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自分で自分を認めてあげることこそが、ワタシが欲しかったものなのかもしれない。【しあわせのパン(三島有紀子 著)】

※本文にはネタバレが含まれています

皆様にとって、人生をかけて欲しいものってなんですか?
ワタシは、一生一緒に生きていきたいと思えるパートナーです。
(以前はとても尊い方がいたのですが、とんでもないことになったので…これも人生…苦笑)
いくら一人が好きでも、自分以外の人間と、関わりを深めてみたい、
その関わりの中で得られる学びを深めていきたい、と願ってしまうのがワタシという生き物なのです。

三島有紀子さんの、「しあわせのパン」を読みました。

舞台は、北海道の静かな町にあるパンカフェ、カフェ・マーニー。
失恋の傷が癒えず苦しみを周りに吐き散らかす女性、
両親の離婚を受け入れられず、父親を憎むしか術を持たない少女、
自殺のために北海道に来たものの、カフェ・マーニーにたどり着き、この先について見つめ直す老夫婦、
など、いろいろな想いを抱えたお客さんの心を
オーナーのりえさん、水縞くん夫妻の作る温かな料理やパンが、優しくほぐしていく、というストーリーです。

水縞くんとりえさんは夫婦というテイですが、入籍していません。
水縞くんの営業先で出会ったりえさんは、自分を見失って、空っぽで、生きていくのに限界でした。
そんな様子に心を痛めた水縞くんが、半ば成り行きで、二人で北海道に行き、(会うの2回目とかなのに)カフェ・マーニーを始めた、という流れになります。
りえさんは「月とマー二」という絵本を、誰にも見せず、毎晩宝物のように大切に読んでいます。
「月とマー二」は太陽の明るさに対してコンプレックスを感じ、(ワタシはそう解釈しました)太陽にいなくなってほしいと願う月に、
マー二という少年が


「だめだよ、太陽をとったら困っちゃうよ。
だって太陽をとったら君がいなくなっちゃうから。
そしたら夜に道を歩く人が迷っちゃうぢゃないか。
大切なのは、君が照らされていて 君が照らしている、ということなんだよ。」

しあわせのパン(三島有紀子 著)

と励まし、二人はずっと一緒にいました、という物語です。
りえさんに隠れて、「月とマー二」を読んだ水縞くんは下記のように思います。

りえさんはりえさんにとっての《マー二》を探しているんです。
それは運命の人を探しているとかそういうレベルの話ではありません。
自分自身にまず、なんらかの能力があること。
そして相手にもなんらかの能力があること。
そして二人が共にいることで、それが誰かの役に立ったり誰かを喜ばせたりできるのです。
けっして《マー二》だけを求めているのではありません。
自分も《月》になれないと、《マー二》は出てこないのです。
それは、自己肯定できないと絶対に手に入りません。

しあわせのパン(三島有紀子 著)

自分のことを知る、というのは、時としてとても怖いことです。
自分のことを嫌いになるのは簡単だし、
いくら経験を通して強くなったつもりでも、何らかの拍子に自分を憎んでしまうことなんて、簡単です。
そして、多くの人が、ワタシと同じように、自分を理解してくれるパートナーを必要とすると思います。
どんな時も甘えられたり、二人にしか分からないノリがあったり、辛い時には決して裏切らず側にいてくれたり、まるごと自分を受け入れてくれる、無償の愛をくれる人。
でも、残念ながら、そんな人はこの世に存在しません。
運命の人なんて、この世に存在しません。
(と、ワタシが思うだけですごめんなさい。)
自分が一生一緒にいたい、一生愛していきたい、大切にしていきたい、
関係を深めて、諦めたく無いと思う人は、
自分と、そして相手の努力で作り上げるものだと思います。
そういう人は自然発生するのではなく、その人を愛した努力の結果、最終的にそんな風に思える人になるのだと思います。

そのためには、この物語の中でも描かれているように、
まずなにより自分を愛することが出来なければ不可能だと思います。
自分を愛する、ということがどんなに難しいか、きっと多くの人が感じて、理解しているかと思いますが、
まずはその勇気が必要なのでは、と思います。
人を愛するより自分を愛することの方がよっぽど難しい。
でも、それが出来なくたって、出来ていたけど出来なくなってしまったって、構わない、自分を好きになる努力を続けられれば。
ワタシも人を愛するために自分を愛する方法を必死で探しています。
自分を愛する努力をやめません。
だって自分こそがワタシの最高の宝物だと思うから。

話がそれますが、最近アイコンを変えました。
自分の顔にしたのは、自分のコンプレックスを乗り越えたいと思ったからです。
ワタシは自分の顔、声が苦手です、本当は好きになりたいのに、色んな経験から、ありのままを愛することが怖いと思うようになってしまいました。
SNSあるあるですが、「それ加工?」とか「外見をアピールしたい人なんですね」みたいなご意見的なものを早速頂戴しました。
外からは、いくらでも好き勝手言われるんだ、とおもろいことを改めて学びました。
そう、外からは好き勝手言われるんです、だったら自分は自分を好きになろうよって、強く思いました。
ワタシは最高、最強、美しい、素晴らしい存在、だと。
見た目だけではなく、心についても、です。
例えこの先の人生の中でマー二に出会えず、ワタシが一生孤独な《月》のままだったとしても、その時はワタシがワタシのマー二になってあげればいいだけです。
怖くても、辛くても、ワタシは美しい、ワタシは素晴らしい存在なんだと、自分を認めてあげることこそが、最高のパートナーを見つける、ということと同義であり、もしかしたらワタシが人生をかけて欲しているものなのかもしれない、と今これを書いていて気づいた気がします。

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