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考えない食養生

振り返って書くのは2022年元旦という点の記録、私の「日常」の話である。
あくまで通過点と思っているので、今後の生活には刻々と変化があるという前提だ。

個人的に分析して、日常と非日常の間で言うならば、上記2021年の池田園子さんのnoteへの寄稿「『健康』よりもあたたかいカレー」は、私の日常と非日常の間で"いい線"をいっているなということ。

ここまで海外の思い出の料理や日本の中のアジアで連続2編のnoteを書いたが、実際、料理を介しては書ききれないほど大切な思い出がある。

さて、日常というリアルに戻ってみるとどうだろう。

自主養生を始め、「人と違う私」を生きるようになった私は海外の智慧や自足で歩いて見つけた体に合う食材を取り入れ、いわゆる日本人スタンダードから外れた和印(インド)折衷で、内容も食べ方も独自なスタイルに落ち着いている。

また、何よりも毎日の体の心地よさを守る生活で、自分でも気づかぬうちに ”整食”という一つの食養生法の実践になっていたらしく、これも人生のある地点の記録として残しておきたい。

たっぷり作ってたっぷり食べ(出すも然り)毎回食べきりロスも出ない。
大鍋で作るが器は身の丈。小さいカップで何回もおかわりすれば洗い物も最小限

2022年元旦。元旦というハレの日も、私はチャナダール(Chana Dal:ひき割りのひよこ豆)を野菜の端材とスパイスと煮込んだ出来たてをワンボウルに盛り付けながら振り返っていた。

一昨日食べたばかりなのに、この「チャナダール初め」を前夜から楽しみにしていた。大したご馳走でもなく、今日というハレの行事食とは真逆をいくこの質素なチャナダール煮が気に入っていて、コロナ環境下の不自由な私を救ってくれたと言える。

ほぼ毎日同じなのに、味付けやトッピングの微々とした変化を写真に納め、全く飽きないから不思議なワンボウル飯だ。

和食派なら毎日食べても安心するお茶漬け、洋食派ならオートミールのような存在だろうか。スパイスやダシになる素材を使えば、基本的に無塩でも美味しい。

少しずつ変化させながら繰り返し繰り返し作り続けていたら、1日たりとも「おいしくない」日がないとまで手が勝手に作れるようになったので、我ながら続けることの"賜物"である。

以下、簡単なHOW-TOをメモ。

〜前置きとして〜
豆もスパイスも蔵前や新大久保に店を構える専門店「アンビカショップ」で、店舗・オンラインともにもう7〜8年"御用達"し続けている(足で通いつつ、まとめて重たくなる時やはりオンラインが便利)。

近年はメディアの話題性もあるが、通も通い素材の味はお墨付き。ビギナーにも何かしら使える食材が見つかるので、やっぱりおすすめである。

消化を促進しガスを防ぐスパイス、ヒング(アサフェティエダ)やコリアンダーを入れた水で煮始め、豆のアクを掬いつつ、豆と野菜が織りなす甘い煮汁まで楽しむ。スープ仕立てのままお代わりして食べるのが定番だが、仕上げに煮汁を飛ばす時もある。

トッピングに乾燥ハーブやスパイス。インドのものだけでなく、和食のお供である香辛料や薬味や好みの海苔をたっぷり載せる(和風洋風、韓国風中華風...これにもマイブームがある)。

ある日の和印折衷。海外に3つだけ持っていくなら海藻、唐辛子、チャナダール。最近のヒットは赤と黒で取り合わせたスープの日。
余っていたエシャロットや生姜の端材と煮て、乾燥にんにく、ミントやパセリ、コショーをたっぷり後がけした「ちょっとフレンチ」皿盛りの日

カフェ・オ・レボウルに盛れば、パリを再訪できたらビオスーパーで探して食べたいお惣菜タブレ(タッブーリ)を思い出す見た目と味付け。

盛り付け方や味付けによりインドの炊き込みご飯「ビリヤニ」の大盛りをかきこんでいた海外生活を思い出し、手軽で楽しく懐かしい。

スープたっぷりもいいが、お皿でポロポロ、ぽそぽそとしたデンプンの食感を楽しむスタイルも気に入っている(最近は冷ました炭水化物の「レジスタントスターチ」の効果が見直されている)。
こんな本にもある「あったか寒天スープ」の食べ方や熱々に氷を入れて急冷させるスープの食べ方も気に入っている。

マイブームもある。最近のヒットはにんにくや刺激物を控えたシンプル版。
海苔やあおさ粉と、唐辛子に似て亜鉛豊富なパプリカのふりかけ
「スープ」と呼ぶ豆の煮汁も大事な食事の一部。塩なしでもおいしくて、海藻や薬味を加えて飲み干す。粉寒天を入れて氷で冷まし「ジュレ」のようになったスープも美味しい

プラネタリーヘルスやホールフード(一物全体食)の視点でも、これを作る時、私は意識してフードロスを退治する。

元旦の今日は大根の皮や根元の芯を入れ、スープをすすりながら始まったので、お雑煮づくりの風景にも見えなくもない。

また、豆のアクを掬いながら、余すところなく煮て食べているという見方では、お汁粉と捉えられなくもない。
まあ、そんな世間との連動意識はどうだって良いのだけれど。

この豆食生活は自分以外の人におすすめはしていない。というのも、豆は、高食物繊維で消化にいいと言えない食材で、人それぞれの腸の状態により、摂るべきものだからだ。

自分はもう何年も、今日もモリモリと食べているが、この元旦は近所に15分初詣をしただけで、冷えのためか、朝から腹の調子が悪い。

前日は大晦日ということで、朝から実家でシャンパンや肉類を飲食し、腹には少々悪いことをしたと思う。

ローストビーフにピザチーズやバターライスを摂った帰り道からすでに胃や腸が重く感じたのはコロナ禍を経た「ハレ」と「ケ」の落差についていけなくなったせいだろう。

(*翌週の連休も、パートナー家族との外食で好物の豚の脂身や鶏の串焼きホルモンなど、肉三昧で食べすぎてしまい、久しぶりの胃もたれと腹下し。2022年すでにイエローカード2枚だ)


実家を後にし、大晦日から元旦は豆と一緒に幸せを噛み締める。
平和なひとり時間だ。


トイレと台所を行ったり来たり。食い意地だけはあるので、豆を食べながらお通りを待つ。
「食べると出す」がほぼ同列に訪れる体を意識する時間。でも誰も咎めないし、汚いと言われる引け目を感じることもない。

2021年からは、くどいほどの養生がTODOリストに加わったが、生活上の前向きな部分もあるから「ガタがきた」と言うのとは少し違う。

ワクチン接種後弱った肢体を癒すため、いわゆる夜の入浴タイム以外にも朝昼晩、自分リズムで半身浴で体を温める生活が定着した。

そんな訳でコロナ禍が「可」にした今の日常と環境には本当に感謝している。

そんな私だが、明日からはやや非日常で、パートナーと海側ホテルで1泊2日を過ごす。

いくら大好きなパートナーといても、外泊となるとどうしても腸や自律神経が高ぶることもあると承知の上(ちなみにパートナーは私より腸が過敏で、旅先でも日常でも食とお便りの話題は日常茶飯事。)である。

愛する人たちとの時間も確保しながら、その時間はベストコンディションで満喫したい。だからこそ、手前で備え、ひとり時間に養生に専念するのだ。


30代も中盤になり、あたまのてっぺんからつま先まで、20代までのように、ズボラすぎてもメンテできなくなってきた。人の手を借りたり、ある程度お金を投じたりする必要が出てきている。

瞑想やヨガはいつまでたっても「その筋」の世界に踏み込めない私も、インドのアーユルヴェーダや中医学など「学問としての健康」を取り入れ始めた。


2022年、虎柄の絵馬には「わたしもみんなもサステナブルでありますように」と書いた。私なりの方法でベストコンディションへ持ち直してゆこう。

このチャナダールのレシピといつもの薬味、旅先で調達する野菜、スパイスとハーブ、簡単な煮炊きができるアパルトマンさえあれば、どこでだってひとりで満たされることが解った気がして自信もついた。

次の滞在先にも、いつでもどこでも安心できる保険材料として、乾燥豆のチャナダールだけはスーツケースに詰めていきたい。

冒頭のアンビカショップは今は地元で生活インフラ。
好きが高じて取材までさせてもらった。


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