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鬱病歴10年の自分を芸人さんと重ねて目が醒めた―ニューヨークのニューラジオ―

お笑いに逃避していたが、
最近、聴けていなかった音楽が聴けるようになってきた。

いちばんのたのしみの音楽を、心がうまく受け付けない感じになっていたので、
自分の中ではかなり進歩した。


ただ、
メンタルがどうしようもないときは、
いちばんおちつくのが、
『ニューヨークのニューラジオ』

お笑いコンビニューヨークのYouTubeチャンネル内で、
日曜22時から放送されるものだ。

今メディアでの仕事も大忙しのふたりだが、
ここでのふたりがいちばん自然体、素、な感じがする。

どんなに今売れていても、
基本的な考えが庶民的だったり、
完璧になれない、かといってずるい世渡り上手にもなれない自分たちに対して嘆いていたりと、
いつも視聴者と等身大でいてくれる彼らの感じがいい。

聴いていて、安心感がある。
芸風が毒や皮肉と称される彼らだが、
私と同世代、等身大のふたりの会話が、今の私の心の安定剤になっている。




鬱病10年生の私。
25歳で発症したとき、36歳になるこんな年になっても、まだ鬱病無職で社会に出られずおろおろしているとは思わなかった。

今、夢や目標が叶わないかもしれない現実を目の当たりにしていて、
何をどうしたらいいかも、何のために生きているのかも、もうわからなくなっている。

希望をもつからいけないとか、自分に期待しすぎるから落ち込むんだとか親に言われて、
じゃあ何も考えず死んだ目で生き続けていくのがいいのか、私には何もできないと思って生きていくのか、、、、、、
それって、生きていてたのしいだろうか?

もう、意味が分からない状況で。


お先真っ暗だけど、先日もいつものように、このチャンネルを再生した。
たしか、日曜22時からのリアルタイムには間に合わなかった。

※6/12配信。

この日は、嶋佐さんのだいすきな格闘家、武藤敬司さんが引退を発表した直後で、ショックを受けているところからスタート。

話は進み。

ニューヨークのふたりがMCをつとめ、YouTube上で配信されていた音楽番組(最終回を迎えてしまった)の話から、
”アイドルって大変だな”、という話題。
裏ではやんちゃしているとか噂されたり、誹謗中傷に遭ったりするが、
決して儲かる仕事ではないし、”アイドル”という仕事はすきじゃないとできないよな、と。
まだ駆け出しのアイドルが知名度もないうちからチケットを手売りしたり、ビラ配りをしたりしている、という話も聞いたようだ。

芸人だって、売れるまでの苦労ははかりしれない。
それなのに、

屋敷「俺たちの歩んできた道はだいぶアスファルトやな」

と言うくらい、苦労しているアイドルの様子を目の当たりにしたようだ。

すきじゃないとできない”。

屋敷「芸人も、すきじゃないとできんよ」

と、ブレイクしていないときの芸人の話に。
ニューヨークも下積み時代を経験しているし、ネクストブレイクと言われ続けながらもくすぶり続けた時代が長かった。

”会社に就職したひとと、売れていない若手芸人を比べて
芸人が勝っているところは何か?”

という話題になった。
収入は完全に負けている、嫌な人と一緒にいないといけない(上司に嫌なことを言われるなど人間関係のストレス)などはない、でも結局バイト先には嫌なひとがいたりするんだけどな結局、という展開に。

屋敷さんの分析によると、細かいストレス自体は芸人のほうが少ないと思う、と。


ただ。

屋敷
「んで。巨大な不安が本当はあるんやけど、人生において。
とんでもないかたまりみたいな不安があるんやけど、そっから目を背けるという術をなんか知らんけど手に入れるやんか、芸人やっていくと。将来をみないようにするっていう。笑」

嶋佐
「売れてないけど、みんなたのしそうに過ごしてるじゃん、何年かやると」

屋敷
「言葉の使い方合ってるかわからんけど、、、
未来のことは考えるけど、将来のことは全然考えんというか。
合ってるのかな?言葉。ニュアンスで言うとね。」

嶋佐
「青春感。青春をやれるっていうか。」

屋敷
(深く考えて)
「そうだな。会社は青春じゃないもかもね。、、、、、、
(芸人は)青春だね。売れてないとか、下積みとかじゃなくて”青春の時期”って言った方がいいかもな。」

嶋佐
青春ですよ。大人になっても。」

屋敷
「大人なヤツほど辞めていくしな。ちゃんと未来から将来のことを考えるようになったヤツが辞めていくもんな。」



、、、、、、この話から、

もし自分たちが会社員だったら、と考えて特に嶋佐さんの姿を想像して一緒に笑ったり、
(上からは怒られ下からはちょっとだけなめられている、言いたいことが言えずため込んでSNSの”クソリプ野郎”になっているなど)
自分たちが若手のLIVEに出ていた頃の様々な謎のコーナーを振り返ってとにかく大爆笑していた。
(きっといわゆる”青春”だったんだろうな)




どうして、私が今、この部分をかいつまんで記事に書こうかと思うのかというと。

鬱病10年生の人生くすぶっている私と、
売れる前の芸人さん。

このふたつの状況を、ニューヨークのこの会話を聞いて重ねてみたときに、

結構、芸人さんサイドに見習ってみたら現状が好転するような気がしてしまったのだ。


今、将来も未来も見えない、年齢的にもう夢も目標も失いかけている、
今しかできないこと、今できることをやるしかないけど、
年齢ばかり重ねて、本当にいいのか自分の人生。
生きていて意味あるのか、、、、、、

ちょうどそういう境地に差し掛かった35歳。
25歳からの、女性としての結構大事な時期(大事じゃない時期なんてないのだけど)を鬱病にとられてしまった。
こんなにとられるなんて聞いてない。
私の人生のいいであろう部分をとった”鬱病”は、
私の敵であり、早くさよならしたい存在だ。


でも、

「将来から目を背ける術」
「大人になっても青春」

そして、

すきじゃないとできない」。


この3つの言葉を、考えてみた。


*すきじゃないとできない

思えば、私は自分の”鬱病”と喧嘩してばかりで、
”鬱病”という今の相棒と一緒に生きてみよう、なかよくしよう、たのしく過ごそうなんて思うことがなかった。
私は、鬱病が嫌いだ。
でもきっと、そうやって嫌ったり敵に回したりして考えることは、いいことではないのだ。
鬱病をすきになる、ということまではできなくても、
鬱病とどう生きていくか、どうつきあったらよりたのしいか、自分の心を守れるか。
まずは受け止める、鬱病を相棒にするということが、
10年経ってもできていない自分に気づいてしまったのだ。

*将来から目を背ける術

芸人さんは、どんなに生きるのに精いっぱいで先が見えなくても、
将来から目を背けて今をたのしむ、そうやってまで夢を叶えようとしている、ひとをたのしませようとしている。
将来のこと考えても良くならない、不安しか生まれないことがわかっているのに、私はいつも焦っている。
子育てを経験したい、という夢があったことも理由ではあるが、
いつも未来の不安でぼんやり、重い気持ちでいる。
ただ、
自分を諦めながら生きるのと、
先のことばかり考えないで今を生きる、ということは、違うことだ。
その、芸人さんの術は、真似してみたら身につくだろうか。

*大人になっても青春

きっと、その術が身につけば、
今のこのまたとない、普通の人生ではなかなか経験できない
”時間だけがある状況”
を、”青春”と捉えることもできるのでは?とお金と体力、健康さえあればとは思うけれど、
障害年金も入ることになったし、
できる範囲で”たのしむ”ことをしないと、
自分がかわいそうだ。
今までもいろいろやってきたが、体力をつけて、もっとできることを増やせたらいいなぁ。



勝手に芸人さんの生き方に自分を重ねてしまって、
必死でがんばっている芸人さんたちには申し訳ないけれど、
なんとなく、今の状況の中でニューヨークのふたりの話を聞いたら、
考え方を少し変えてみたらいいような気がしてきた。

ニューヨークのふたりは決して、
この生き方を勧めているわけでないのはわかるけれど、
その後のふたりの話を聞いていても、若手の頃のLIVEの話であんなに爆笑して盛り上がれるっていうのが、本当に青春だったんだな、、、、、、
って、なんだかうらやましくなってしまった。
もちろん、これを思い出して笑えるまでには相当な苦労の日々があったのも、すべてではないが知っているつもりだ。
解散危機があったのも、
私の安定剤である『ニューヨークのニューラジオ』がどうして生まれたのかも。




ブレイクしてメディアの仕事が増えたとき、
彼らはどんなTVの仕事に行っても

「たのしかったなぁ」

とニューラジオで話してきた。

他の職業のひとのことをはなすときも、

「俺らはすきでこの仕事やってるやんか。」
「うん。」

と、いつも言う。


メディアにたくさん出ている今も、
その前も、
どんな苦労があっても、

ずっと”芸人”という仕事をすきでいて、貫いてきたんだな、と。

応援したくなる理由は、たくさんあるがこれが大きい。

そして、どんなに売れっ子になろうとも”庶民”というか、
一般人の感覚を持ち続けてくれるところが、聴いていて安心できる。

そしてこうして、
自分なんかに生きるヒントをくれたりする。

彼らと同い年であることが、本当に誇らしい。

状況はこんなに違うけれど。


鬱病という今の病気を職業かなんかと思って、
いい感じの距離感で付き合っていけたらいいのかもしれない。
もっと、一緒にうまく付き合えるようになりたい。

そして、今、何がたのしいかを考えたい。
将来なんていう、誰にもわからないことを考えても意味がない、
ということを、必死に言い聞かせてみよう。

そうこうしているうちに、いつのまにか、鬱病という相方との生活は、終わるだろう。
そのうち出ていくだろうから、喧嘩してばかりでなく、どうしたらいいか一緒に考えてみよう。


きっと、
今はまだフラッシュバックが怖くて思い出せないことも、
今現在苦しんでいるこの闘病のことも、
ニューヨークのふたりみたいに、笑える日がくるだろう。


ありがとう、ニューヨーク。

どうしようもないメンタルの日も、支えてくれて。
忙しいのに、毎週日曜の夜にちゃんと集まって、いろいろなことを話してくれて。
ここでの、素に近い屋敷さんと嶋佐さんがだいすきだ。
話を聞きだすのが上手で、人間をよく見ていて、MCが得意で、毒は吐くけど根は真面目で、言いたいことがうまく言えなくて、気を遣っていろいろうまくいかなくて、実はやさしくて深く考えていて、情けない姿はここでさらけ出してくれて。

だいすきだ。



明日も、生きてみよう。
日曜日。
どんな話をしてくれるだろう。



悩む回数より、笑う回数の方が増える人生になりますように。

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