朝の会ってなんでやるの?を子どもたちが考えると動きが変わるのです
既出の「学校でみんなで学ぶ価値」の実践は
静岡市立新通小学校で始めた実践です。
そのころはものすごく自分自身が学校のシステムというものを
考えた時期でした。
朝の会はなんのためにやるのか?
帰りの会はなんのためにやるのか?
やらなくてもいいじゃないか。
休み時間って取る必要があるのか。
フィリピンの小学校のように休み時間なしで
やったら(自由にトイレは行っていい)どうだろう。
もっと自由に時間が使えるのに。
僕は子どもたちに質問してみたのです。
朝の会ってなんでやるの?
子どもたちはぽかんとしています。
朝の会の意義。
そんなことは今まで考えたことはなかったらしいのです。
僕は常に「なんのためにやるのか」を考えさせます。
当然のようにやっているものを疑う。
朝の会の意義。
ただ指示されたからやるから
騒いでしまう、真剣さがない。
だからなぜやるかを考えさせ、内容をこどもたちに決めさせる。
朝の会一つとってもそうなのです。
話し合い、内容を決めるのです。
朝の会は
朝のスタートを
気持ちよくするため。
健康を調べて、具合が悪い人がいないか見るため。
こういったことがこどもたちから出ます。
素晴らしい子どもたちだと僕はすかさず褒めます。
結局、そうやって決まったのは
挨拶、歌、健康観察、先生の話となったのです。
今までと対して変わらないが、取り組みが違います。
それはなぜそれをやるかがわかっているからなのです。
動きが全然違います。
ただ、やりなさいでなく「なぜ」という根本に
立ち返って授業の意義を考えることが、自らやり抜く子に
なっていくのです。
そういったことが、今の学校ではおろそかにされています。
勉強の面白さや「なぜ」を追求することの面白さに
目覚めた子は自分から勉強するようになるのです。
大人もそうです。
なぜ、それをするのか。
なぜ、そうなるのか。
自分で調べない、これだけ調べる手段がある世の中なのに。
言われた通りにマスクをして
言われた通りにワクチンを打って。
言われた通りに・・・・
言われないと動かない指示待ち人間を批判するくせに
自分がそうなっているのです。
日本の国民の従順さは良さであり弱点です。
それは学校教育からきているのです。
学校教育が一人ひとりを大切にして
自ら考える子にしてないのです。
こんな教育は変えていかねばなりません。
僕の著書(共著)です。(残り1点)