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吐き出す場所を選ぶ

Twitterは、
完全に自分の独り言のためのツールだと思って使っている私。

とはいえ、
どこかで、
誰か同じような気持ちのひとがいて、もしかしたら、、、、、、

なんて、SNSに少しだけ、
甘い気持ちも抱いているのだな、きっと私は。

鍵アカウントにはしていないのだから。

どこかで、
孤独感を、
知ってほしい気持ちがあるんだろうな。

見るひとが見れば、
私の鬱MAXのときのツイートなんか、
見ていられないくらいの恐ろしさだろうと思う。

ただ、こんな鬱々とした私のことをわざわざフォローしてくれるひとなら、
いつものことだな、
吐き出せばきっと落ち着くんだろうな、
ということはわかってもらえるだろう、
と、
勝手に思ってしまうところがある。


自分の本音を話す相手が、
不特定多数の誰かしら、
別に誰もきいていなくてもいい、
空気のようなところになっている。



昨日。

お昼に母といろいろあって、
また暗い独り言を言った。

続けて。


包丁、とか言われたら嫌だよね。
やばいよね。

ただ、そのときに吐き出せば、
私は大丈夫になる。

どこかに、
この気持ちを、
体の中にあるこの葛藤を、
体の外に出したいだけ。

出せば、そのうち立ち直る。


Twitterのひとたちは、
気づかない、
触れないときは触れないでくれるし、
わかってフォローして下さるひとは、
いいねを押して、応援したりしてくれる。


ただ。


まだ、若干ファン繋がりの残る
Instagramのアカウント。

これと同じことを、ストーリーにあげてしまった。


病状はわかってくれている方々が多いが、
私のInstagramの投稿(ファンアート)自体頻度が落ちているし、
事情を説明し相互フォローしていた方もフォローを外してしまったりなんだり、、、、、、
自己中なことをしてしまっている。

もちろん、心を守るため。

そういうこともあり、
フォロワーさんとの交流は、
最近ほぼないような感じだった。

L'Arc-en-CielのLIVEの話も、
もう、ついていけてないし、
同じような熱量になれない、今の状況の自分がいる。

だから、
ファン同士で熱く話すこともない。



そんな中。

とあるInstagramのフォロワーさんが、
私のストーリーの投稿をみて、
いたく心配してくださってしまった。

「私、pizzaさんに会ってみたいので待ってもらえますか?」

、、、、、、と。


その方は、数年前からフォローしてくださっているドエル(L'Arc-en-Cielファン)の方。
おそらく、私よりお姉さん。

プロフィールから投稿を見てみたら、
すごくL'Arc-en-Cielの推し活をしている。


(あ、、、、、、、、会いたい、、、、、
かぁ、、、、、、、、、)


、、、、、なんて、
私は、本当に失礼ながら、何と返したら良いのかわからなくなってしまった。

そういう意味じゃなく、
生きてほしい、という意味なんだと、
理解できるはずなのに。


吐き出した私は、もう違うことをして過ごしていた。

この言葉を載せてしまった自分を、
過剰な心配をかけてしまった自分を、
心から反省することとなった。


謝った。
吐き出せば楽になること、
大丈夫だということを伝えた。



自分のしたことを、罪だと思った。

場所を、選ばないと。



特定の範囲のひとにだけ表示できるストーリーの機能もある。

その設定を、してみよう。


もう、こんなことがあってはいけない。


やさしさを、ありがとう、そして、
本当に、ごめんなさい。

私の命を想ってくれて、
本当にありがとうございます。


今日は、祖母の命日。
一周忌。
神道なので、神様になって一歳ってところかな。

私は、色んな意味で最強だった祖母の孫なんだから、大丈夫なはず。


午後から、3回目のコロナワクチン接種に行ってくる。

本当に命がいらないひとは、
ワクチンなんて受けないはず。
そして、
外で、こんな写真なんか撮ってこないはず。

昨日の、桜の蕾。
昨日のふきのとう。

きっと、
◯にたいんじゃないよ。


自分だけの命じゃないことを、
いつも自分が、気づけますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。