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釜揚げうどんがいいか。明太子釜玉がいいか。

新自由主義って最近よく聞く。
特に悪い社会のシステムとして。
テレビでは、金利を上げて、国営の民営化を進め、金持ちはより金持ちになるシステムとして紹介されていた。その分格差は広がっているらしい。(僕はあまりわからない。すごくお金持ちも、すごーく貧乏な人もあまり出会ってないからだ)

確かに考える方向が変われば、良いや悪いは変わるだろう。どこを切り取って報道するか。それだけで英雄にも残虐者にもなり得る。そんな世の中らしい。

僕は、そんな報道やテレビ番組を見て、道徳の授業のような“みんな違ってみんないい”みたいな定型文を並べて、現実逃避をしているように見えた。

本来の味が知らないから、何かをまぶしたくなるんだ。今流行りの洋菓子なんてゆうのもそうだ。本来の味だけでは、飽きる。「人生そんなもんじゃない」ってロック歌手のように表現している。そんなもんさ。
うどん屋でも同じ。釜揚げうどんだけでは満足いかず、明太子を乗せ、卵まで乗せる始末。

でも、見方を変えるだけで本来の味で満足する自分を見つけることもできる。

だから僕は釜揚げうどんやフランスパンが好きなのかもしれない。(こんなことを書いているからこそ、明太子釜玉が食べたくなる時もあるのが弱い僕なのである

話は戻るが

言葉とは、他の言葉を説明することであると言える。では、この言葉を巧みに使うことさえできればこの仕組みの社会では価値が高いということになるのだろうか。

こんなことを考えると「頭のいい人がいいわけだ」と子供っぽく答えたくなる。「学力が高い人ほど価値が高い」とか。

そうなれば、“親ガチャ”という言葉が流行るのも無理はない。生きてきた環境で、もはやほぼ負け組である人生を送ることなるということか。

でも何か、モヤモヤするのだろう。この日本で飢餓という言葉は少ない。虐げられていることも少ない。そんな日本だからこそ、それだけで人生決まるのかよ。「自分で決めれねーのかよ」ってなすりつけてしまうわけだ。そして大きく見せることになる。

何を持っての価値なのか。いい加減目を覚ましたらどうだろうか。
ここに存在できる美しさを見つけようぜ。日本人よ。釜揚げうどんだけでいいじゃない。

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