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親たちの不調と自分のプロセス(2)


呆気なく告げられた回答

今日は、父の大腸内視鏡検査だった。検査するだけと理解していたので、検査時間が朝早いこともあって、普通にいつもの時間に実家へ。父はすでに出かけていて、母が父の使っている部屋を「こんな時じゃないと大掃除できないから」と汗かきかき掃除していた。

わたしは今日、初診で皮膚科に行こうと思って当日予約を入れて、順番がくるのが11時台後半との予約システムの予測から、それまではパソコン仕事をする時間に充てていた。すると、10時半過ぎに父の車が駐車場に入ってくるのを母が見ていて、「もう帰ってきたよ~」と。わたしも「意外に終わるの早かったんだなあ。」と思った。

玄関のドアを開けて入ってくるなり、ドアのそばに置いてある椅子にドシっと座って開口一番、

「やっぱりがんだった。」

と言う父。それもかなり淡々と。母と思わず顔を見合わせた。「ん?」といった感じ。それはあまりに唐突で。当初、8月2日に検査結果を聞きに行く予定になっていた。ちょっと先が長くて嫌だなあ、なんて思っていたら、その時は思いの外、早いタイミングでやってきたのだ。

「医師からそうやって言われたの?」

とわたしが聞くと、「そうだよ」と、そして続けて、「まだハッキリとはわからないけど、多分そうだろう、って。」

わたしはますます「?」となって、頭を振りながら、「どういう流れで知ったのが、最初から話してくれる?」と聞いた。母は驚きの表情で黙っていた。そこからの父の説明をわたしなりの理解で文章化するとこんな感じ。

内視鏡検査の画像を医師が父に見せながら、腫瘍と思わしき箇所を指して、「ここが悪さしているんです。」と伝える。そして今度は父の方から、「これってがんですかねえ?」と聞くと、「恐らくそうだと思います。」と医師。幸い腸内ではその箇所にとどまっていて、他の箇所に飛んでいたりしておらず、腫瘍のある場所は外科手術が可能な位置なので、恐らく切除することになるだろう、との見立て。消化器内科での検査だったので、今後は外科を交えて今後の治療方針を決めるとのこと。結果の説明があるのは来週の水曜日。そこから、胃や他の臓器への転移がないか検査をするとのこと。

どこまでも冷静な山羊座の父

父は、見た目も物言いも随分と冷静で、「自分でももしかしたらと思っていたから、ついにきたかーと思ったよ。」と。「細かいことはわからないけど、まあ切る必要があるなら切ってもらうしかないなあ。」と、更に淡々と少し笑顔も見せながら話していた。

がんなのかそれ以外の症状なのか

という大きなクエスチョンに対して答えが意外にも早くやってきたせいか、自分で思った以上に自分も冷静でいる(今のところは)。進行の度合いや転移の可能性などの懸念要素はあるけれど、一先ず腹が据わる準備段階にでも入ったというか。父からは、

「お父さん(落ち着いている時、彼は自分で自分をそう呼ぶ)は『もしかしたら』という疑いを持っていたせいか、自分でも驚くくらい冷静だよ。今は食欲も普通にあるし、これまでと何ら変わりないし。早期発見であったことを願って、あとはやるべきことをやるから、色々よろしく。」

あまりにも簡潔かつ完結していて、突っ込みどころもない。手元のスマホを見ると、皮膚科の診療時間を知らせるメールが20分も前に届いていたので、急ぎ出かけることにした。

なかったことにできなかった動揺そして気づかされる豊かさ

目的地は車で実家から10分ほどのところ。気づいたら皮膚科に着いていたので、わたしの潜在意識は安全に車を運転して、目的地にたどり着かせてくれた模様。そのくらい、一見冷静なふりをしながら、内心実はかなり動揺していたことがわかってしまう。

そのわずか10分くらいの間に、潜在意識に運転を任せてまでして、わたしには連絡を取らなくてはならない人たちが少なくとも4人いた。

まず夫、そして次にわたしたち家族にとって身内同然の親友に、テキストで事情を連絡した。加えて、一つ前の記事に登場した、マレーシアに居る時に連絡をくれた友人にも連絡した。友人のお母さんは来週大腸がんの手術を控えている。ここのところの流れを聞いてもらって、がん患者の身内として少し先を行く分、体験を話してもらっていた。たまにとる連絡が導いたこういう偶然も、縁というのかなあ。

そして、診察と会計待ちの時間の間に、もう一人、いつも色んなところでお世話になっている大切な人に父のことを伝えさせてもらう。すると、すぐに返事が返ってきて、そしてその方のこれまでの様々な経験から、今やっておくといいことを教えていただいた。

ここ数日、「わたしの日常の中にある豊かさ」について考えたり感じたりしているんだけど、今日このわずか1日という時間の中で体験したことは、どれもこれもが「豊かさ」そのものだと思えたし、感じられた。

投げかければこちらの想い以上に応えてくれる人がいて、それも一人や二人じゃなくて、わたしのことを知り尽くした人たちだからこその配慮のある言葉の数々、そして想いに癒される。

夫からの連絡

ここまで書いたことはたった2時間半くらいの間の出来事なのだけれど、2時間半前と後では状況がまるで違うことを、こうして書きながら認識している。そして認識しながら、この春に母の不調で体験したことがもう役に立っているような気がしていて、少し安堵する自分がいる。あの時の体験がなければ、今頃わたしは160度前のめりになって、大腸がんの情報を集めまくっていただろう。自分にできることを家探しし、自分の日常は一旦横に置き、情報収集に没頭することで、自分の動揺や不安をなかったことにするという旧体制。たった今は回避している、そのパターンにはどうやら陥ってはいない模様。こうして言語化することも、自分の助けになっている。

夕方、クアラルンプールの夫から連絡があった。

スマホの画面に顔が映ると、冷静かつ真剣な面持ちで、

"Okay, tell me what you know up until now and how you got to know all the information.  And how is Dad doing?「まず今何を知っているのか、そしてそれをどう知ったのかを話してみて。あと、お父さんはどんな様子?」

と聞かれる。ひとしきり聞かれことへのわたしなりの答えを伝えると、

I think I've already told you that my mom had colon cancer as well.  I told you we went all the way to Jordan for treatment, did I?「前に言ったと思うけど、うちの母親も大腸がん経験者だからね。ヨルダンで治療した話、したよね?」

と。わたしはてっきりお母さんのがんが女性特有のがんだと思い込んでいた。

What?  I thought your mom had cancer in either uterin or breast, no?  「え、そうだったの?てっきり子宮がんか乳がんだと思っていたよ。」

と言うと、

No, no, it was coron cancer.  She went through both surgery and chemo.  This is something cureble so don't worry too much. It could be tough sometimes to stay present with someone who's under cancer treatment.  But, don't worry.  I know how it goes and you will be fine because I'm with you all the way.  We all can go over it together.「違う違う、大腸だよ。外科手術と抗がん剤投与のどちらも経験してるよ。治る病気だから大丈夫。がん治療中の人に寄り添うのは時々キツい時もあるかもしれないけど、大丈夫。自分は経験しているし、そんな自分がずっと一緒にいるから大丈夫だよ。みんなで一緒に乗り越えられるよ。」

と言われ、すぐそばに母がいたこともあって、泣くのを我慢した。スマホ画面を母に見せると、夫は母に、

オカアサン!I'm coming back in 2-3 weeks time!  I'll see you soon!

と言っていた。母は夫の顔を久しぶりに見て「早く帰ってきてよ~~」と言いながら泣いていた(笑)。

この夫をわたしに出会わせてくれた神様がいるのだとしたら、再度感謝したい。心底そう思った。

こうして始まるまた新たなプロセス

夜ごはんに、ライスペーパー餃子を作った。インスタでレシピを見て、前から作りたかった。父は「おいしいねえ、これ。でも医師に、治療のことも考えて、今後しばらくはできるだけサッパリしたもの食べるように言われたから、しょっちゅうは食べれないかなあ。」

先に言ってよー!と思ったけど、治療へのプロセスは今日が開始・Day 1のようなもので、今日食べたいものを作って一緒に食べれたことをよかった、としておこう。そして、夫が帰国したら、まだ撮れていない4人での記念写真を撮ろう。

今朝、FacebookのCarl Jungのグループページでこんな言葉を見かけた。

The most profound thing we can offer our children is our own healing.
私たちが子供たちに提供できる最も深いものは、私たち自身の癒しである。

Anne Lamott

わたしは親二人からまさにこの「深いもの」を提供されている気がしている。

2023/7/21

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