せを、手放すというポジティブ

私が旦那さんと結婚した理由は、私の人生にずっと存在し続けてほしかったからです。
恋人とか友達は何らかの拍子に他人になってしまうかもしれないけど、家族になったらずっと繋がりを持ったままでいられると思っていました。


多分私は安定した優しい幸せを手放したくなかったんだと思います。
何事にも終わりがやってくるのだと、永遠が存在しないものだと認めたくなかったのだと思います。
(何様だてめえって感じだと思うのですが、我ながら青いっすね)
どんなに楽しくて、どんなに愛に溢れて素晴らしくて、どんなに幸せでも、物事には必ず終わりが来ます。
私の場合は、皮肉なことに、ずっと一緒にいたくて、永遠の繋がりを心から願った愛する人から、それを学びました。


ここで声を大にして言いたいのが、これはすごくポジティブな学びだという事です。
(負け惜しみじゃねえわ!)
終わりが来る事を理解しているという事は、今この瞬間がこの上なく貴重なものだという事を理解するという事です。
幸せで安定している時は、自分が今どんなに貴重で、脆く壊れやすい状態にいるかを忘れがちです。
現に長年幸せにまどろんでいた私がそうでした。
終わりが来るなんてそんな悲しいこと、信じたく無かったですし、私達ならそんな愚かな結果にはならない、という謎の自信もありました。
(ここで一旦タイムマシンを使って過去の自分をぶん殴りにいきましょう)


関係を終わりにすることは、愚かなことではありません。
ただ、今の状態に終わりがやってきたのだと受け入れることであって、それは愚かさでは無くて強さだと思います。
逆に、終わりを受け入れないということは、終わりを迎えて手放すべきものに執着するということであって、自分を縛り付け、抑制させる、ある意味自傷行為なのではないでしょうか。


終わりを受け入れるのは、とても悲しく、辛い事です。
できれば選びたくなんてないです、こんな道。
多くの人がそうだと思います。
何も終わりになんてしたくない。
ずっとこのままでいたい。たとえ今が不幸だと気付いていても。
何を選んでも自分で正解にすればいいと思うので、何が間違いで何が正しいなんて事は考えたくないのですが、
私には、終わったものにすがる自分より、終わりを受け入れて苦しみながら前に進もうとする自分の方がかっこよさげだったので、後者を選びたいのです。
受け入れられるものは受け入れて、抱えきれないものは手放せばいいだけのこと、それだけのことなんです。


物事には終わりが来る。
だからこそ、今自分に回ってきたこの幸せや、今の自分の状態や、今の自分を取り巻くものをこれ以上ないくらい、大切にしたい。
そして、いつも未来に夢を見て、終わりを恐れずにいろんなものにトライして、掴んだり、手放したりしていきたい。
それこそが生きるということだと思います。
悲しいし、辛いけど、でもその感情にも終わりが来ます。
幸せで夢のような日々にも終わりがきたんだから、悲しみとか辛さなんてもっともっと早く終わるはず。
だって悲しみや辛さなんかに執着する必要は無いんだから。
私が旦那さんと結婚した理由は、私の人生にずっと存在し続けてほしかったからです。
でも、もうその願いは手放します。
そして新しい場所で幸せになれる日を心から楽しみにして、切ないですが、嬉しい気持ちで、笑顔で終わりにします。
クソガキな私でしたが(今もだよ)少しだけ大人になれたような気がします。
初めての、人生最大の、愛する人からの裏切りを通して、自分のことを好きになる事ができました!
あざした!(号泣)

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