ソクラテス指導法

懇談での話

「携帯を購入したことで、いつも携帯に縛られた生活になってしまった。受験生なのに、どーしましょ」

一日の懇談で、3人から相談があった。

私は悩みや相談の時に、あらゆる問題を解決しない立場で話を聞いている。なぜなら、決定し、行動できるのは、その本人であるし、何より、そんな簡単な話ではないからだ。

「この手にはこの方法を使え」のように分類し当てはめることで解決していく人がいる。

確かに、発想がない人が行動できない姿を見ると、おせっかいもかけたくなる。「自分の将来なんて想像できないから、わからない」という子には、「こんな方法もあるし、こんな方法もあるね」と言いたくなるし、さらに、「この方法が必勝法じゃない?」と言ってしまう。

だが、どうだ?そんなあっさり行くものなのか?行かないだろう?

なぜって?あっさりと考えているのは自分だけではないだろうか。自分は自分の理解できる範囲でしか物事は見えない。その範囲にどうしても落とし込みたくなるものだ。わかった気になろうとする。しかし、その姿勢が一番理解できていない証拠になる。

その子の全てを見てきてるわけではない。だからこそ、通り一遍の解釈はしたくない。

「他人に自分の気持ちなんてわかるものか」と呟き、家を出たことを思い出す。わかってくれないから出ていって、わかってもらおうとしている自分を今更ながら恥ずかしく思うわけだが、たしかに自分の気持ちは自分だけのもの出なければならないし、そうなるしかなり得ないのである。

さて、話を戻す。

携帯電話の購入によって、生徒の生活態度が一変し、物事の優先順位が変わってしまった時どうするか。

「携帯を取り上げよう」「携帯の取り扱いを考えなさい」と親は考える。

うーん。弱い。

私はソクラテス指導法(勝手に自分で名前をつけた)を使って相手を知ろうとする。

その方法は簡単だ。“なぜ?”を突き詰めていくのだ。“なぜ、携帯が離せないの?”“なぜ、勉強するの?”“なぜ高校にいきたいの?”“なぜ?”
相手の考えの根底を探ってみる。そして、頭の中を整理させていく。優先順位を再構築させていくのである。そして、最後には“わからないけど………○○○だから”と不明瞭な考えまで掘り下げてあげる。

こんなことをしても行動は変わらないかもしれない。でも全ての人、物に寄り添うことはできる。それでいいんじゃないかと思うのです。

人には人の人生が、物には物の人生がある。それぞれの人生に成り切ってみることが大切なわけです。解決を急いではいけません。急がせてはいけません。

あなたも結果だけに囚われてはいませんか?





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