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今日のこと―長引く鬱病、共感、シャインマスカット―

今日は診察日だった。

4週に一回の、メンタルクリニック。

鬱病治療、9年のうちの5、6年ほどは今の先生にお世話になっている。


今回は、一段と鬱状態もひどく(特に診察時にいちばんぐったりしていた)、抱えていて相談したいこともあった。

調子の悪くないときはその場で話せるけど、無理そうなときは話したいことをメモしていく。これはよくないことだというひともいるけれど、今日はたまたま本当に、話すこともままならない状況だったから(ここまでの状態はレアでした)、書いていってよかった。

1ヶ月をさかのぼって振り返って状態がどうだったか考える作業は、結構負担。過去を見ると具合が悪くなる。でも、家にカメラつけてそれを見てもらうわけにいかないから、自分が話さないといけない。そりゃそうだ。


今回、本当に深刻に苦しんでいることがあった、親にも相談できないことで。



父が3月で定年退職になる。引き続き、今の職場で再雇用してもらうつもりらしいのだ。

そこまでは、わかっていた。

申し訳ないなとも、思っていた。


ただ、親は私に気を遣わせないように教えないでいるけれど、聞こえてしまった。



給料が、現在の半分になると。



母は働いていない(私より前からメンタル治療中)。

同居の妹には、生活費を上げてもらうかもしれないと、母がお願いしていた。その会話が、私の耳に入ってしまったのだ。




、、、、、、鬱病無職の私。まだまだ今の感じでは、働ける見込みのない私。


これ以上、家族に負担をかけるのは嫌だ。




ちょうど、今の先生にお世話になる前の病院で、バイトの面接受けては落ち、就活してもすぐダウン、が続いていたとき、


「障害年金というものがあります」

と、当時の先生に言われた。


その時の私は、

”障害” という、突然出てきた言葉の意味が分かっておらず。

「今で言うと3級に相当します、片腕がもげたような◎◆※△☆@、、、、、」


その後の話は耳に入ってこなかった。


そのときは、”つらいんだ”という気持ちをわかってほしかっただけで、単純にお金が欲しいからそのことを話したわけではなかったのだ。

総合病院だったのもあり、特別な部屋に通され、ネット情報をただプリントしたような紙を数枚渡され、その受給に関して説明を受けたものの、全く頭に入らず。


とりあえず、家に帰って家族に相談したら、

「あんたは障害者なんかじゃないでしょ!!!!」

と。

「そういうこと言われるようなら、病院変えたら?」

とかなりご立腹だった。




と、いう流れで、今の先生の所へきたのだった。

今の先生は、それまで飲んでいた抗うつ薬を体に合うものに変えてくれたので、助かった。




、、、、、、で。今日の話に戻ると。


今日相談したかったのは、その、障害年金についてだった。

父の収入が減り、家族が苦しくなってくる以上、私が障害年金を受給すれば少し家族の負担が減るのではないかと考え、改めて調べたら、

、、、、、、これがまた、9年前に発症したものを申請するとなると、結構なハードルになりそうだったのだ。

初診の日の様子を、そのときの担当医に書いてもらう(多分)のだが、私のように最初から精神科を受診していない場合は、その最初に体調を崩して通院した科にお願いしないといけない。

思い出せば、初診は2012年夏。総合病院の、気持ちの悪い内科医だった。

その後、個人病院の耳鼻科に行ったが、そこも嫌な思い出で満たされている。ヤブ医者だった。

そのあと、総合病院の科を転々とし、精神科にたどり着いたのは秋。


もう、何も思い出したくない。


確実に心の負担になる。

ましてや今、鬱病の状態は下降している。ここで無理をすると、さらに長引いてしまう。


そして、きっとまた反対される家族(というか母)に、内緒でこの手続きをすべて行えるほど、私はタフな状態ではない。これができたら、きっと仕事ができている。



ただでさえ、母からの否定の言葉をシャワーのように浴びたこの4週間は、つらかった。

お金のこと以外にも、「あんたは贅沢だ」「無理してでも笑え」「自分に活を入れろ」「感謝が足りない」など、母からの説教が絶えず、そして、それをすべて本気で受け取ってしまう自分がつらくて。

ちょうど、今朝も、何気ない会話をしていたら、急に母の声色が変わって

「あんたって本っっ当に欲深いね」

と、予想だにしない展開で説教を受け、参っていた。




そんなんだから、診察直前に頓服の向精神薬を飲み、ぐったり診察になってしまった。



メモの紙を、解読してくれる先生。



ただ、

先生はあまり感情を出さない。

何があっても、落ち着いている。

、、、、、、よく言えば。


そうでない言い方をすると、

共感をしてくれることが、ほぼない。



今日も、そうだった。


ただ、さすがに経済的な件は、どうしても相談したかったので、意見を求めた。

家族には否定されるから、そしてお金に対して贅沢だと言われるから言えないけれど、今の状況の私が障害年金を申請することはどうなのか。



あまり、たくさん話す先生ではない。

そして、決まり文句は

「今できているたのしいこと、できるだけ、たくさんしていけたら、いいですねー。」

母のことで悩んでいたら

「できるだけ、距離をとってね、いい距離感で、生活していけたら、いいですねー。」




そんな先生が、年金のことで言った結論は、



「まずは、家族に理解してもらうことですねー。」






、、、、、、、ああああああ。




先生。




それができたら、

先生に相談する必要、ないんですよ、、、、、、


そこが、今の状況では難しいから、先生に話しているんです。




そのあと、先生に対して私が何を言ったかは覚えてないけれど、

様々愚痴ったうえで、”先生が困っている”ということも気にしてしまう私は、

「、、、、、、先生に話したところで、仕方ないんですけどね、、、、、」


と、思わず言ってしまった。



「もう生きたくない、、、、、、」

と、もう机にほぼ伏せた状態になってしまった私に、先生は、




「お薬は、いつも通りで。」


と、もう、切り上げようとした。




うん。



仕方がないと思う。




思うんだ。




これ以上話しても、私はこんな状況だったから。




ただ、ただ。


ここでしか言えないから、言わせてほしい。





メンタルの治療において、

先生にくらいはわかって欲しい、ということがある。のに、

わかってもらえないと途方に暮れる。

わかってほしいと願うこと自体、贅沢なんだろうか。

母の言うように、私は欲深いのだろうか。



ひとなんて、わかりあうことは不可能だと思う。

SF作品のように、心も体も入れ替わるということは、できないのだから。


でも、

頭ではわかっていても、心がわかってくれない。

共感しようとしてもらえない、それが感じられないひとのところにお話をしに、4週間に1回、具合悪くてもがんばって通う。



いったい、なんのために通院してるんだろう。


そう思うのは、正常な感情ではないのだろうか。




”家族に理解を得る”
ってことが自分の力でできる状況なら困ってないよ、先生。


つらいよ。





とりあえず、自立支援医療継続の手続きのために診断書をもらうまでは、ここに通うしかない。お金がないから。

(申請すると1割負担になる。年1回の申請ももう、何回しただろう。)



診察後、薬局に行ってから、施設のホールの椅子に座ったまま、しばらく動けなかった。




憂鬱で動くのもつらく、コンビニや近辺の店を見ていても頭も回らず、帰れもせず。


抜け殻状態で駅周辺をうろついていたら、

私のiPhoneに着信。母からだ。

やばい、出られなかった。怒られるかな。


おそるおそるかけなおしたら、なんと、



"ケーキ買ってきた"のお知らせ。





、、、、、、あんなに重かった身体が、もう嘘みたいに動いて。


すぐに駐輪場に向かい、自転車で家へ。




初。

シャインマスカットの、チーズケーキ。


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鬱状態の極みだった私は、糖分補給でみるみる元気になっていく。


シャインマスカットが、クリームより甘かった。


心身に、沁みわたった。





結局、


家族に苦しんでも、家族に救われる。


それはしあわせで、悔しくもあるんだよなぁ。





苦しみは消えない。

おいしいものと、お笑いと、音楽。

なんとか、3秒先までは生きられるなにかを、必死に探す。



そういうひと、きっと、世の中にたくさんいる。


私だけじゃないと思う。




とりあえず、ほかのクリニックの先生にも、診てもらうことを考えようか。


自分に合う先生って、どんな先生なんだろう。


もう、9年も経つし、何か、動いてみてもいいかもしれない。


また、イチからいろいろ話すのが大変だけど、、、、、、




踏ん張れ、自分。

毎日消えたくなるけど、私だけじゃない。




私のような立場のひとが、暗闇から抜けだせる方法を、見つけ出すことができますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。