デリケアエムズも人生

夏は股間が痒くなる。痒くなったらデリケアエムズ、ララランランラー♪
耳に残る曲でもあり、誰もいない部屋で口ずさんでしまう。誰もいないというのがポイントである。昔、生理痛に作用するノーシンピュアのCMを口ずさんだとき「それはみんなの前で言わないほうがいいよ」と言われてから少しずつ頭で考えてから発言するようになった。そのため恥ずかしそうな(自分では恥ずかしいとは思っていない)歌の時は周囲に人がいないかを確認してから口ずさむようにしている。

そんな私も30歳を超えるとCMの歌通り、夏に痒くなり居ても立っても居られない。特に長時間座ってテレビを見ている夜はひどい。掻くというより抓ると言ったところだ。それでもかゆみは消えることはない。傷みが緩和し始めて、汗をかき始めると、どんどん痒みが迫ってくる。どんな話をしていても痒みが横入りしてくる。気づかない横入りではない。堂々と主張してくるのである。痒みが往来してくる最中、口ずさんだのがデリケアエムズマーチだったわけである。

早速ドラッグストアへ行こうと考えたのだが、口ずさんだ時にはでてこなかった恥ずかしさが出てきた。齢33になろうとしているものが周りの目を気にしているのである。しかしデリケートゾーンへの集中砲火は止まらず、居ても立っても居られない。
今の自分と周りからどう思われているかと思う自分とが、自らの中で格闘しているのである。

今の自分に軍配が上がり、「誰も自分のことなど見ていない」と思いながらドラッグストアに駆け寄った。

レジを通り、ドラッグストアを出た時は、薬を塗っているわけでもないのに、すかっと爽快があった。行動と精神との一体性を感じた瞬間でもあった。良い行動は良い精神をもたらす。

デリケアエムズの恩恵に授かっていたある日、用法を確認してみると、自分は少し使い方を間違えていたみたいだ。自分の使用したい部位には炎症を抑えるより、痒み止めでの発効のみである。確かに塗布後の爽快感はあるものの、一向に状態が良くなっていたわけではなかった。


その場しのぎでやり過ごすのか。問題解決のために行動するのか。選択の先には選択が続く人生なのですね。
何気なく口ずさんだデリケアエムズでも、自分の根底にある思考を振りかえさせる。私の思考に気分が晴れる日は来ないだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?