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【おはなし】 赤と白

年末になると聞こえてくる「よいお年を」のセリフ。嫌いじゃないんだけど、僕はどこか違和感を感じていた。

「あけましておめでとうございます」を「あけおめ」と言うのとは、また違った感覚。上手く言葉にできないんだけど、今年初めて少しだけしっくりときた。

あれは、職場での最終出勤日。まだ一度も話したことのない職場の大先輩が僕に向けて言ってくれた。

「よいお年をお迎えください」

大先輩と僕は親子くらいに歳が離れているのに、僕に対してとてもていねいな口調で伝えてくれた。

僕はなんだか恥ずかしくなって上手く喋れなくなってしまった。本来なら「よいお年をお迎えください」と伝えるべきなのに、モゴモゴして上手く言葉にならない。それでも僕はなんとか言葉にした。

「よいお年をお迎えください」

恥ずかしかったけど、大先輩の目を見てちゃんと言えたんだ。



会社を出た僕はいつものお好み焼き屋さんに向かった。お店も年末年始のお休みがあるから、今年最後の食べ納め。

いつもは豚玉のモダン焼きにするんだけど、今日は豚玉と焼きそばにしよう。このお店はお好み焼きをテーブル席の鉄板で焼いてくれるスタイル。ママさんが目の前で焼きながらときどき話しかけてくる。

「今日で仕事おしまいですか?」

「ええ、終えてきました」

「お疲れ様でした。兄ちゃんは今年もたくさん来てくれてありがとうね。このご時世やしお客さんは減ってきてるんよ。だからこそって言うのもアレやけど、ホンマに嬉しいんよ」

なんだか今日で地球が滅亡するみたいな雰囲気。

「今日はお客さん、よおけ入ってますやん」と僕が言うと

「仕事納めの会社が多いみたいやわ。今日はいっぱい食べてもらわんとな」とママさんが舌を出して微笑んでいる。

僕たちはお好み焼きが焼きあがるまでに何度か会話をした。

1人でお店に来ている僕は、他のお客さんの話し声を聞くのが好き。いろんなテーブルから聞こえてくるのは、ママさんのありがとうの声ばかり。

食事を終えてレジでお会計を済ませた後、ママさんも言ってくれた。

「よいお年をお迎えください」

僕も同じ言葉をママさんに伝えた。



家に向かって歩きながら考えた。

「毎年こうして同じことを繰り返しているっていうのは、不思議だよな〜」

半強制的に1年が終わりを告げて、また新しい1年が始まる。僕がもう少し今年を楽しみたくても、誰も助けてはくれなくて、強いチカラが働いて来年が始まるんだ。

しめ縄を付けて走っている車、大きな荷物を抱えて歩いているおじさん。年末特有の悲しくもあり嬉しくもある空気感。

今年の楽しかったできごとを僕はパッと思いつくことができないんだけど、それはそれでいいのかも。

近所のスーパーに立ち寄ると、お正月に向けての、これまたなかば強制的な押し売りが行われている。

「おせち料理のご準備は整いましたか? 今日はブリがお買い得ですよ。ビールにおやつ、みかんにトランプゲームのご用意もございますので、お買い逃しのないようにお願いしま〜す」

いつもより割高な野菜たちが気取ったポーズで僕を見つめる。

「高いから買わないよ」と僕が言うと、「ふ〜ん、べつにいいけど」と野菜たちは他のお客さんに向けてポーズを取り直した。

いつもより赤色と白色が多めの店内で目をチカチカさせながら、僕はそれでも必要な食品をカゴの中に入れていく。

「ビールにおやつ、お忘れなきようにお願いしま〜す」

店内放送に釣られて、僕はいつもより高級なビールに手を伸ばした。



おしまい



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