見出し画像

「瓦」を重さの単位「グラム」の略称に使い始めたのはいつなのか?

永年、国字についての研究をしておられる日本語研究者の方と昨日メールでやり取りをさせていただいていて、「瓦」という字を重さの単位「グラム」として、いったいいつから使われはじめたのか? という疑問が涌いてきた。

明治のメートル法単位の宛て字

お話の取っ掛かりは帝国単位への明治前期における宛て字用例のことだったのだが、次いでメートル法の宛て字の話題になった。現在の定説では、明治二十四年(1891年)法定度量衡にそれまでの尺貫法に加えてメートル法も加えられることになった際、中央氣象臺が研究の末に「記號」として二十二文字を考案設定したのが最初、とされているようだ。


  • メ-トル法単位を表す国字の製作と展開 笹原 宏之 , 国文学研究,114,120-109 (1994-10-15)

  • メートル法の単位の漢字(米、粁、粍、瓦、瓩、立、等)がいつ作られたかを調べている。ついては、1.明治... | レファレンス協同データベース (事例作成日 2001-08-01)


普段眺めている明治前期の資料に書かれている度量衡単位が、どのような書き方になっているか? などとはあんまり意識していなかったが、だいたいは括弧傍線を添えた仮名書きで、ときどき宛て字もあったような……少なくとも「」はあった筈、というのはアタマにもんやり浮かんできた。そうなるともう、居ても立ってもいられなくなって、早速出てきそうな本をごそごそ引っ張り出してきて片っ端から眺めてみた。

明治十年代の「瓦」用例

結論からいうと、(あくまで「夕べその場で取り出すことのできたものに限って」という情けない制約つきだが)明治二十三年以前の架蔵資料で用例を確認できた「一文字」で書かれているメートル法単位の例は、「グラム」を意味する「」のみだった。

しかも、それが出てくる資料は、どれも薬学関係なのだ。

最も早い例は、勝山忠雄纂訳『調劑要術』巻頭に載っている、明治十二年(1879年)の「初板凡例」。

○藥名ノ丁幾丢兒チンキチユル越幾斯篤拉屈篤エキストラクト舎利別シヤリベツ及ヒ瓦蘭謨等ハ之ヲ略書シテ丁幾、越幾斯、舎、等ノ字ノミヲ記スルヿアリ(引用者註:読み仮名は推定)

勝山忠雄『調劑要術』(明治二十一年改正增補第四版 島村利助+丸善書店+南江堂+島村利助支店)

本文には、さらにはっきり書いてある。

○此瓦蘭謨量ノ略語ハ gr. ニシテ本邦ニテハ往々ノ一字ヲ用ユ

勝山忠雄『調劑要術』(明治二十一年改正增補第四版 島村利助+丸善書店+南江堂+島村利助支店)

なおこの本自体は、明治二十一年の改正增補第四版。

勝山忠雄『調劑要術』(明治二十一年改正增補第四版 島村利助+丸善書店+南江堂+島村利助支店)

初版は和本五巻組らしいのだが、☝引用の箇所を国会図書館デジタルコレクションに公開されているものでみてみると、当初から同じことが書いてあるのがわかる。

同じ年に版権免許を取っている、丹波敬三下山順一郎無機化學』の非金屬篇

丹波敬三+下村順一郎『無機化學』非金屬部(明治十二年第壹版 丹波敬三)

この本ではなんの説明も、そしてよみ仮名すらもなく、いきなり「」が出てくる。

丹波敬三+下村順一郎『無機化學』非金屬部(明治十二年第壹版 丹波敬三)

そして「キロ瓦蘭馬」と書かれているところも。

丹波敬三+下村順一郎『無機化學』非金屬部(明治十二年第壹版 丹波敬三)

その次の行にある「律篤兒」は「リツトル」だろう。こちらは、「律」だけで書かれている箇所は見あたらない。

丹波敬三+下村順一郎『無機化學』非金屬部(明治十七年第四版 丹波敬三)

実は同じ本の第四版奥附から、第壹版が明治十二年の刊であることがわかる。まぁいずれにせよ、『調劑要術』とほぼ同じころに出たということになる。なおこの本を編んだ両名は、いずれも東京大學(明治十九年(1886年)東京帝國大學に改称)で薬学を教えておられた方々。

丹波敬三+下村順一郎『無機化學』非金屬部(明治十七年第四版 丹波敬三)

なお第四版では、「瓦蘭謨」に「グランム」とルビが振られている。流石に「これ、なんて読むんだかわから〜ん」という話になって、改訂の際に付け加えられたのかもしれないww

丹波敬三+下村順一郎『無機化學』非金屬部(明治十七年第四版 丹波敬三)

同じメートル法単位ながら、「律篤兒」と「」と「「ミリメートル」」とが同居しているww

最初の日本薬局方と「瓦」

そして、帝大改称と同じく明治十九年、『日本藥局方』が制定された。つまり、中央氣象臺メートル法を採り入れた明治十五年(1882年)四年後、二十二文字の「記號」を設けた明治二十四年(1891年)五年前だ。

石川恆和『日本藥局方』(明治十九年 忠愛社)

その「緒言」で、メートル法採用の規定が設けられている。

九 藥局方中重量及度量ハ「メートル」系統ニ由ルヘシ

石川恆和『日本藥局方』(明治十九年 忠愛社)

なお局方そのものには「瓦蘭謨」は使われているものの、略称としての「」は登場しない。

石川恆和『日本藥局方』(明治十九年 忠愛社)

しかし翌二十年(1887年)にその解説書として刊行された、樫村淸徳+伊勢錠五郎+柴田承桂『日本藥局方隨伴』をみてみると、

樫村淸徳+伊勢錠五郎+柴田承桂『日本藥局方隨伴』卷上(明治二十年 樫村淸徳+伊勢錠五郎+柴田承桂)

こちらにはちゃんと「」も出てくる。

樫村淸徳+伊勢錠五郎+柴田承桂『日本藥局方隨伴』卷上(明治二十年 樫村淸徳+伊勢錠五郎+柴田承桂)

『日本藥局方五十年史』巻頭の「初版日本藥局方創定參與委員」に☟柴田

や☟丹波、下山ご両名

が名を連ねておられることからもおわかりのように、東京帝大の薬学分野の面々が局方制定には深く関わっておられた。単位の表記法がそっくりなのは、そのことと無関係ではないのではないだろうか。

中央氣象臺の「記號」制定よりも後れるが、明治二十六年(1893年)桑原丘爲『新纂藥物全書』

桑原丘爲『新纂藥物全書』(明治二十六年 誠之堂)

巻末に、「瓦蘭謨量名稱」という表が載っている。

桑原丘爲『新纂藥物全書』(明治二十六年 誠之堂)

これをみると、「キロ瓦」「ヘクト瓦」……「センチ瓦」「ミリ瓦」という書き方で、「瓩」や「瓱」のような国字は使われていない。つまりこれは中央氣象臺の「記號」とは別系統の、薬学における略号としての「」表記、ということになろう。

薬学分野での「瓦」のはじまりは謎

さておき、☝『調劑要術』や『無機化學』での「瓦蘭謨」「」の使われ方や説明文からすると、明治十年代に入ったあたりには、既に「グラム」への宛て字として薬学分野では定着していたようにおもわれる。しかし、それではいつから使われるようになったか、ということになると、それを裏付ける資料が今のところ見付かっていないのでわからない。東京大學の創始期あたりの資料を調べてみたりすると、あるいは何かしら手がかりが見出せるのだろうか……。

最後に余談だが、明治の初めの薬学関係書で「」が単位の略称として使われている用例を紹介しておこう。ただし、これは重さを示すものではない。

明治五年(1872年)づけの序文のある、海軍軍醫寮『藥局方』

前田淸則+奥山虎炳『官版藥局方』(明治五年 海軍軍醫寮)
前田淸則+奥山虎炳『官版藥局方』(明治五年 海軍軍醫寮)

冒頭部の「液量」のところに、なんと「ガロン」の宛て字として「」が出てくるのだ。

前田淸則+奥山虎炳『官版藥局方』(明治五年 海軍軍醫寮)

これ以外の資料での用例は、見たことがない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?