りくを

どこかの中学校教員 口癖は“なんでもいいですよ”

りくを

どこかの中学校教員 口癖は“なんでもいいですよ”

最近の記事

2月8日(水)タワシcar

お久しぶり。 仕事場から帰路に着く。いつものように最後の日本製のスーパーカブ50にまたがり、いつものように安全運転を心がける。 帰り道、大きな幹線道路沿いを走る。原付は車道の左側を走り、車と歩道を申し訳なさそうにトロトロと進む。 前の白い商業用の小さいバンの後ろについた時に、あるものを発見する。それは昔、アースベルトを取り付けていた部分のところである。そこに取り付けられていたのは『タワシ』だった。しかも今流行りの『亀の子タワシ』と違い、昔ながらの大きなタワシ。 その時、私

    • デリケアエムズも人生

      夏は股間が痒くなる。痒くなったらデリケアエムズ、ララランランラー♪ 耳に残る曲でもあり、誰もいない部屋で口ずさんでしまう。誰もいないというのがポイントである。昔、生理痛に作用するノーシンピュアのCMを口ずさんだとき「それはみんなの前で言わないほうがいいよ」と言われてから少しずつ頭で考えてから発言するようになった。そのため恥ずかしそうな(自分では恥ずかしいとは思っていない)歌の時は周囲に人がいないかを確認してから口ずさむようにしている。 そんな私も30歳を超えるとCMの歌通り

      • 本の帯からまずは自分で考えてみる

        久々に本屋に寄った。書籍の平積みされた中に國分功一郎さんの「暇と退屈の理論学」があった。オードリーの若林さんも帯を書いていたこともあり手を取って、裏表紙に本文の一部を読んでみた。 「人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばらなない。」 私はその場で数分考えてしまった。肯定も否定もできないもどかしさと共に立ち止まった。その場では自分の回答は出なかった。家に帰ってゆっくりしている時

        • 私がyahooニュースを見に行きたくない理由

          私は新聞を読まない。昔から新聞を取っていた家でもない。新しい情報は野球中継の間に流れるニュース番組ぐらいだった。文章と出会わないように逃げて生活して気がする。今となってもその気質は変わらない。学問を学問として生業にしておらず、偉そうに語るだけ。私が私である思考を深め表現するができない。 しかし、昔から、世間の情報を知りたくないと思ったこともない。その反対に、さわりの部分ぐらいは知りたいと思う性分で、どこにでもいる軽薄な男である。 大学生の時、スマートフォンが登場する。知り

        2月8日(水)タワシcar

          ソクラテス指導法

          懇談での話 「携帯を購入したことで、いつも携帯に縛られた生活になってしまった。受験生なのに、どーしましょ」 一日の懇談で、3人から相談があった。 私は悩みや相談の時に、あらゆる問題を解決しない立場で話を聞いている。なぜなら、決定し、行動できるのは、その本人であるし、何より、そんな簡単な話ではないからだ。 「この手にはこの方法を使え」のように分類し当てはめることで解決していく人がいる。 確かに、発想がない人が行動できない姿を見ると、おせっかいもかけたくなる。「自分の将

          ソクラテス指導法

          皺が未来をつくる。

          朝の通勤時間。亡くなったおじいちゃんから譲り受けたスーパーカブでいつもと同じ道を進んでいく。 一速から二速へペダル式のギアチェンジを踏み替えていく。まず家の自分から社会人となる一歩を踏むのである。スムーズにいくわけがない。しかし仕事に着く前の一つ一つの習慣が、社会人の自分へと変容させるのである。 その時に感じたある一コマ。 珍しく車の交通量が多く、一つの列になってゆっくりと進んでいった。周りの車の排気ガスも下降傾向であった。ふと前の車のリアガラスをみる。リアガラスに写る

          皺が未来をつくる。

          何を書こうかと考える日々が与える刺激

          忙しく作業をこなす毎日。この“こなす”という行為を朝から夜まで一日中行っている。私たちは、他の動物と異なる理性や念慮を有しており、自分の行動を自分で決めていると思っている。 そんなことない。私たちも習慣の生き物である。 この日記を書き始めて、常々そう感じる。 家から職場までの往復路、職場の人たちとの会話、家でぼーっとテレビを見ている時など、いつもの日課をこなす生活なのだ。モノクロの世界にいるのと何も変わらない日々を過ごしていた。 しかし、この日記を書き始めて、初めてモノ

          何を書こうかと考える日々が与える刺激

          住職の一言

          大阪の専念寺の掲示板がYahooのニュースに取り上げられていた。 住職からの温かい一言が、多くの人の共通して感じた点をつないでくれた。 「正しい意見でも思いやりがなければ言われた人は傷つく。」 この世の中、正論だけではない。曲論であったとしても、その人にとっては正論な訳である。 全ての人、ものに対して観察し入り込みたい。机には机の人生がある。君には君の人生があるのに、それぞれの人生がある中で共存している。誰かもが欠けることのない均等で成り立っているのである。誰かがいる

          住職の一言

          不老不死の薬を飲むのか飲まないのか。

          金曜日の夜は、松本人志の酒のつまみになる話を見ている。何気ない芸人の問いに考えさせられる時がある。 ハライチの岩井さんが言ったのがタイトルの“不老不死の薬を飲むのか飲まないのか”というテーマになった。 正直、冒頭の岩井さんの不老不死の薬を飲むと、完全治癒し、体型も変わらないという話は僕には入ってこなかった。 この問いに若手俳優の1人が言った。「僕は絶対に飲みたくない。死ぬからいいじゃないか」と。僕もその意見に賛成した。もう少しだけ付け加えをすると、「死ぬからこそ生きるが

          不老不死の薬を飲むのか飲まないのか。

          流れていく社会と立ち止まる僕

          「お前止まったって自分で思ってるってことはよ。社会に順応しようしてるんじゃないか。 たしかに。結局、考えなく機械化された自分がすごしていたのかもしれない。 「この世界は誰でもない。君しかいない世界なんだぜ?君がいないと世界は存在しないさ」 いつもなんだよ。こんなときばっかり。走っていたら立ち止まって考えろって訴えてきて。立ち止まったら、偉そうに一流の存在感を出しやがる。結局どっちなんだよ。 「そんな態度は思春期のときと同じだな。自分の選択は責任を伴うことを知ってから、

          流れていく社会と立ち止まる僕

          命の大切さってどこで学べるのか。

          今日の授業で、我がクラスの子は心悲しげな雰囲気に包まれていた。みんな、重い腰をあげるようにゆっくりと終礼の準備をしていた。しかし、なぜか、いつも山盛りになっている配布物はみんなで協力して配っていた。重い雰囲気の中に緊張感がそこにはあった。 放課後に終礼前の授業者に話を聞くと、その不均衡さに納得がいった。 こどもホスピスの動画を見ていたらしい。 感情移入して泣いてる子がいたり、自分の溢れ出す感情を我慢している子がいた。そんな中、集中力が切れている子も数人いたみたいで、「人

          命の大切さってどこで学べるのか。

          塩味が強いハンバーガーと自分

          感想文は続きにします。 今日は某ハンバーガーチェーン店でお昼を食べた。クーポンを使ってハンバーガーセットを注文した。2階に上がり座席を探す。案の定、フロアーの四隅の席は全て取られている。階段を上がった1番注目される席は、派手目の女子高生二人が占領していた。僕が学生の時には確実に近づいていないタイプ。男友達がイケメンかイケメンじゃないかが会話の中心になっていた。(そこそこ話が気になっているじゃん。いやそこしか話をしていなかったからだよ?) そのほかには、昼休みに利用している

          塩味が強いハンバーガーと自分

          感想文1[前半]

          僕は今、若林正恭さんの“表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬”を読んでいる。今ちょうどキューバ紀行の終盤まできた。 若林さんは、社会主義共和制国家であるキューバを触れることで、今の自分の置かれている状況や資本主義社会のシステムについて考えを深めている。 その中で、キューバの若い者たちの他国への憧れをありありとみた若林さんは「元々人間は競争したい生き物なのかもしれない」「良い服、良いもの、良い家を求める。」「その欲が、平等でありたいという気持ちが上回っているのだろう」と

          感想文1[前半]

          私が文を書く理由

          私は書くのが苦手だ。いや。書くことも話すことも苦手だ。元々何かを表現することができなくて妬ましくも思うこともあった。 大学時代に、就職試験のために小論文を添削してもらえる講義があった。自分なりに必死に書いてはみたが、教授からは「君の文は読みにくいし、何が言いたいか分からない。どこを添削していいかもわからない」と言われる始末。 どこを添削して良いか分からないと言われても俺も分からない。教授には見放されたわけで、それでいて一人で書けるかと言えば書けないわけで。結局、就職の小論

          私が文を書く理由

          ハキハキ母親とのんびり父親

          今日は久々に実家に行った。私の母親と父親は社会によくいる二人である。母親はズバズバ思ったことを口にするタイプで流行に敏感である。今日もNetflixの話から始まる会話。 一方、父親はお酒の力を借りないとうまく人に説明できないタイプ。頑固でマイペースな一面も持っている。 そんな二人だから、いつも、口喧嘩は母親が捲し立てて終わる。 今回はケンカではないものの、母親と父親のやり取りから“社会のあるある話”を感じ取れたひとときであった。 夕方、1日の睡眠時間が足りてない息子と

          ハキハキ母親とのんびり父親

          釜揚げうどんがいいか。明太子釜玉がいいか。

          新自由主義って最近よく聞く。 特に悪い社会のシステムとして。 テレビでは、金利を上げて、国営の民営化を進め、金持ちはより金持ちになるシステムとして紹介されていた。その分格差は広がっているらしい。(僕はあまりわからない。すごくお金持ちも、すごーく貧乏な人もあまり出会ってないからだ) 確かに考える方向が変われば、良いや悪いは変わるだろう。どこを切り取って報道するか。それだけで英雄にも残虐者にもなり得る。そんな世の中らしい。 僕は、そんな報道やテレビ番組を見て、道徳の授業のよう

          釜揚げうどんがいいか。明太子釜玉がいいか。