日記を書く理由
あけましておめでとうございます、と言うにはちょっと遅いけど2022年もよろしくおねがいします。
年末に「来年は毎日エッセイ投稿するぞ!」と意気込んだのは何だったのか、既に年が明けてから一週間以上経ってしまった。この調子だと今年も程々の投稿数で終わりそう。
今年の正月休みは2年ぶりに実家に帰った。
着いた次の日から数年ぶりの大雪で40cmくらい積もり、子どもたちは大喜び。昼は外で雪遊び、夜は家の中でこたつに入ってかるたやら人生ゲームやらで遊ぶという、これぞ正月休みという日々を過ごしてきた。
トランプゲームもいろいろやった。「ババ抜き」や「七ならべ」ならだいたい私が子どもたちの分かりやすい表情を読んだり小狡い戦法を使って大人気なく勝つ(そして子どもたちに「パパきらい」となじられる)のだけど、「神経衰弱」だけは何度やっても勝てない。
とにかくカードの場所を覚えていられないのだ。2枚までしか覚えられない。次のカードを覚えたらその前に覚えていたカードを忘れてしまう。
一方うちの長女はめくったカードの場所をすべて覚えているのかというくらい、どんどんカードを当てていく。「何枚くらい覚えているの?」と聞くと「10枚しか覚えてない」と返ってきた。10枚も!これが小学生のふつうなのか、それともうちの子が天才なのか。
見ているとカードの場所を覚える時に不思議な手の動きでカードを指差したりしてる。テレビでメモリーアスリートが嵐の曲を全曲覚える時にやってたやつ!もしかして長女も頭の中に記憶の宮殿持ってるの?シャーロック・ホームズと同じなの?ますます天才疑惑が大きくなった。
そんな長女と比べて私の記憶力の低さよ。
思い返せば普段の生活でもいろいろ忘れている。そして忘れっぽさによる弊害がいろいろ出ている。
夕方米を研いで「まだちょっと早いので30分くらいしたらスイッチを入れるか」と思ってそれきり忘れ、晩ごはんの時にご飯が炊けてなくて怒られる。
飲み物を取りに行こうと自分の部屋から出たら数歩で目的を忘れてトイレに入り「ちがうちがう」と出てくる。
本を買って読み終わってから本棚に同じ本があったことに気づく。(数ヶ月前に読んでた)
こういったことは日常茶飯事だ。最初は自分で「ドジっ子ちゃんなのか、かわいいところあるな」と受け止めていたが途中で「もしかして記憶力の問題では?」と気づいてしまった。
おっさんになったことで記憶力が低下したのか、若い頃から元々記憶力が低かったのか…今となってはそれすら思い出せない。
このエッセイの内容もさっきお風呂の中で思いついて忘れないうちにと慌てて書いてるのだけど、頭にあったはずのおもしろエピソードがもう思い出せない。そろそろ風呂場にメモを持ち込むようにしないといけないかな。
あまりにも忘れっぽいのでこのままでは自信を持って生活できなくなるのでは?と不安を覚えたので少し前から日記を書くようになった。
その日あった出来事、自分が考えたこと、食べた食事などを思い出せる限り書いてある。書き残しておけば、忘れても日記を読んで思い出せる。脳のメモリが小さくなったので代わりに記憶を保存しておくハードディスクを手に入れたようなものだ。
月ごとにファイルを作成して、毎月月末になったら新しいファイルを作成すると同時に前の月の日記を読み返して一月分の記憶を再インプットする。つい一ヶ月前の日記を読んで「え、こんなことしてたっけ…??」となるのは悲しいがずっと思い出せないよりはマシだ。
日記を書くことで忘れたことを思い出せるようにはなったけど、記憶力が低いことには変わりがない。このままではいつまで経っても長女に神経衰弱で勝てないので、今年は記憶力アップを目指して頑張りたい。忘れないように日記にも書いておいた。
最後にこのエッセイの内容にぴったりな曲を見つけたので載せておく。ドライブ中にラジオから流れてきたのだけど、笑っちゃって事故るかと思った。
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