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「嗚呼、勘違い」 伯国邦字紙四方山話 第4回 松本浩治 月刊ピンドラーマ2024年8月号

「あんた、何か勘違いしてるんじゃないのか?俺はカズの親父だよ!」
「はぁ?」

1994年2月初旬、前年の93年に発足したサッカーJリーグの立役者「カズ」こと三浦知良選手(当時27歳。現在57歳)が、ブラジル修行時代の古巣サッカーチーム「キンゼ・デ・ジャウー」を訪問。同市の市議会から名誉市民章を授与されることになり、新婚だった、りさ子夫人(元女優の設楽りさ子氏、現・三浦りさ子氏)を伴い、4年ぶりの帰伯を果たした。

2月7日の名誉市民章授章式を1週間前に控えた同1日午前にブラジルに到着したカズ夫妻は同日夕方、サンパウロ市ジャバクアラ区に住む日本人画家の間部学(まべ・まなぶ)氏(故人)の豪邸で開かれた歓迎パーティーに出席し、筆者はその取材を行うことになった。

しかし、こちらはまだブラジルで邦字紙の活動を始めて1週間ほどしか経たない新米記者。有名人のカズ夫妻以外、取材先では誰が誰なのかまったくわからないという状態だった。そのため、間抜けなことに、面識のないカズの父親の納谷宣雄(なやのぶお)氏(故人)と間部画伯とを取り違えてしまい、納谷氏に「カズさんに初めて会った印象はいかがですか?」などとトンチンカンな質問をしたことで話が噛み合わなくなり、同氏から冒頭のお叱りの言葉を受けたという次第。

取材現場に場馴れしていないこともあり、パニクった記者は納谷氏に平謝り。その後に少しでも関係者のコメントを取ろうと(事前に先輩記者からコメント取りの大切さを聞かされていたように思う)、今度はりさ子夫人に恐る恐る「ブラジルの印象はいかがですか?」と質問してみた。しかし、りさ子夫人本人ではなく、その近くに居た納谷氏のお付きの人から「そんなの、まだブラジルに着いたばかりでわかるわけねえじゃん」と軽くあしらわれ、「確かにそうなや」と心の中で妙に納得してしまうところが新米記者の悲しい本心だった。

キンゼ・デ・ジャウー市議会でブラジル報道陣からの質問に答えるカズ

結局、己の不甲斐なさにより、納谷氏のコメントも、りさ子夫人のコメントも取れず、散々な取材だったことが今も、ほろ苦い記憶として残っている。

一方、記者とほぼ同年代のカズは、同年2月7日にキンゼ・デ・ジャウーで行われた名誉市民章授与式で市議会関係者や報道陣等に流暢なポルトガル語で対応し、スーパースターとしての振る舞いが光っていた。

(つづく)


松本浩治(まつもとこうじ)
在伯25年。
HP「マツモトコージ写真館」

月刊ピンドラーマ2024年8月号表紙

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