優しいを貪る

キレる、という行動をとったことがない。

自慢ではなくて、キレるというのは技術だと思う。そこにデメリットが存在するだけであって。

ゲームとかでいう、呪われたスキルみたいな。乱用しすぎるとキレやすくなってしまったり、場を制せる有能感に浸ってしまったり。そういうマイナス値みたいなのを管理しながら上手く使っていく技術なのだろう。

そのスキルを僕がなぜ習得できないのかと考えると、これまた呪いがかかっているからだ。その名も「優しさを貪りしもの」である。

気が弱いからか、昔から「優しい子」という評価を受けることが多かった。小学4年生あたりで幾つかの理由により学校に適応できなくなり、不登校となった。その際も、周囲の評価は「優しすぎるから」みたいなことだった。いま考えれば、大人が言い訳を用意してくれたのかもしれない。

不登校まっただ中の当時、枠を外れてしまった自分はその評価にすがった。「優しい自分」は、僕の唯一の武器。アイデンティティであった。

結局、大人になった今でもこれにすがって生きている。ただ僕が怖がっているだけなのかもしれないが、この評価が崩れた時、一気に居場所が無くなるのではという恐怖がある。だから、優しい自分を研究し、それを演出している。

そして、思惑通りの評価をむさぼって安心するのだ。これで簡単なことでは嫌われないぞ、と。

そんなことを続けてきたものだから、素直に嫌な感情を出すことができなくなった。呪いのアイテム「優しさの仮面」を装備してしまったのだ。教会にいって呪いを解いてもらうしかない。そして現実にはそんな教会はない。

もちろん、何も身に付いていないわけじゃない。優しくあるために、人の辛さを想像できる技術がついた。
しかし、その想像のどれもが、苛つく自分を落ち着かせるためのものだ。
仮面を自ら外すのと、ひとりでに外れるのはわけが違う。必死に片手で支えながら、仮面の奥から声をだすのだ。

こんな、他者の評価ありきの優しさはまやかしだ。
本当の優しさというものは、自分の中から産まれるべきものだ。自分がこうじゃないと嫌だ、そういうような。

僕は自分に向いている視線のことしか気にしていない。どうあるべきか、そういう姿勢が欠如している。

ここまで書いて、そんなに考えられのは優しいってことだよ、なんて感想を持たれることまで予想済みである。どうしようもないやつだ。優しくなんてないのに、優しくないと生きていけない。

こんな男が嫁さんと結婚して2年以上たった。仮面が少し崩れる場面も多い。しかし、そんな僕を知っていることは、心が安らぐ。それが家族というものなんだろうか。

・・・どうも、困ったら嫁さんをオチに使いがちだ笑 ごめんね。

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