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4話. 運命の出会い〜プログラマー人生の始まり

時は2000年台、ITバブルはとっくにはじけていたが、僕は大学の卒業論文を手書きで書いた男だ。つまり、大学を卒業するまで、ほとんどパソコンを触ったことがなかった。
そんな僕の職業はプログラマー。しかも腕には自信がある。
人生は本当にわからないものだ。

僕は大学では機械工学を専攻していた。高校の担任の先生から勧められたのと、特別何かしたいことがあったわけでもないので、なんとなくこれでいいかという軽い気持ちで大学に入った。
だが、僕の学部は単位取得が難しく、多くの学生が留年するということを入学して初めて知ったのだった。大学は遊べるところだと思っていた僕にとっては「こんなはずじゃなかった」というのが正直なところだ。にもかかわらず、僕は元々軽い気持ちで入学したような学生であり、やはりこれが"普通ではない"のかもしれないが、大学に入ったからにはやはり遊ぼうと決めたのだった。

一年目はほとんど大学に行かなかった。中学高校までが寮生活で自由にテレビを見ることができなかったせいなのか、家で片っ端からテレビドラマを見まくっていた。
当然のことだが、大学に行かないということは単位も取れないということであり、実際に単位を落としまくった結果を目の当たりにすると、さすがに「ヤバいな」と気づいたわけである。
だが、僕はまだ本当のヤバさには何も気づいていなかった。僕はただ「単位を落としたからヤバイ」と思っていただけなのだ。したいことも何も見つからず、なぜこの大学でこの分野を学んで、自分がどこへ向かおうとしているのかさえ全くわからなかった。しかも、それに対して焦燥感もなく、ただ、単位を取らなければという目的だけで卒業まで勉強していたように思う。

おそらく、読者の方の中には、僕がなぜ、そこまで好きでもない勉強を続け、ちゃんと卒業までしたのかと不思議に思う方もいるだろう。
僕の学生時代を簡単に説明すると、「真面目で勉強ができる不良」というのが一番わかりやすいかもしれない。素行が悪いが、勉強ができたのだ。裏を返せば、勉強ができれば、素行が悪くても許されると思っていたのかもしれない。実際、勉強ができなくて素行が悪い僕の友達はみんな高校を退学になったが、僕だけはなぜか退学にならなかった。先生からも親からも怒られたが、勉強をちゃんとして、成績が良いという自負があるからか、反省はほとんどしなかった。
大学までの僕にとって、勉強はしておいた方が得することが多かったからやり続けたことだと思う。
だが、そんな僕も無事に大学を卒業できることがわかった時、初めて本当のヤバさに気づき始めたのだ。

「大学を卒業したら、次は何をすればいいんだろう」

僕は大学の卒業が決まって初めて、次の進路を考え始めたのである。だが、軽い気持ちで入学したまま卒業を迎える僕なので、軽い気持ちでとりあえず就職活動しようと決めた。そしてその決め方も実に軽すぎた。僕は22歳にして既にヘビースモーカーになっていたので、自分がタバコを大好きなことはよくわかっていた。ということで、軽い気持ちで誰もが知るタバコ産業の大企業を受験し、当然のごとく落ちたりもした。ろくに調べもせず、名前を知っている大企業だから受けてみただけなのである。そんなことを何社か繰り返すうちに、自分が本当は何がしたいのか、何が向いているのか、知りたいと思うようになった。
僕は就活を止めて、大学院に行くことに決めた。でも、この時点ではそのことだけを決めただけで、他のことは一切決めていなかった。でも、振り返ればこの決断がなければ、僕の人生は終わっていたかもしれない。自分が何者か全くわからないまま、ずっと流されるように生きていたと思う。

僕はとある別の大学院のオープンキャンパスに行くことにした。ちなみに、僕は他の大学院のオープンキャンパスにはどこにも行っていない。やはり、この時でも持ち前の軽さは全く抜けず、行く大学院を知名度だけで決めたのである。
でも、それが今から考えれば、運命的な直感だったのかもしれない。僕はこの時、初めてプログラミングに出会ったのだ。

22歳、僕のプログラミング人生が始まった。


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