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私という人生-幼少期編-

私という人間が生まれるまで、そして私を子とし父母私の家庭というものが生まれるまでをざっくりと語ろうと思う。

いわゆる高学歴男子の博士課程の厳格な家で育った長男の父と真逆の貧しい大家族の長女の母で社会人の間に生まれた私。

母の貯金を切り崩して最初は生活していたらしい。そりゃあ父は学生だもんな…それは仕方ないとかでは無く、母、、いや私の家庭の不幸の始まりだったんじゃないか。

父は幼少期祖母祖父のスパルタで期待を一身に背負い勉強ばかりしていたとか。かくいう祖母祖父は孫の私に対しても手をあげて"しつけ"をするような人だったから若い時は相当な物だっただろう。きっと父も両親の見守る愛を知らないのだ。

母は4兄妹の長女として貧しい家庭に生まれた。まあ、負の連鎖は続くもんでこの父母、私からして祖母祖父は祖父は頑固でいつも小言を言う人。気分屋ですぐに意見を変え、祖母はそれにはいはいと付き合わされる人。おそらく愚痴も相当母に言っていたのではないだろうか。母と年の離れた兄妹たちは皆甘やかされて育った、母と言う姉に甘えて当然と言うのは親戚が集まるとすぐにわかる。

さあ、そんな両親とも家庭不全ましてや格差婚で育った私はもう書いているだけでハードモードである

父は本当は料理人や音楽家になるのが夢だったようだ。しかしそれを両親の期待に答えるべく(当時はそうするしか生きるすべがなかったんだろうと今だから思える)学者になった。その叶えられない夢を娘に託す。

母や祖母そっくりになっていった。父の顔色を伺い常に良くも悪くも相手優先。口癖はごめんなさい。

私は生まれてすぐに父から厳しい教育を受けた。4歳(記憶にある最後)には中学レベルの英会話を夜中の2時まで1ページ分の会話を丸暗記するまで寝かせてもらえず、5歳からはヴァイオリンを習わされた。

当然どれもやりたくて始めたわけでは無いし、当時の父は自分の狭い勉強と言う世界以外は全て頭の悪い人間がやる事だと思っていたし(いや今もか)そんな狭い中の世界が絶対な幼少期は、それをやるしか生きていくすべが無かった。

さて、そんな恐怖政治な家庭に24時間ほぼいるわけで常に身の危険を感じていた。物を投げつけてくる、髪を引っ張るは当たり前。成績が悪いと鼻血がでるまで殴るもあった。そうした恐怖心からよく怖い夢も見ておもらしも小学生に入ってもしてしまってまたそれで怒られたりしていたと思う。

そんな中母は少し仲裁に入るものの身を呈してまで守ってくれなかった。もう私にはその記憶がなく「もうやめて」と大きくも無い声で言っては「うるさい!」と父をさらに加熱するだけだったと思う

何かあるたび、出て行け!バカが!結婚はバカがするものだ!そう怒鳴られ続け外にもまともに遊びに行かせてもらえず、コミュニケーションを学べる小中は完全に私は機会を失っていた。

それもあってか小学校からはほとんど友達ができなかった。流行りのシールやかわいい文房具も一切買ってもらえず服装もいつもヨレヨレのユニクロの赤いパーカーにジーパンだった。本当はオシャレがしたかった。流行りの話を友人としたかったしジャニーズにも夢中になってみたかった。

NHK以外をみていることがバレると殴られ、欲しいものやしたいことがしたいと言うという行動は私の中で無いものなっていた。

その頃からか。私は父の財布から度々お金を盗むようになってしまっていた。同級生が小学校で月に1000〜3000円もらっているのに対し、月に300だった。当時リボンやなかよしなんかの漫画は4・500円で私の小遣いだと連載すら読めなかった。絵を描くのや漫画が好きだった私はこっそり1000円をくすねて貯めていた。

帰ったら勉強しその夜父に報告、発表、合格しないと寝るという基本行為すらできないので、学校に行ってる時ですら恐怖で家に帰るのがとても嫌だった。

そして泣きっ面に蜂。小三に父が博士課程を終了し、東京に戻ってきたことを機に、転校先でいじめまで始まる。

コミュニケーションをとる方法がわからない。オシャレも流行りのものもモテない。おどおどしている。そりゃあそうなってしまうだろう。そしてそのいじめは中学を卒業するまで続いた。

中学〜少し未来の開ける高校までは次回書こうと思う。

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