月刊ピンドラーマ

ブラジルを知るための雑誌。 おそらくサンパウロ唯一の日本語フリーペーパー。 2006年…

月刊ピンドラーマ

ブラジルを知るための雑誌。 おそらくサンパウロ唯一の日本語フリーペーパー。 2006年6月から刊行中。 HP https://www.pindorama.info/ #ブラジル #サンパウロ

マガジン

  • 月刊ピンドラーマ2024年9月号(vol. 219)

    ブラジルを知るための月刊誌。 フリーペーパー。 2006年6月から休まず刊行中。

  • 月刊ピンドラーマ 2023年01月号~12月号

    ブラジルを知るための雑誌。 フリーペーパー。 2006年6月以来サンパウロで刊行中。

  • 月刊ピンドラーマ2024年8月号(vol. 218)

    ブラジルを知るための月刊誌。 フリーペーパー。 2006年6月から休まず刊行中。

  • 月刊ピンドラーマ2024年7月号(vol. 217)

    ブラジルを知るための月刊誌。 フリーペーパー。 2006年6月から休まず刊行中。

  • 月刊ピンドラーマ2024年6月号(vol. 216)

    ブラジルを知るための月刊誌。 フリーペーパー。 2006年6月から休まず刊行中。

最近の記事

「焼き栗」 栗御殿への道 第12回 田中規子 月刊ピンドラーマ2024年9月号

プッシュー!と、勢いよく蒸気が飛び出し香ばしい栗の匂いがあたりにたちこめる。圧力式焼き栗機に出会ったのはアチバイアの農場購入前年の2012年、茨城の栗農家だった。焼き上がりの驚き、その香ばしい風味、自然な甘さに感動し、これだ!これしかない!と心に決めた。栗の加工も全くの未経験の私は、機械さえあればこんなおいしいものができる!私にもできそう!と直感したのだ。 農園をはじめるというのに農業技術力も経験も皆無の私は、栽培ハードルの低い果樹を選ぼうと考え、栗を考えたのだが、ブラジル

    • 「リオのファベーラで災難」 伯国邦字紙四方山話 第5回 松本浩治 月刊ピンドラーマ2024年9月号

      新聞の日系社会面を記事で埋めるため、サンパウロ市の「東洋人街」と呼ばれるリベルダーデ区の狭い範囲で、主に文化協会や各県人会の催しといった日系団体関連の取材が多い邦字紙での活動。 そうした中で1994年11月頃、リオデジャネイロ市のファベーラ(スラム街)で麻薬密売組織の抗争が激化。地元警察だけでは抗争を抑えられないことなどを受け、ブラジル軍がファベーラに治安部隊を派遣し、鎮圧にあたったとのニュースが流れた。 当時の同業他紙(邦字紙)の日本人記者が逸早く現地に赴いて取材を行い

      • お腹が痛いのはどこまでガマンするか? 開業医のひとりごと 秋山一誠 月刊ピンドラーマ2024年9月号

        今年に入って“なんとなく診療所でよく見るな〜”になっているのが「腹痛」です。お腹が痛くて受診されるのは総合内科では一般的です。ヒトを含む哺乳類の腹部は沢山の臓器、組織、機能が集まっていますので、簡単に網羅できるものではありません。ここ開業医のひとりごとでも8回、色んな場面で腹痛が現れています。それらも一例であるように腹痛はあらゆる病気の症状として現れます。 「痛み」は感じている本人にしかわからないもので、客観的に評価不可能な症状です。また、その感じている痛みに対してどのくら

        • 「Virado」&「Borgo Mooca」 さんぱうろぐるめをっちゃー 宮本碧 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          Virado 所在地:Largo do Arouche, 150- República 電話:(11) 3334-6100 Instagram:@virado.sp アロシェ広場のサンラファエル・ホテルにあるViradoにExecutivoを食べに行った。Executivoは昼のみ提供されるお値打ちメニューで、高級レストランにも気軽に行くことができる。 Viradoは場所柄か気取っておらず、価格設定も低めだが、どの料理もきちんと作られている。また、ウエイターやウエイトレ

        「焼き栗」 栗御殿への道 第12回 田中規子 月刊ピンドラーマ2024年9月号

        マガジン

        • 月刊ピンドラーマ2024年9月号(vol. 219)
          11本
        • 月刊ピンドラーマ 2023年01月号~12月号
          50本
        • 月刊ピンドラーマ2024年8月号(vol. 218)
          11本
        • 月刊ピンドラーマ2024年7月号(vol. 217)
          9本
        • 月刊ピンドラーマ2024年6月号(vol. 216)
          10本
        • 月刊ピンドラーマ 2022年01月号~12月号
          101本

        記事

          「ファンキの日」を政府が承認!体操ヘベッカ・アンドラージが2大会連続ファンキ楽曲で五輪メダル獲得! ブラジル文化研究室 島田愛加 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          今から約15年前、私はボサノヴァに夢中だった。歌詞の意味はわからないが、安静時の鼓動のような2拍子の上に不規則に揺れるメロディが心地よい。この想いを誰かと共有したく、勇気を出して東京のブラジル音楽愛好家コミュニティに顔を出した。しかし、そこで「本国でボサノヴァはもう懐メロですよ」と言われ愕然とした。こんなに素晴らしい音楽がもう聴かれていないのなら、ブラジルでは何が聴かれているのだろう。それ以来ブラジルと名の付くもの全てに興味をもつようになったのが、私のブラジル研究のはじまりだ

          「ファンキの日」を政府が承認!体操ヘベッカ・アンドラージが2大会連続ファンキ楽曲で五輪メダル獲得! ブラジル文化研究室 島田愛加 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          カルロス・ガマーラ(パラグアイ) クラッキ列伝 第178回 下薗昌記 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          ペレを筆頭に天才たちが綺羅星のごとく輝いた1970年、W杯のメキシコ大会。史上最高の呼び声高いブラジル代表を束ねたのが、キャプテンのカルロス・アウベルト・トーレス、その人だった。 ペレらも敬愛した「永遠のキャプテン」は2016年、この世を去ったがその名を受け継いだ名センターバックがブラジルのサッカー界で一時代を築いていた。 ただし、彼は隣国のパラグアイ生まれ。パラグアイのサッカー史上最高の選手として知られるカルロス・ガマーラである。 トーレスがメキシコの地で、黄金のトロ

          カルロス・ガマーラ(パラグアイ) クラッキ列伝 第178回 下薗昌記 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          「再び転機が」 黒酢二郎の回想録  Valeu, Brasil!(第11回) 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          20代で日本で転職を決心したのは入院中。ブラジルでの生活が5年を超え、お世話になった方々に微力ながらも恩返ししようと誓ったのは病気で寝込んだ時。そして40代で子どもたちの住むブラジルへの移住を決めたのも入院中。その後、50代になって日本への帰国を決めたのも、ある病気の手術で入院した時でした。どうやら黒酢二郎は病気や入院に直面すると人生の転機となる決断をしたくなる性格のようです。次に入院するのはいつになるのかわかりませんが、その時は更なる人生の転機が訪れるのではと、ある意味楽し

          「再び転機が」 黒酢二郎の回想録  Valeu, Brasil!(第11回) 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          ドキュメンタリー映画「オキナワ サントス」の松林要樹監督インタビュー 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          今年の7月25日ブラジル政府は、第2次大戦中にサンパウロ州サントスに住んでいた約6500人の日系人を「敵性外国人」と見なして居住地から強制退去させ収容所や内陸の居住地に送った「サントス強制退去事件」と、戦後日系人社会の中で起こった「勝ち負け抗争」に関わったとされる「勝ち組」172人をサンパウロ州沖アンシエッタ島の刑務所に収監した件に関して初めて公式に謝罪した。 「サントス事件」で強制退去させられた日系人の約6割が沖縄県系人とされ、ブラジル沖縄県人会がこの件に関してブラジル政

          ドキュメンタリー映画「オキナワ サントス」の松林要樹監督インタビュー 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          「足が痺れた!」 ポルトガル語ワンポイントレッスン リリアン・トミヤマ 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          ヴェージャ誌によると、ブラジルはインターネットに接続している時間が世界第2位だそうです。世界平均は6時間35分ですが、ブラジル人は9時間14分オンライン接続しています。ブラジルより長いのは南アフリカだけで、9時間32分です。この調査の対象は16歳から64歳の年齢層でした。 あまりにも長時間画面を見ていると間違いなく出不精になります。長時間じっとしていると体調も悪くなってきますよね? ところで、ポルトガル語で「足が痺れた!」をどう言うでしょうか? 動詞は「formigar」

          「足が痺れた!」 ポルトガル語ワンポイントレッスン リリアン・トミヤマ 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          砂田竜也さん(38歳、大阪府出身) 21世紀の日系移民(第5回) 布施直佐 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          今回はリベルダーデの本格鶏白湯ラーメン専門店「とりこらーめん」で料理長を務める砂田竜也さんにお話しをうかがいました。 ◎空手〜ブラジリアン柔術 日本では大阪で建築業を営んでいた。昼はそこで働き、夜は知り合いのタコ焼き居酒屋で7年働いた。大阪は粉ものの本場なので、「冷めても美味しいタコ焼き」を作ろうと味にはかなりこだわった。小さい頃からスポーツが好きで、小学校1年の時から空手を始め、10年以上続けた。中学の時はラグビーの大阪代表に選ばれ、高校はそのままラグビーの推薦で入った

          砂田竜也さん(38歳、大阪府出身) 21世紀の日系移民(第5回) 布施直佐 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          ブラジル面白ニュース 布施直佐 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          ☺ペットの埋葬 先月7日、サンパウロ州サン・ジョゼ・ド・リオ・プレート市のエディーニョ・アラウジョ市長は、家庭で飼育しているペットを市内の公営・私営墓地に埋葬することを許可する法律を承認した。 埋葬は専ら埋葬地の契約者または所有者の家族のペットに限られ、体重80キロ以下のもののみ許可される。 私営の墓地に埋葬する場合は、動物の死亡原因が人間に感染する病気ではなく、ペットの埋葬が安全であることを証明する獣医師の診断書が必要とのこと。 ☺自動車への祝福 7月25日は運転

          ブラジル面白ニュース 布施直佐 月刊ピンドラーマ2024年9月号

          「Merenda da Cidade」&「Mercearia do Francês」 さんぱうろぐるめをっちゃー 宮本碧 月刊ピンドラーマ2024年8月号

          Merenda da Cidade 所在地:R. Epitácio Pessoa, 98 - República 電話:(11) 4210-4936 Instagram:@merendadacidade Merenda da Cidade を経営するジャナイナ・トへスさんはこのレストランのほか、バー・ドナ・オンサ、カザ・ド・ポルコ、アイスクリーム屋、ホットドッグ屋を経営するやり手の女性シェフである。 ジャナイナさんが、16年前、ホームレスやドラッグジャンキーが軒下で寝て

          「Merenda da Cidade」&「Mercearia do Francês」 さんぱうろぐるめをっちゃー 宮本碧 月刊ピンドラーマ2024年8月号

          実録エッセー『ひとり100レアルはイケるやろ』 カメロー万歳 第93回 白洲太郎 月刊ピンドラーマ2024年8月号

          ブラジル冬の風物詩、サン・ジョアン祭りを無事に終えた7月初旬のとある日、ボクたちはいつものように青空市場で安物アクセサリーを販売していた。書き入れ時のシーズンにもかかわらず、今年は期待していたほどの売り上げを達成することができなかった白洲商店であったが、意外なことに祭りが終わったあとのフェイラ(市場)が好調で、なんとか面目を保つことができそうな塩梅である。 お昼が過ぎ、その日の商いを滞りなく終えて、 (さあ帰ろうか) というとき、見覚えのあるおばちゃんが杖をつきながら白洲商

          実録エッセー『ひとり100レアルはイケるやろ』 カメロー万歳 第93回 白洲太郎 月刊ピンドラーマ2024年8月号

          「嗚呼、勘違い」 伯国邦字紙四方山話 第4回 松本浩治 月刊ピンドラーマ2024年8月号

          「あんた、何か勘違いしてるんじゃないのか?俺はカズの親父だよ!」 「はぁ?」 1994年2月初旬、前年の93年に発足したサッカーJリーグの立役者「カズ」こと三浦知良選手(当時27歳。現在57歳)が、ブラジル修行時代の古巣サッカーチーム「キンゼ・デ・ジャウー」を訪問。同市の市議会から名誉市民章を授与されることになり、新婚だった、りさ子夫人(元女優の設楽りさ子氏、現・三浦りさ子氏)を伴い、4年ぶりの帰伯を果たした。 2月7日の名誉市民章授章式を1週間前に控えた同1日午前にブラ

          「嗚呼、勘違い」 伯国邦字紙四方山話 第4回 松本浩治 月刊ピンドラーマ2024年8月号

          「再びブラジルへ」 黒酢二郎の回想録  Valeu, Brasil!(第10回) 月刊ピンドラーマ2024年8月号

          前回は太平洋の向こう側時代のお話でした。アフリカでは離婚に至り、ヨーロッパでは身体が動かなくなって入院し、その際にブラジルに戻って暮らす決心をしたとお伝えしました。黒酢二郎には、少しでも子どもたちに寄り添って父親としての役割を果たしたいという強い気持ちがあったのです。 ヨーロッパから日本に帰任してからほぼ直ぐに会社を辞め、ブラジルに渡って就職活動を開始したのは45歳の時でした。時は2011年、ルーラの後継者であるジルマ・ルセフが大統領に就任した頃です。行き詰まったらリセット

          「再びブラジルへ」 黒酢二郎の回想録  Valeu, Brasil!(第10回) 月刊ピンドラーマ2024年8月号

          ペドロ・ロチャ(ウルグアイ) クラッキ列伝 第177回 下薗昌記 月刊ピンドラーマ2024年8月号

          94年の歴史を誇るサンパウロFCにおいて過去、栄光のユニフォームをまとったウルグアイ人は17人。ダリオ・ペレイラやディエゴ・ルガーノらウルグアイ代表でも活躍した世界的名手も数多いが、この男の実績と存在感は他を寄せ付けない。 ペドロ・ロチャである。 1942年、ウルグアイではモンテビデオに次ぐ都市であるサルトに生を受けたロチャは母国の名門、ペニャロールでクラブレベルでは考えうる全ての栄冠を手にしていた。 攻撃的ミッドフィルダーとしてチームの中心に君臨。ウルグアイの国内リ

          ペドロ・ロチャ(ウルグアイ) クラッキ列伝 第177回 下薗昌記 月刊ピンドラーマ2024年8月号