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エッセイ | オタクと専門家の違い

(1)「オタク」という言葉

 現在使われている意味での「オタク」という言葉は、私が生まれた頃にはなかった。

 私の記憶では、「元気が出るテレビ」に宅八郎氏が登場してから、「オタク」という言葉が急速に広まった。

 もともと「オタク」とは、「お宅のご主人は?」「お宅の奥様は?」というときに使われる、「二人称」的な意味を帯びる「お宅」に由来する言葉である。
 そして、この「オタク」という言葉が広まった当初は、もっぱら「特定のアニメに、お金や時間をかける人」という意味で用いられていた。それがいつしか、アニメという特定の分野に限らず、ある分野に詳しい人のことを「○○オタク」(鉄道オタクなど)と呼ぶようになった。

(2) オタクと専門家の違いは?

 1980年代に「オタク」という言葉ができた頃には、オタクがネットを使って発信することはなかった。だから、どんなにある分野に詳しくお金をかけていても、幅広く世に知られることはマレだった。
 今では、アニメに限らず、かなりマニアックな分野でも、SNSを通じて仲間を探すことができる。また、場合によっては、商売が成り立つこともあるだろう。そうすると、「オタク」と「専門家」の違いってなんなのだろうと思ってしまう。
 
 専門家と言えば、「大学などに所属し、一定の収入を得ている人」のことである。オタクとはそれとは逆に、「どこにも所属せず、収入の大半を趣味に使う人」のことであった。

 特定の団体に所属せず、専門分野から所得を得ず研究をつづける「専門家」もいるだろう。
 団体を作って、専門分野から所得を得る「オタク」もいるだろう。

 専門家とオタクの垣根が、事実上なくなっているようにも感じるが、「オタク」と呼ばれるより、「専門家」と呼ばれるほうがうれしい。なんでだろう?


(3) 「有益か?無益か?」という基準をもってしても。。。

 「オタク」と「専門家」とを、「有益性」で分類することは可能だろうか?

 「有益性」というものを仮に、「ビジネスとして有望か否かという基準」と定義してみよう。そうすると、「アイドルのオタク」と「素粒子の専門家」とでは、どちらがビジネスとして成り立ちそうだろうか?
 少なくても短期的には、「アイドルのオタク」のほうが「有益性がある」ように思える。
 素粒子研究が何らかのビッグビジネスに結びつかないのであれば、「素粒子の専門家」には「有益性がない」ように思える。


むすび

 私自身は、ニュートリノなどの素粒子研究が仮に商品化されなかったとしても、有益性はあると思っている。しかし、「なぜ有益なのか?」と問うてみると「これ!」っていう回答が思い付かない。

 「お金になる・ならない」基準、「所属・非所属」基準、「収入の何%を使う」基準。
 いろいろ考えてみたけれど、オタクと専門家の違いがますますわからなくなった(なんとなくは分かっていても、うまく言語化できない)。


 「論文を書く」というのはどうだろう?、と考えてみたが、論文を書かない専門家もいる。論文を書く「オタク」もいるかもしれない。


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