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【おはなし】 すだれと半透明人間

蒸し蒸しする梅雨の朝。私は窓を開けて外の景色を眺めている。カサをさして歩いているサラリーマン、ランドセルを背負って走っている少年、雨宿りをしているノラ猫の姿が見える。

私は彼らに手を振ってみる。だけど、彼らには私の姿が見えていない。

彼らと私の間には開け放たれた窓と網戸がある。それともうひとつ。重要なのがすだれである。

すだれというのはカーテンに近い存在だ。太陽の光を遮断して部屋の中が高温になることを避けてくれる優れた商品。カーテンが室内に設置するのに対して、すだれは室外に設置することが多い。

先週の日曜日に私は100円ショップへ行きすだれを買ってきた。家の外から窓枠に沿って取り付けてみた。試しに窓を開けた状態で家の外から部屋の中を覗いてみると全く見えなかった。

部屋の中から外を見ることはできる。すだれのアミアミが視界を遮断してボーダー状に世界が見える。人間の目というのは不思議なもので、遮断された景色がひとつの繋がった景色として脳で情報処理される。パラパラ漫画を見ているみたいに連続した景色を私はすだれ越しに見ることができる。

もうひとつ。人間の目というのは不思議なもので、明るい場所から暗い場所は認識しずらくなっている。

太陽の光で明るい屋外から電気の消えた暗い室内を覗き込んでみよう。大まかな家具くらいは把握できるかもしれないが、テーブルに置いてあるえんぴつと消しゴムを視界に捉えることは難しい。窓に近寄って取り調べ中の刑事みたいにじっくりと観察すれば見えるかもしれないが、不審者として通報されるだろう。

それとは逆に、暗い室内から明るい屋外を覗き見ることは簡単にできる。歩いている人物のかけているメガネの色、スマホにつけているキーホルダーまでもが視界に捉えることができる。

私は暗い室内から明るい外の景色を眺めている。屋外から私を肉眼で視界に捉えることは不可能、とまでは言わないが、大変難しい状態であることは間違いない。

つまり私は、半透明人間なのだ。



半透明人間になる方法は3つ。

・明暗差を利用する
・相手の視界を分断する
・気配(音と匂い)を静める

すだれを持って街中を歩いていると、いつでも半透明人間になれるかもしれない。いや、ちょっと無理があるかもしれない。



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人生というのは不思議なもので、私が半透明人間になっているとお客さんがやってくる。しかも客人は、私に自らの存在をわざわざアピールしてくるから、さらに不思議さが増してしまう。

1組のカップルがいる。中学校の制服を着た男女である。彼らは平日の夕方4時くらいになると私の家の前にやってくる。

ふたりは声を潜めて何やら話し合っている。私は半透明人間になり彼らの姿を視界に捉える。どれだけ耳を澄ませても途切れ途切れの声が聞こえる程度で会話の内容までは聞き取れない。

ふたりは好き好き同士なのだろう。カップルかもしれない。手を握り合って見つめ合っている。

私の家は道路の角になっており、車一台がギリギリ通れるくらいの道幅がある。ふたりは大通りからの死角に隠れて愛を確かめ合っている。

私の家は小学生の通学路にもなっており、下校中の小学生がカップルを見つけるとヒソヒソ話をしながら通り過ぎていく。通り過ぎた小学生が「さっきのひとたち、恋人同士なのかな。最近よく見かけるよね」と言った。

私としては中学生カップルが路地に隠れて愛を育んでいることに対して不快感を抱いてはいない。少々話し声が気になるくらいか。駄菓子を食べてゴミをポイ捨てするわけではなく、タバコをふかして煙を我が家に忍び込ませるわけでもないのだ。特に害はないだろう。

問題は、彼らが誰なのかということだ。

私は知らない。ふたりの顔を確認してもどこかで出会ったわけでもなく、知り合いに似ているわけでもない。ただの知らない中学生。改造した制服を着ているわけでもなく、真面目そうに見える中学生2人組。

さて、彼らは何者だろうか。

① スパイ
② 過去の両親
③ 未来の息子たち

②について考えるのが楽しそうだ。

中学生カップルは過去からやってきた私の両親なのだ。私が外に飛び出て彼らを追い払ってしまうと、ふたりは気まずくなって恋人関係が終了するかもしれない。そうなると、今の私の存在が消えてしまうかもしれない。

なんらかの方法で時空を超えてやってきた幼い頃の両親。今のところ好き好き同士に見える。順調に愛を育んでいる。だが、人生にはピンチがつきものだ。2人の間にライバルが登場して恋仲に亀裂が生まれるかもしれない。そうなると私は…

う〜む、困ったことになりそうだ。

今の私にできることはなんだろう。すだれ、半透明人間、路地裏。

彼らのために路地にタタミ半畳くらいのスペースを確保してすだれを取り付けるのはどうだろう。「イチャイチャすだれ部屋」を作るのだ。外からは中が見えない視覚効果を利用して愛を育んでもらおう。

手っ取り早いのは、私の部屋の一部をふたりに貸してあげること。私がいない時にも自由に出入りできるように合鍵を渡すのだ。見ず知らずの他人だとそこまでする必要性を感じないが、若かりし頃の両親が時空を超えて訪ねてきたと思えば、私も思い切った行動に出れるかもしれない。



さて、もうひとつ不思議なことがある。

私の家にはときどきお客さんが訪れる。中学生カップル以外にも、かくれんぼをしている小学生が来ることもあるし、買い物帰りのご老人が話し込み始めることもある。

訪れるのは1グループと決まっている。中学生カップルがいるときには買い物帰りのご老人は登場しない。帰宅途中の小学生が通り過ぎることはあるが私の家の前で長居することはない。必ず1グループ限定なのだ。

なぜ、1グループなのか。

・他のグループも同時に存在している、が
・私には1グループしか認識できない、ので
・私はそれを唯一の客人と認識している

ふ〜む、「客人」という言葉を「現実」に置き換えてみると、深いことになりそうだ。



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私の家は通り道なのだ。いろんなひとが訪れては去って行く。ときどき立ち止まって休憩をするひとたちを私は目に捉えている。私が外出しているときのことは分からない。

私の家が通り道ではなくて、私という存在が通り道なのかもしれない。いろんなひとが訪れては去っていく。

私がお買い物をしているときにも、私という通り道を人々は訪れる。あるときは特売品を取り合ったり、またあるときには上司と部下という関係性にもなるのだ。

私は今日1日、こんなことを考えていた。

そろそろ夜になる。室内の電気を付ける前に窓を閉めなくてはいけない。

半透明人間は光に弱いのだ。



おしまい