伝える温度感、伝わる湯加減
6月の定期公演のチラシ作成が終わった。
毎回オモテ面は、なるべく「これまでにない」デザインを心掛けて作るようにしている。ただ、自分が好きなんだと思うけど、クロスになっているデザインが結構好きで、縦書きと横書きが並立していることが多々ある。今回は、それもやめにして、上から下へ(下から上へ)スクロールしていくようなイメージで作った。
今回のウラ面は結構時間がかかった。
どういうことかと言うと、
①なぜ坂本龍一の作品に取り組むのか。
②一体何が新しい音楽で ③一体どこが他と違うのか。
という疑問に答えつつも、「行ってみたい」という購買に繋げないといけないからだ。①は話し出したらきりがないというやつで、②③は音楽的な専門用語を使わないと説明しにくいものである。
さらに最後「チケットを買う」というゴールまでお客さまの手を取って走らないといけない。離脱されないように。そのためにはどういう言葉が必要で、(しかし書きすぎず)どう共感をしていただくのかと考えあぐねていた。
最終的には
①坂本龍一 ②サウンドインスタレーションについて書くことにした。
どちらも誰が読んでもわかる言葉で、より簡潔に説明することを心掛けたが、どうだろうか。
ここまで読んで最後、音まで聴きたいという方はQRコードから飛んでもらえればと思っている。
自分たちでステージを作り、自分たちで券売をするためには当然のことながら、自分たちの言葉で説明しないといけない。このチラシが総括してすべてであり、補足であり、新しい発見となるようにしたい。
先日はおそばを食べ、また別の日にはうどんを食べた。
自分で作るようになってから、めっぽう外食が減った。コンビニのご飯もほとんど食べなくなった。だから外食は本当に楽しみで、どう作るのか、どう盛り付けられるのか、何が入っているのか、何から何までが興味深い。
ざるとはいっても鴨と焼き葱の入った出汁はあたたかく、お蕎麦もほどよい温度。それぞれの素材の甘みと旨みが合わさり、そばの香りが引き立つ。全てを同時に食べても、レイヤーがわかる。どの順番で、どう味わってほしいのか。作り手の思いが感じられる。
うどんを湯がくところ、とり天を揚げるところ。最後の盛り付けまでカウンター越しに見ていたが、何から何まで丁寧である。布の湯切りで丁寧に湯がき、冷やされたうどんは、最後盛り付けの時に職人の手の中で長さが揃えられ、もったりと器の中に入っていく。
ここまで丁寧に作られたものが美味しくないはずがない。とり天の衣のさくっとした食感、中のもも肉のふっくらとした舌ざわり、うどんの冷たさとのど越し。大根おろしもばらばらと零れず、自分の箸で少しずつ崩していく。作り手と、食べる側の意志が適切に食事として表現されていく。
蕎麦とうどん、様々なものと相性がいいのはうどんで、蕎麦は出汁から何まで相手を選ぶ。しかし、うどんはその分他のトッピングの質で大きく変わる。でも、そうした組み合わせが楽しいし、「ああ、人の手で作ったものを食べさせていただいているなんて幸せ」とずっと感じることが出来る。
美味しいものを作って食べる。美味しいものを作ってもらって食べさせてもらう。どちらも本当に尊くて幸せなことだ。
20240417
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