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ただ、自分の幸せに誠実に向かい合える二人でありたい。【まだ温かい鍋を抱いておやすみ(彩瀬まる著)】後編

相手を傷つけてまで、自分の幸せを選択する。
ということが出来る人は、とても勇敢な人で、それをした経験のある人は生きることの喜びを学んだ人だと思います。

さて、前回の続きで、「まだ温かい鍋を抱いておやすみ(彩瀬まる著)」について書いていきます。

「反対してたけど、だんだん分からなくなった。
浩二くんの言うことが、正しいように思える瞬間があった」
いつからそうなったのか、思い返してもよくわからないのだろう。
ただ、いつのまにか、幸の意見は家の中で通らなくなっていた。
付き合っていた頃は対等だった。
だけど気がつくと、家庭の重要なことはすべて浩二さんが決めていた。
今後の展望、月々の貯金額、生活費の配分、子育ての方針、車を買い替えるタイミング。
おそらくは幸が妊娠して、子供のためにと仕事を辞めた頃からその傾向は加速した。
浩二さんの方が気が強く、弁が立つ性質だったのも原因の一つかもしれない。
なにかを言えば馬鹿にされる。軽んじられる。
「のんきでいいよな」「なにもわかってない」
そんなことの繰り返しで、気がつくと幸は浩二さんの一部になっていた。

まだ温かい鍋を抱いておやすみ(彩瀬まる著)


「結婚したら、頭がおかしくなるほど悲しいときも、家族に気をつかって生きなきゃならないの?」
「みんなやってることだよ」
(中略)
「それが本当なら、やっぱり私、結婚しなくてよかった」
「あんたは…子供なんだよ…年をとったら、周りはちゃんと変わっていくんだ。
いつか一人だけ取り残されて後悔するよ」

まだ温かい鍋を抱いておやすみ(彩瀬まる著)

幼い子供を事故で亡くしてしまった友人を、悲しみに沈み切った家庭から連れ出し、自分のせいで、と絶望する友人にひたすら美味しい料理を振る舞い続ける、という物語の中の一節です。
家族という呪縛に囚われて、その人が何を本当に欲しているかを見失いがちになってしまう、という現象を描いています。
家族はいつも一緒、とか、家族はどんな時も助け合うもの、お母さんはいつでも笑顔でいること、とか、そんな決めつけみたいなものが、家族を苦しめていく、家族そのものを壊していく、という様に、胸が痛くなりました。

私は、結婚したら、幸せになれるものだと思っていました。
だから、その幸せをずっと続けるために、一生懸命頑張ろうと誓いました。
そして、一生懸命頑張りました。
結婚って、多分、一人で頑張るものじゃないんだと、思います。
二人で頑張らないといけないもの。
どちらかが頑張ることをやめたら、それは結婚生活の終わり、って思います。
(いつもこのこと書いてる気がする…すんません…)
ここで言う頑張る、というのは、いい妻、夫であることを指すのではありません。
勇気を持つ、ということです。
自分の思ってることをちゃんと伝える、相手を信じる、幸せな未来を信じる、相手を尊重し続ける、自分を愛する、勇気を持つということ、です。
その勇気を持たなかったら、きっとこんな風になってしまう。

結婚から五十数年。
ようやく伴侶から離れることができた病床で、母親はまるでそれまで積もり積もった鬱憤を晴らすかのように、いかに自分の人生が不遇だったか、理解といたわりのない夫に振り回されてきたかを語り始めた。
俺は、それを聞きたくなかった。
母親がーー大人しくて無口で、家事と育児が大好きな人だと思っていた母親が、急に変貌したみたいで気味が悪かった。
なんだよ、ここまで言わなかったんだから、そんな愚痴は墓まで持って行ってくれよ、今頃言ってどうするんだよ、と疎む気持ちすら湧いた。

まだ温かい鍋を抱いておやすみ(彩瀬まる著)

いい奥さんでなくていいし、いいお母さんでなくていいし、
いい旦那さんでなくていいし、いいお父さんでなくていい。
ただ、自分の幸せに誠実に向かい合える二人でありたい、って思います。
自分の幸せに誠実に向き合えている状態で人は、人を裏切ったりしないと思うし、相手にも誠実でいられると思う。
だって、人を裏切ったり不誠実な人って、何か劣等感や不安や不満で溢れている状態だと思うから。
そんな状態は、自分の幸せに誠実に向き合えているとは思いません、逃げてるだけ。
逃げるのはいいことだけど、逃げるということは、何かを失うという痛みを伴うということも忘れてはいけないと思う。
どうか、自分の幸せを犠牲にしてまで立派な家族を作り上げよう、みたいな母親像が無くなりますように。
自分の好きなものを作って、好きなものを食卓に並べて、家族全員が縦ではなく横の関係でいられますように、そんな家庭を築きたい、と思いました。

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