「リオのファベーラで災難」 伯国邦字紙四方山話 第5回 松本浩治 月刊ピンドラーマ2024年9月号
新聞の日系社会面を記事で埋めるため、サンパウロ市の「東洋人街」と呼ばれるリベルダーデ区の狭い範囲で、主に文化協会や各県人会の催しといった日系団体関連の取材が多い邦字紙での活動。
そうした中で1994年11月頃、リオデジャネイロ市のファベーラ(スラム街)で麻薬密売組織の抗争が激化。地元警察だけでは抗争を抑えられないことなどを受け、ブラジル軍がファベーラに治安部隊を派遣し、鎮圧にあたったとのニュースが流れた。
当時の同業他紙(邦字紙)の日本人記者が逸早く現地に赴いて取材を行い、リオのファベーラ内に軍の装甲車が入っている写真がデカデカと紙面を飾った。後追いながらも、こちらも負けじと現地で取材を行うことを決め、遅まきながら数日後にリオへと向かった。
サンパウロから夜行バスに乗り、翌日早朝にリオに到着した記者は、まずは現地での情報を得るため、在リオ日本国総領事館の警備担当領事に面会。リオ各地のファベーラの治安状況など様子を聞いた。その後、情報をもとに軍の装甲車がありそうな場所を探して、各地区のファベーラ周辺を何時間もウロついたが、どこにも装甲車どころか軍関係者の姿すらなかった。
仕方がないので、世界的観光地「コルコバードの丘」に程近く、当時は危険だと言われたドナ・マルタ地区のファベーラに歩いて入っていくことにした。しかし、これがマズかった。自分では「汚い格好をしているので問題ない」と思っていても日本人の顔をしているし、ファベーラの住人からすれば「ヨソ者が来た」と、すぐにわかってしまう。
ファベーラの入口からノコノコ歩いて階段を上がっていき、BAR(大衆飲食店)や店屋が並ぶ少し開けた場所で写真を何枚か撮った。すると、周辺にいた10歳前後の子供たちが集まってきて記者の周りを取り囲み、「撮ったフィルムを出せ」とばかりに厳しい形相で手を差し出してきた。
何の許可も取らず、ファベーラ内の写真を勝手に撮った記者が悪いのだが、殺気を感じたこともあり、仕方なく撮ったフィルムをカメラから取り出して子供たちに渡した。しかし、不幸中の幸いだったのは、ファベーラ内に入る前に外観を撮影したフィルムとカメラまでは取り上げられることはなかったことだ。恐さで震え上がった記者は慌ててファベーラを後にしたのは言うまでもない。
後から聞くと、ファベーラに入る際は各地区の「ファベーラ協会」の事前許可が必要で、地元の大手メディアでさえも警察当局の協力がなければ勝手にファベーラには入らないと言われた。今から思えば無謀で、命を落さなかっただけでも有難かったと感じているが、何とも間抜けな取材だった。
(つづく)
月刊ピンドラーマ2024年9月号表紙
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