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娘がハマるもの

iPad にYouTube配信に似せたような動画がいくつも保存されていた。

妻が写真ホルダーをなんとなくスクロールしている時に偶然見つけたものだ。

妻は、わが子の行動に「ちょっとひくわー(笑)」とこぼす。

YouTuberがお化粧する配信をマネた娘の動画の数々。

自画撮りのオンパレードに妻は寒気を覚えたとのこと。

確かに、「カワイイでしょ」と言わんばかりに自分を撮影していると思うと・・・・。

少し「ウッと」なる気持ちが分からなくはない。

そしてそのような状況は、小学2年生の娘が女性になってきていることの表れなのかもしれない。

ドラッグストアで私がお会計をしている間、
娘は「ちょっと他を見てくる」と言ってどこかにいく。
その娘が見ているのはお化粧品のコーナーである。

そのことに両親は気づいている。
でも娘が大人になっていくのを遠ざけるかのように「欲しいの?」とは聞かない。

嬉しいような、さみしいような親心。


このような状況に出くわすたびに、自分が生きた過去の時代とは明らかに違うのだと痛感する。

携帯電話やインターネットなどなかった。
ありとあらゆるものが便利になった現在。
それでも大きく変化したように感じていない。
SNSが日常に溶け込んだのなんて、ここ10年の出来事のはずだ。
けれど、「昔からあったんじゃない?」と錯覚している。
脳の情報は都合よく書き換えられ、上書きされている。

自分が小学2年生の時に見ていた光景と、娘が見ている光景が明らかに異なっているはずなのに、まるで同じ光景を見ているように思ってしまう。

でも実際は、とてつもない価値観の乖離がある。
そのことを強く意識しておかないといけない。

そして乖離があるからといって、過去と現在に優劣をつけるものではなく、
「そもそもが違うんだよと」理解すること。

そして定義する「子供」の幅も変化してきている。

なので、「子供だから〇〇」という表現には少し気をつけたいと思う。

「子ども・子ども」と連呼してしまうことは、
アップデートし損なった大人たちのようにも見えてくるから。


もしわが子が「発信側」の経験をしたいなら、YouTube以外にも配信するツールは数多く存在し、ツールは揃っていることを親が知ろうとする必要がある。

「ポコチャ」「リアリティ」などの配信プラットフォームも数多く存在するわけだし。

「親が子に教え、子が親に教える」時代へ。

グラデーション的に進行しているのだなと感じたこの頃。




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