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エブリ・ブリリアント・シングの考察②時系列の整理(追記あり)
こんにちは!関心を持っていただき、ありがとうございます。こちらはエブリ・ブリリアント・シング(以下EBT)の考察②「時系列の整理編」です。
下の記事で、考察が必要だった理由や没入感の仕掛けの考察など(公式情報以外のネタバレなしで)前置きとしてまとめていますので、よろしければそちらも併せてご覧ください。
ここから下はがっつりネタバレしますので、ネタバレが苦手な方やまだ観ていない方はご注意くださいね。
![](https://assets.st-note.com/img/1696322571256-PQDNkfawVf.png)
以下のリンクはイングランドのTheatre By The Lakeが公開しているEBTの脚本です。この脚本を中心に、日本版EBTと参照して考察しています。
Every Brilliant Thing by Duncan MacMillan - Theatre by the Lake
周辺情報のおさらい
EBTの舞台はイギリスですが、そのどこかは不明です。ただ、イングランド南東部のケント州とロンドンではないようです。なぜならサムとの新婚旅行にケント州のウィスタブルに行き、その後ロンドンに引っ越したと語っているからです。
After the wedding Sam and I went on holiday to Whitstable in Kent. We were so happy. The sun shone every day. We ate the most incredible seafood.
We moved to London.
昔は階級層ごとに好んで住む地域がはっきりしていたようなので、両親の家はもしかするとその傾向が現れているかもしれませんが、そこは曖昧に描かれています。後半「僕」がサポートグループで自分はBritishだと言っていますので、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドのうちいずれの出身なのかも不明です。しかし最近ではイングランド出身以外のアイデンティティをもつ人たちにとって、Britishと名乗りたいかどうかという考え方もあるようです。
YouGov-Cambridgeという調査機関の世論調査報告レポート(Public Opinion & the Future of Europe、発表は2012年3月15日)によれば、「あなたは自分を何人とみなしていますか」という問いに対し、英国人の60%がEnglish、7%がScottish、3%がWelsh、1%がIrishと答えており、自らをBritishとみなしている英国人は23%に留まっている。
(中略)
ただし、スコットランドやウェールズの多くの人にとっては、Britishと呼ばれるよりはEuropeanと呼ばれるほうがましであるかもしれない。一方で、自らをBritishと認識する23%の英国人はEuropeanと呼ばれることへの反発はより大きなものであるに違いない。
さて物語は、1987年にイギリスのどこかで「僕」のお母さんの自殺未遂から始まります。当時、僕は7歳でした。お父さんとお母さんの年齢は不明です。
この機会に家族以外で関わりが語られた人たちも整理してみます。
【登場順に】
★THE VET(獣医さん)
★The OLD COUPLE(チョコレートとジュースをくれた老夫婦)
★Mrs Patterson(カウンセラーの先生)
★The sock dog(靴下犬)
★The LECTURER(大学講師)
★SAM(サム)
★リストが123321を超えたあと、コピーさせて!とか書かせて!と声を掛けてきた人たち
★結婚式の招待客
★A Support Group Members(支援グループのみなさん)
★My Mum’s friends and colleagues(お母さんの友達と同僚たち)
ちなみに結婚式の際、日本版EBTでは大学講師が出席していますが、Theatre By The Lake版(以下Lake版)では獣医さんが呼ばれていないのに出席しています。
お母さんの葬儀ではお母さんの友人と同僚が参列し「僕」と会話したと語られますが、親戚に関しての描写がないので、「僕」の祖父母やおじ・おばなどの親戚はすで亡くなっているか、疎遠なのかもしれません。
僕の生まれた年は何年か
1987年に「僕」は、当時7歳だったと語られます。素直に考えれば「僕」は1980年生まれになりますよね。それを基点に時系列を整理すると下の表のようになります。
![](https://assets.st-note.com/img/1696324464975-f3kVMou1Yw.png)
1998年のところを見て欲しいのですが「大学➡ウェルテル➡サム➡クリスマス休暇」という順になっています。気付いた方も多いとおもいますが、劇中のエピソードの順番とは入れ替わっています。劇中で西暦が明確になるのは7歳だったときの「1987年」とサムと恋に落ちた「1998年」だけなので、1980年に「僕」が生まれたとして整理すると、この順番になるのです。
設定ミス?そうはおもえない。EBTの考察をしていると、この物語の緻密さに驚くことばかりだからです。ストーリーの仕掛けとして時系列がシャッフルされた?でも、EBTでそれが必要だったともおもえません。
今回はこの問題を考察しながら、時系列の整理をしていきます。
まず前提を整理してみる
自分で書いていてもややこしいので順に説明していきますが、その前に前提を整理しておきますね。
【前提①】
まず、イギリスの教育制度についてです。厳密にはEngland・Scotland・Wales・Northern Irelandの4地域で少しずつ異なりますが、当時の義務教育の最終年齢は共通して16歳で、今回の問題に影響しないため、ここではイングランドの例で説明します。
現在イングランドは18歳までが義務教育ですが、当時は5歳9月~16歳7月まででした。日本のような高校はなく、もっと学びたい人や大学進学の希望者が16歳9月~18歳7月までの2年間、Sixth Form Collegeで大学入学資格の取得を目指します。大学は18歳9月~21歳7月までの3年間です。
・ここでは学年度に注目してください。
【前提②】
お母さんの2度目の自殺未遂の時期について、日本のEBTでは「お母さんが2度目のコトを起こすまで、そのリストを10年以上忘れていた」という表現をしたと記憶しています。一方、Lake版の脚本では「1度目からちょうど10年後」と書かれていて、1987年から10年後の1997年だとわかり、「僕」が17歳のときのエピソードであることが確定します。これで「僕」がSixth Form Collegeに在籍する1年生か2年生のどちらかに絞られました。その後「僕」はリスト作りを再開し、大学進学の1週間後にも手紙でリストを実家に送ったと語ります。
・ここでは、17歳の僕がSixth Form Collegeの1年か2年だったということに注目してください。1980年生まれならば1年生です。
【前提③】
ここでは劇中のエピソードの流れの整理をします。
「僕」が進学後の最初のクリスマス休暇で帰省したとき、手紙で送ったリストが実家の机の上にあるのを発見します。そして、お母さんに何の変化もないとわかると、そのリストをお気に入りの本に挟み「そのことは忘れた」と語ります。ひっそりした重苦しいクリスマス休暇を終えた1月、大学に戻るときにお父さんから箱いっぱいのレコードを受け取ります。大学では唯一の講義を除いてほとんど出席せず、部屋でレコードを聴いて過ごします。講義中、若きウェルテルの悩みに憤りを覚えた「僕」は図書館に通うことになり、そこでサムに出会うのです。この流れは日本版EBTでも Lake版でも同じです。
・ここでは、エピソード間のつながりに注目してください。
問題はここからです。
前述の通り「僕」が1980年生まれならば大学入学は1998年なので、進学して手紙を送ったのは1998年の9月で、同年の12月に帰省して失望することになります。このエピソードの順番は動かせません。「失望したクリスマス」は1980年生まれならば1998年のクリスマスです。
しかし、劇中にサムとの思い出を振り返りそれが1998年だという台詞があるのです。これも明言してるので動かせません。ということは大学入学からクリスマスの前までにサムと恋に落ちたことになります。「クリスマス休暇」後に大学が再開するのが1999年の1月以降だからです。1998年の9月より前にサムに出会うこともできません。「サムと出会ったのは図書館」で、「図書館に通った」理由は「若きウェルテルの悩みを知り憤った」からであり、「若きウェルテルの悩みを知り憤った」のは「お気に入りの講師の授業で紹介された」からです。「サムとの出会い」と「大学生活」は連動したエピソードなのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1696346178547-lhdWag67GK.png?width=800)
「失望のクリスマス」と「図書館でサムに出会う」 この2つの出来事に関連がないなら、進学してからすぐにサムと恋に落ちることに問題はありません。わずか4ヶ月間でも出会い➡両想いになる例はたくさんあります。ただし「僕」が「図書館通い」をしたのは「ウェルテル効果」に関する資料を読むためなので、ここは切り離せません。
I left the lecture and went to the library. I read up on social contagions; obesity, divorce, suicide.
「ウェルテル効果を知る」と「失望のクリスマス」はどうでしょうか。入学当初から、特定の講義以外は出席せずに自室にひきこもってレコードばかり聴いて過ごすことはありえます。レコードは自分で買ったものかもしれませんし、以前にもお父さんからもらっているかもしれないので。同様に、特定の講義だけの出席は「失望のクリスマス」がなくてもありえます。さらに「失望のクリスマス」を経験する前に「若きウェルテルの悩みに憤る」ことは、7歳と17歳でお母さんの自殺未遂によってすでに影響を受けているため不自然な反応とはいえません。
ここまでの「失望のクリスマス」と「図書館でサムに出会う」が関連しないと仮定した場合の時系列を整理すると「大学進学➡ひきこもりレコード生活➡お気に入り講義➡ウェルテル効果に憤る➡図書館➡サム➡失望のクリスマス」という流れになります。もやもやしますが、なくはないですよね。
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でもそのあと、両想いになった「僕」がサムのためにリストを作り始めるんですよ。
サムが1000~1005までを書き足してくれたのを見つけて「僕」は驚きます。そして1006にSurpriseと書く。それから2000まで書きたくなって、手がしびれてきても眠らずに書き続ける。2006まで書いた翌朝、そのリストをサムに見せるために図書館に向かうのです。
The next morning I took the list and I ran to the library and Sam and I kissed for the very first time. From that moment on we spent every second together. I wrote new list entries every day as a gift for Sam.
このあと、予定では「進学後はじめてのクリスマス休暇」を迎えます。
そして「僕」は何も変わらないお母さんを見て希望を失い、送ったリストをお気に入りの本に挟み「忘れる」のです。
「僕」が大学生になる前のエピソードで、最後に読み上げられたリストは999でした。
999. Sunlight.
サムが1000から書き足したリストは、お母さんに生きる価値を伝えるために書き始めて、進学して家を出ていってもお母さんを想う気持ちが変わらないことを伝えるために、手紙で送られたリストでした。
つまり「進学後はじめてのクリスマス休暇」より前に、サムが手にすることは不可能なリストです。これで先に出会っていた説は消えました。
たどりついたこたえ。
正直言って、すごく悩みました。
でもそんなに難しいことじゃなかった。1987年に7歳だった「僕」は、年内に8歳になる1979年生まれだったんです。
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わかってしまえば単純な話なんですが、思い込みってこわい。そしてやっぱりEBTは緻密。こんな単純な設定ミスをするわけがない。
(追記)
ただし、原作者のDuncan Macmillanは1980年生まれで、彼と一緒に原作を育ててEBTに仕上げた劇団The Paines Ploughのガイドに「(Macmillanの)自伝的作品なのかも」という解釈があります。なのでもしかすると「僕」も1980年生まれが正解で、教育制度によるズレがどこかに生じるのかもしれないです。
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さて、ここからは表にまとめた通りです。
大学を卒業して1年後に結婚した「僕」とサムが、何年間の結婚生活で終わってしまったのかが明かされていません。そのため、サムと別れたあとのエピソードはすべて特定することができません。
ただ、結婚した時にロンドンに引っ越し、そこで仕事を得たと書いていることや、お母さんが亡くなってから数か月間をお父さんと過ごした後、車でロンドンに戻ったと語っているので、ずっとロンドンに暮らしていたと考えられます。
離婚する前に、サムが「僕」にカウンセリングを勧めたり、リストのつづきを書くことをすすめたりしています。そのとき、リストは826977で終わっていました。ここから、逆算していって結婚生活がどのくらいだったか割り出せないかと考えたのですが、そもそもふたりが付き合ったときから結婚するまでの約3年間の間にどのくらい増えたかというと、775771項目も書いてるんですよね。
ということで、以下の枠内はこの婚姻期間を推測するのに試行錯誤した記録なので飛ばしても大丈夫ですw
(追記:原作にはないことですが、日本版の設定では「僕」がサポートグループで自己紹介するときに「40代の男性です」と語っていることからおおよその婚姻期間が推定できます)
サムと両想いになった嬉しさで一晩で1000以上書き上げたときのリストが2006で、その日から「僕」はサムのために毎日リストの項目を増やすことにしたと言っていました。そして大学卒業から1年後に二人が結婚したというナレーションの直前に読み上げられたリストは777777でした。つまり、付き合っていた約3年間で書いた項目が775771。
単純に3年で割っても1年に258590ずつ書いたことになり、サムとの合作だとしても、一人当たり年間129295、1日354ずつ書くことになります。徹夜をして1000以上の項目を書いたこともある「僕」ですがそれは嬉しくてハイになっていたからで、さすがに毎日は無理ですよね。
大学生の僕はシャイで誰とも付き合わずにレコードばかり聴いていましたが、サムと付き合ってからのリスト作りでは「コピーさせて」「自分にも書かせて!」と声を掛けられているので、サムとのつきあいで世界が広がったことが伺えます。実際に書き加えた人の存在には触れていないので断定はできませんが、本に挟んだリストをサムに見られたと知ったとき破り捨てようとした「僕」が、リストの存在をサム以外にも理解され肯定されているというのは、すごく嬉しかっただろうと想像できるので、「もちろん!」と答えたんじゃないかな。
とすると、約3年間で775771書けたとしても、サムと「僕」が一人当たり1日どのくらい書けるかを推測できません。なので結婚していた期間を単純に推測するのは無理かもしれない。
…といいつつ。日々の忙しさに忙殺されて喧嘩ばかりしていた二人が、リストを加筆していたはずもないので書いていない期間がどのくらいかが推測できたら、ある程度絞り込むことはできるかもしれませんよね。つまり離婚を考えてからどのくらいで離婚したかということです。
調べてみるとイギリスでは結婚して1年間は離婚できず、司法介入が必須で離婚判決が下されないと離婚できないそうです。離婚判決を得るには離婚事由(婚姻が修復不可能な程度に破綻していること)の成立が必要で、そこには別居期間が2~5年以上続いていることなどの項目があげられていました。(これが全てではありません)
イギリス人との離婚手続き・方法 - 国際離婚相談センター
このことから、サムと「僕」が最低3年は離婚が成立しなかったことが予想されます(DVや不貞行為がない場合)。
結婚後に加筆されたリストの数は49200です(合計826977)。学生の頃のように1日中リストを書くことは難しいでしょうから、平日に5、週末に100(つまり105/1週間)書いたとして1年間に1週間は52回あるので5460/年間で書いたとすると9年と1週間で49245になり、これくらいなら書けそうというところに落ち着きました。
忙しい日々の中でも、毎日1つのすてきなことを二人で決めて加筆し、週末は二人で100見つける。関係がうまくいっていればできそうな気がします。
ただ、9年と1週間は協力してこれを書き続けることができたけど、急に書くのをやめたとは考えにくく、徐々に書く頻度が落ちていって消滅したと考えるのが自然ですよね。逆に、新婚当初はもっと加筆できる週も多かったかもしれません。「僕」はハイになるとすぐ徹夜する傾向があるので。それに関係が良くても、出張や友人との旅行など一緒に作れない週もあったりしたはずです。夫婦仲が難しくなってからはどちらかだけ(おそらくサム)がこつこつ書いていたという可能性もあります。なのでこの方法を取った場合でも、離婚までに少なくとも3~10年以上の期間があったと考えられます。
でもまあ、結婚後も周囲の人に加筆してもらっていた可能性があるので、実際には全くわかりません。不貞行為やDVがなければ少なくとも3年は離婚が成立していないということはいえそうです。
826978がどうしても書けなかった「僕」はすべてのリストを捨てています。離婚したのは表に示した通り、結婚したときの2001年+α(22歳+α)ということになります。
離婚から7年後、ダニエル・ジョンストンのレコードからサムのメモをみつけた「僕」は、靴下犬と話すためにパターソン先生に電話をしています。
このときは2001年+α+7(22歳+α+7)です。
それからサポートグループのセッションに参加するまで、どのくらい時間がかかったかについては語られません。でもそうやって自分を癒している最中にお母さんが亡くなります。「僕」もお父さんも遠く離れたところにいて、直接発見したわけではないことがわかります。
葬儀のときには、お父さんのネクタイを結ぶのを手伝ったり、車の運転をしているので、お父さんのショックの大きさとともに月日が経ったことを感じさせます。
その後の数か月間、お父さんと穏やかに寄り添って過ごし、そこで826977のリストをパソコンのデータに整理していきます。それから残り173022のリストを作り、今度はお父さんのためにそのリストを残しておきました。リストの最後1000000「はじめて聴くレコード」は、お父さんの家で聴いたことになります。自分で購入したのかもしれませんが、お父さんの持っているたくさんのレコードの中にあるのを見つけたと考える方が自然です。(私が最初に書いた記事での妄想は誤っていることがわかりますねw)
つまり時系列的なラストは、数週間後におとうさんから「ありがとう、お前を愛しているよ」と電話をもらったというエピソードになるでしょうか。
(追記)
「お前を愛しているよ」という言葉は、「僕」が、というより観ていた私が一番お父さんに言って欲しかった台詞です。「僕」を救うために、もっと早くに言ってくれていたらと考えてしまうのですが、イギリスの男性とは昔からシャイで感情を表に出さないのが一般的なのだそうです。実際に、原作のサポートグループでの自己紹介は「I’m – you know, British.」であり、その後に言う「ちゃんと話すことが大事なんだと気づいた」という台詞に掛かっているのです。
そんなお父さんが勇気を出して言ってくれた言葉だからこそ、「僕」は泣きそうになるくらいめちゃくちゃ嬉しかったに違いなく、それなのに返した言葉が「感傷的なのは似合わないよ」だったあたりが、いかにもイギリスの物語らしいラストであり、Duncan Macmillanが湿っぽい物語にするのではなく笑える作品にしたかったことの表れだとおもうのです。
以上、EBTの時系列を整理する編でした。
意味があるのかないのかわからない。
でもすっきり!!読んでくれてありがとう!
ではまた。
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