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哲学的問題(生命倫理の話)
つい最近、さぼてん主婦さんの次の記事(↓)を読んだ。
「川を渡る女」という心理テストが面白いと思った。わりと有名な話らしいのだが、私は初めて聞く内容だった。
コメント欄に感想を書いたが、いろんな考え方があって、とても楽しかった。
どれが絶対的に正しいという答えがないという面で、その人の哲学的な考え方が反映されるような気がして、大変興味深かった。ぜひ未読の方は読んでみてください😄。
ところで、この「川を渡る女」を読んでいて、なんとなく思い出した話がある。
永井均「翔太と猫のインサイトの夏休み」(ちくま学芸文庫)に出ていた「生命倫理」のお話。あなたはどのように考えるだろうか?
[ Q ]
重病人が4人いる。その病気の特効薬は1人分しかない。その薬をあなたなら、どのように使いますか?
1人目は、医療ミスによってこの病気にかかった気の毒な中年女性。
2人目は、世界にただ1人と言われる高度な医療技術を持った医師で、今後最も貢献しそうな人物。
3人目は、金持ちで、この薬のために最も高い金が出せる大実業家。
4人目は、何十人もの人命を奪って、しかも反省の情も見せていない極悪人。
設定が非現実的だということは、とりあえず考えない。誰にこの薬を使うかという決定権があなたにあるとき、この4人の中で誰に薬を使いますか?
おそらく、4人目の極悪人に薬を使いたいと思う人は少ないだろう。
3人目の金持ちも、カネで命を買っているようで、何となく嫌だ。
そうすると、1人目か2人目から選ぶことになるが、2番目の医師を救ったほうが、今後救われる命が多いだろう、と考えると、私なら2番目の医師に薬を使うだろうと思う。気の毒な1人目に使いたいという気持ちを持ちつつも。。。
私は、心情的には、1人目を救いたいが、2番目の医師に薬を使う。
しかし、この課題に絶対的な正解があるわけではない。
「どんな人間でも、命の重さは同じ」と考えれば、どの人物も選ぶことはできない。だから、一人の人物をあなたが選択するとき、そこには何か別な原理が働いている。
代表的な原理には、次の2つがある。
1つ目の原理は『功利原理』。功利原理とは、誰であっても、一人でも生き残るほうが、全員死んでしまうよりはましだという考え方のことをいう。
2つ目の原理は『正義原理』。どういう結果になるかということより、公正さや平等を重視する考え方のことをいう。
一般的に『功利原理』の特徴は、これからどのようなメリットがあるかと考える点において、「未来志向的」だと言われる。それに対し、『正義原理』は不当な害悪があって、それを除去しようと考える点において、「過去志向的」だと言われる。
話を簡略化するために、薬投与の決定権をもっている人を「私」(あるいは、あなた)としたが、誰が決定するのかというのも大きな問題だ。
4人の当事者の話し合いに任せるか、それとも第三者に任せるのか。
哲学的な課題には、万人が納得するような結論というものがないかもしれない。人によっていろいろな意見があることだろう。
では、このような問題を考えることは無駄なことであろうか?
無駄と言えば無駄かなぁと思う😄が、大切な人とは、こういうことを話し合ってみたいなと思う。
「幸せって何だ?」とか「私の存在価値って何だ?」とか、普段あまり他人と語り合うことは少ないけれど、ふとした瞬間に自問自答していることが多い。
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします