見出し画像

インターネットのお仕事に関わるまで

私がインターネットに関わるお仕事をさせていただくようになって彼此20年になります。
私はのちに「就職氷河期世代」と呼ばれる世代です。
元々は学生時代は教員を目指していたものの気づくとアルバイトと音楽にのめり込んでいたので方向が定まらず気づくと大学4年生。「何者にもなれない人間」になっていました。。。

大学生時代

子どもの頃からいわゆるゴリゴリの歴オタでした。野球とプロレスと日本史が好きでそれ以外に興味を持てない本当にバカでした(笑)
のちに音楽と出会ってしまいよりバカに拍車がかかります。
その好きなものの一つである「歴史を教える」ということを生業にしたいと思い、上京前は大学で教員免許を取って地元大阪で社会科の教員になろうと思っていたのです。
それが気付くと大学生活ではキャンパスのすぐ近くに住んでいたのに大学へ行っても友達に出くわすとすぐ学食へ行ったり、バスケコートの近くを通ったら友達に出くわしバスケをしてしまったり、喫煙所の前を通ると一緒にタバコを吸ってしまったり、その足でカラオケへ行ってしまったり。。。
そして気付くとバイトの時間だったり飲み会だったりと。。。
まぁ、なんて親不孝なのでしょう。。。自分の息子がこんな自堕落な生き方をしていたら折檻ものです(笑)
あとは「互いにギターを鳴らすだけでわかりあえてた奴もいたよ、Oh 戻れるなら in my life again」とサザンのya yaの歌詞そのままに音楽ばかりやってたので学業からは遠ざかるばかりでした。

何者にもなれないという現実

気付くと大学3年生の晩冬。街にはサザンオールスターズのTSUNAMIがよく流れていました。
今はもう閉店してしまいましたが当時多摩センターのTSUTAYAでアルバイトをしていました。
同学年の仲間たちは休憩室で「〇〇の面接だった」、「〇〇から内定もらった」などと言ってるのに対して私は「へぇー」と言ったぼっさり具合で就職に中々本腰が入らない感じではありました。当時の彼女、今の奥さんも「内定をもらった。来年からSE」と言ってましたがこちとら「『SE』ってなんや??」状態でした。
というのも大学の学生課で見かける企業や職種も大体営業職ばかりで「なれるのってこういう仕事だけなの!?」と唖然としたのを覚えています。

インターネットと出会う

そこで彼女さんから言われたのが「ネットでリクナビを使ってみたら?」と言われたので一念発起しパソコンを購入。
これが私とインターネットの出会い。
当時は電話回線を利用して「ピィィィィーガァァァァァァ」と接続音を轟かせて繋ぐため電話が通話できなくなる今では考えられないダイヤルアップ全盛でした。
また、TSUTAYAの仲間が当時出始めのdocomoのP501でiモードを利用しているのを見てテクノロジーの進化を目の当たりにしたのです。
それまで手打ちだった着メロがダウンロードできたりEメールが使えたり、そのEメールで絵文字というシャレオツなものが使えたりと得体の知れないデバイスが突如目の前に現れたのです。
早速電気屋へ一目散にバイクを飛ばしてiモードを契約しP502を購入しました。
2000年はインターネット黎明期で私の人生におけるターニングポイントでありパラダイムシフトが起きた瞬間でした。

その後インターネットにどハマりしていきます。
中でも大好きだった格闘技やプロレス、LIVEのチケットがこれまでチケットぴあなどに電話をして予約していたのがインターネットで簡単に購入できたりするようになりその技術革新に魅了されていきます。
iモードの公式サイトも必要以上に着メロサイトへ登録してしまったりと本当にいいお客さんだったんだろうなと思います。
気付くと「こういうことを仕事にしていきたいな」と思うようになっていました。
気づいたら大阪に戻って教師になるという夢も遥かかなた。。。
またしても親不孝道ど真ん中を走っていました。

就職するも

大学卒業後、システム開発会社にて第1システム開発部にて生命保険営業ツールや顧客管理端末開発プロジェクトに携わりました。
所謂見習いSE的な感じだったのですが激務且つプログラミングに対してのセンスがこれっぽっちもなく向いていないことを悟りました。
何より無知だったのがSE=インターネットのお仕事と思っていたことです。。。不勉強とは恐ろしいものです。

出会う

2002年、アルバイトなどで食いつなぎ、ある日テレビを見ていると「若きIT社長に密着」的なものがやってました。
その番組を見ながら「こういう人とこういう会社でインターネットとかの仕事したいねん」と呟いていたら、気付くとその会社でその社長の下で仕事をしていました。
今でも言霊ってあるんだなって思います。
その会社では着メロや着うた、着ボイスなどのデジタルコンテンツ企画制作業務へ携わり、その後、メールポータルサービスや某文字が流れてくる動画サービスの立ち上げに携わらせていただきました。
私の人生において20代のほとんどを過ごし人生の骨子となる経験をたくさん積むことが出来た期間でした。
Webコンテンツ黎明期におけるパラダイムシフトのうねりに身を投じていくことになりました。

当時は音楽コンテンツ全盛の時代でよく売れる曲をいかにスピーディーにコンテンツ化していくかであったり、おもしろフレーズをもったタレントさんをアサインして着ボイスなどへコンテンツ化するといったコンテンツ企画からはじまり、その後動画の企画制作へと移っていった感じです。
企画から制作進行、企画、渉外まで何でもやるマンだったので今でいうところのPdMの走りのようなものでしょうか。
今でも思うのですがタレントさんや政治家の先生とお仕事をさせていただくといったすごく浮世離れした毎日を過ごしていたため「これって夢の中とか三途の川で見るような走馬灯的な夢現の世界なんじゃないか?」と思いながら仕事をしていました。
ただ、大学生の頃にぼんやりとやりたいなぁと朧げながら思っていた仕事をいつの間にかやっていました。

これが私がインターネットのお仕事に携わるようになっていった導入の部分です。
続きはまた今度。

この記事が参加している募集

就活体験記