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読書 | 緒真坂(著)「君に届かない」

 5月はじめの頃、ヒカリエの渋谷○○書店に行きました。

 今回の記事はそのときに購入した、「君に届かない」について。

 「君に届かない」の中には、4つの短編小説が収められていますが、今回はその中の最初の二編、「小説屋 平賀円内」と「汁」を読んで考えたことを書きます。残りの「君に届かない」と「グラスハープ」については、またの機会に書くつもりです。


小説屋 平賀円内

 依頼人の経験をもとに10枚程度の小説を書き、その小説を届けた。しかし、依頼人が気にいってくれなかった。

 前書きに小説の成り立ちが書かれていて、そのあとにその小説がつづくという短編。

 緒先生のことはnoteでフォローしているし、他の著作も読んでいるので、前書きに書かれていることが、実話なのか、それともフィクションなのかということを私は知っている。

 しかし、作者である緒先生のことを知らないという前提でこの小説を読む場合、前書きの部分も含めてひとつのフィクションとしても読める。あるいは、前書きは前書きとして、あとにつづく小説と切り離して読むこともできる。どちらの読みを選択するかによって、だいぶ印象が変わる。

 ストーリーに引き付けられて一気に読んだが、読んだあとにこんなこと(↑)を考えました。


 ひとつの文学作品を読むとき、作者の生い立ちや書かれた時代を前もって知ってから読む場合と、まったく知ることなく読み始める場合とでは、受けとめ方が変わる。
 いまだにどちらがいいのかわからないが、作者と切り離して作品それ自体を読むこと。背景を詳しく知った上で「作者=作品」として読むこと。両方の読み方ができればいいな、と思う。

 前にもどこかで書いたが、夏目漱石の「坊っちゃん」。「国語の先生」の視点で読むのと、「数学の先生」の視点で読むのでは、まったく印象が異なる。


汁(じゅう)

花園地図

「汁」という短編を、私は「推理小説」として読みました。だから、内容に関しては触れることはできません。
 その代わりに、1枚の絵にしてみました😆。作者のイメージとはだいぶ違うと思いますが😄。

 とても面白かったです😄。とくに殺人のような大きな事件ではなくても、日常生活の中で感じた疑問が、推理小説のテーマになり得るんだなぁ、と思いました。


 読書感想文って難しいです。この記事は、だいぶ前に書きました。的外れな感想かもしれません。かといって、下書きにずっと寝かしておいてもあまり変わらないと思うので「投稿」(投降?)します😄。

 

 

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