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「コロニア語」 伯国邦字紙四方山話 第7回 松本浩治 月刊ピンドラーマ2024年12月号

「アンタの日本語はよくわからんね」―。ある取材先でコロニア語を駆使する日系2世の重鎮の方に、そう言われたことがある。コロニア語とは、ブラジルの母国語であるポルトガル語と、日本語をミックスした言葉や話し方のこと。冒頭の言葉をかけられた際、苦笑いしながらも、「おいおい、2世のアンタにそんなこと言われたないわ!こっちは日本語しか話せん日本人1世やっちゅうねん!!」と心の中でツッコミを入れていた。まあ、原因はこちらの関西弁が相手に通じなかっただけのことなのだが、ある意味ショックを受けた経験だった。

ショックと言えば、やはり日系2世などの高齢の方に多いのだが、こちら(記者)のことを「オジさん(対象が女性の場合はオバさん)」と呼ぶ人が少なくない。還暦間近となった現在の記者には問題ないのだが、まだ30代前後だった若い頃に「オジさん」とやられると、「高齢のアンタのほうがオジさんどころか、オジイさんやろ!」と文句の1つも言いたくなるのが人情というもの。しかし、この「オジさん」という呼びかけが「さん」付けであることから、実はコロニア(日系社会)ではある意味「尊敬語」に当たることが後に判明する。

一方、特に第2次世界大戦前にブラジルに渡ってきた1世(戦前1世)からは、「オセ(Voce)」と呼ばれることも多かった。ポルトガル語の発音が難しい1世にとって、「ヴォセ」ではなく、「オセ」。「オセは何をしよるんか(アンタは何の仕事をしているのか)?」などというコロニア語が日常会話として使われていた。

また、「自分(私)」のことを「ヨ」と言っていた戦前1世も数多くおられた。「Eu(私)」がなまって「ヨ」になったと思われる。日本では昔、「ヨは満足じゃ」と殿様言葉のように使われたようだが、ブラジルで最初に「ヨは○○の出身で…」などと聞いた時は「この人は、どこのエライ人やねん?」と感じたものだ。

日系社会の中心地サンパウロ市リベルダーデ地区の風景

日本語とポルトガル語が混じった「コロニア語」は今や日本の大学等で研究している人もいるようだが、コロニアの取材相手から「新聞社は何時からフンショーナ(営業)しとるの?」とか、取材先に行くのに「タクシーをペガして(拾って)来たらいい」とか言われても、当初は首を傾げざるを得なかった。

ところが、慣れとは恐ろしいものですな。何十年もコロニアに住んでいると、こちらのほうが「いやー、仕事がバスタンチ(たくさん)あって、アグエンタ(耐えられ)しませんわ」「あの人はアプロベイタ(利用)しまくりやな」などと、知らぬ間にコロニア語に染まっている自分に気付く。恐るべし「コロニア語」。

(つづく)


松本浩治(まつもとこうじ)
在伯25年。
HP「マツモトコージ写真館」

月刊ピンドラーマ2024年12号表紙

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