新大久保と私の6か月(コロナ2020を振り返る)
東京で異国情緒を探す際、一つのモデルとなる地区。
山手線で行ける、日韓のトレンド、アジア諸国の文化が混ざる場所。
私は6か月ぶりに降り立った。
夏の暑さはまだまだこれからというところだが、感染拡大防止の過熱は喉元を過ぎたのか、人々の顔に着けられた白や黒のマスク以外、街の喧騒に変化は見られなかったといっても過言ではない。
6ヶ月前と奇しくも重なり合う新大久保・大久保界隈を歩き、正味3時間、思い出したことを記録した。
2019年12月30日夕刻、ネパール料理店から6ヶ月後
今回の新大久保再訪で、6か月前と同じあるユニークな一皿を食べた。
JR新大久保駅の大久保通りを東口側に。大久保駅を通り過ぎ、さらに歩いていていくと、喧騒を離れたところにぽっと出現するネパール料理屋「ニューガウレレストラン&セクワガル」。
2019年の大晦日の前日、私は知人の主催した食事会に飛びいることになり、この店の2階の広間に集った。
ネパール事情にあまり精通しない私はアジア各国の料理事情に詳しいその筋の方々ばかりが集う緊張感と、年末の締めに大人数で囲んだ高揚感も相まって、当日はひと皿ひと皿の特徴までうまく呑み込むことが出来なかった。
あれから6か月、アンダーコロナの意識という当時とは別の緊張感で2人で同じ店を再来し、もう一度このメニューを味わうことにした。
スクティ(Sukuti)とは、干し肉の炒めのことで、インド・ネパール料理(2つの国の料理を一緒に提供する店のことを「インネパ店」と呼ぶその筋の方々がいる)の中でもなかなか指名されない、独特な羊肉料理である。
昼食には遅く、夕食には早い時間だが、2019年末の食事会を主催したSNSでつながる知人が偏愛する干し肉の炒め「スクティ」(700円)をつまむ。
香辛料よりも肉のうま味が前面に出ていて「固さが病みつきになるからやめられない」という、その方の言葉も納得できる。
ネパール料理店は初めてで、この日初めてスクティを体験した付添人からは「酢豚みたい」という感想も出た。確かに、この店のスクティは見た目より辛くないという感想を持った。
本降りの雨の中歩いてきて、肌寒かったので最初のドリンク注文をチャイやラッシーにしたが、食べ始めて数十分、噛み応えのある肉を味わっているとやはりビールが欲しくなる。
付き添い相手の提案で頼んだ「コロナビール」で、口内を適宜潤しながら、羊肉の独特な味と噛みごたえを楽しんだ。
愛着のある二つの横丁・ストリートへ
新大久保東口には、いわゆる韓国/韓流ではないスポットの存在も多い。ネパール料理屋を後にし、次に歩いたのは新大久保駅東口からほどない距離にある「イスラム横丁」。
2019年6月に拙筆で紹介した小林真樹氏の著書『日本の中のインド亜大陸食紀行』にも紹介される、ムスリム向け食品店の草分け「グリーン・ナスコ」の緑色の看板は初めて来た人の目にもわかりやすく飛び込んでくる。
この界隈でよく目を凝らすと「Halal」の表記やトルコ料理のテイクアウト、ネパール居酒屋、国際送金業の掲示などが見えてくる。
日本人には接点を持ちづらい生活資材やサービスが多いが、確かに同じ東京で生きる隣人の日常が垣間見える。
以前からこのような日常が営まれる場所だが、高価格帯のマスクを売り出し2020年3月末の「マスク危機」の一助となったというエピソードも生まれ、助け合いの精神が見直される地となった。
今度は新大久保駅を挟んで反対側の西口エリアへ。ここには筆者が大学時代の初学者の頃から優しく在り続ける路地裏がある。
西口を出て徒歩5分ほど大久保通りを歩き、右折した路地裏に現地の雰囲気のある飲食店やコスメショップが立ち並ぶ「イケメン通り」。
韓流の聖地とされることの多い新大久保で、韓国現地の食、美容、アイドル文化などのエンターテインメントを短時間でインプットできるので、初めて新大久保を訪問する人を案内するのに好適な場所でもある。
初めて渡韓した学生時代、むしろ自主的に迷い込んでいくように歩いた明洞(ミョンドン)の路地裏を彷彿とさせる情景は今も昔も変わらない。
2020年5月7日の『ダイヤモンドオンライン』の室橋裕和氏による記事では、この通りのゴーストタウン化した様子が報じられていたが、わずか1か月後の今、なぞって歩いてみると、傘を差した状態でひしめき合うくらいの若者の人波に遭遇した。
「変わりゆくもの・変わらないものを定点観測する」に寄せて
日本で活動する韓国語講師の呟きによると、2021年度には『冬のソナタ』が韓国で放送された都市に生まれた子供が大学に入学するという。
当時、中学時代を過ごしていた私もこの世界観に魅了され、さらに大学に進学すると母娘ともにSMエンターテインメントの男女グループ全盛期に影響を受け、韓国語を履修し、日韓の比較文化に着手した私はとても感慨深い。
「BTSの成功が潮目を変えた」ことは納得できるが、その後、どこか自分が「蚊帳の外」になってしまった感がある。
年に数回韓国の息吹を求めて通っていた当時と変わらない、新大久保駅西口からすぐの場所に存在するファンのための「アイドルパーク」「韓流百貨店」。かつての自分の「推し」のボーイズグループたちのグッズはなくなり顔ぶれが刷新していたことを確認し、ぐっと胸に寂寥感が押し寄せた。
新大久保駅の東口では「変わらずそこに存在するもの」のありがたさ、西口では「変わらず存在し続けるものを、再び目と足で確かめることの難しさ」について考えさせられる。
変わりゆくアンダーコロナの環境の中、変わらない味や人の生業、街の活気から、個人が前向きに生きる術を追いかけていきたい。
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