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古代史 |「五つ子古墳群」の謎 | 史跡の残る町を探訪してみた(知の欺瞞)。

五つ子古墳群

 わたしは今月になってはじめて「五つ子古墳群」を探訪した。
 文字通り、五つの古墳があることから「五つ子古墳群」と名付けられた。いまだに謎の多い古墳群である。

蛇川左岸より撮影
向かって右が「真ん丸山古墳」

 この古墳群は、蛇川(へびかわ)と龍川(たつかわ)の合流する地点に立地している。
 両川を挟んで北側に、「前方後円墳」が3基と「円墳」が1基。この古墳群の主たる前方後円墳である「二子山古墳」は真北を向いており、残りの2基は、ちょうど北東を指している。その間に、「真ん丸山古墳」という円墳が位置していることも、他には例のないことである。なお、蛇川の南側には1基の「前方後方墳」である「風神雷神古墳」が位置している。

 この古墳群を有名にしているのは、南側に位置する、⑥の我が国最大級の「前方後方墳」(ぜんぽうこうほうふん)である(**「前方後円墳」ではないので、注意されたし)「風神雷神古墳」。全長280mほどある。高貴な人物が埋葬されたと推定されている。

 また、北側に位置する4基の古墳には謎が多い。
 まず3基の前方後円墳の向きがおかしい。①の「二子山古墳」(この古墳群最大の前方後円墳)が計ったように真北を向いている。

五つ子古墳群

 大きさから言って、①の二子山古墳が、この町をかつて支配した豪族が埋葬されていることは間違いないと思われる。おそらく中央政権の信頼がもっともあつかった人物が埋葬されているのだろう。
 では、②の真ん丸山古墳に埋葬された人物はいったいどのような役割を担ったのだろうか? 
 ②の「真ん丸山古墳」は、①の「二子山古墳」の「後円部」の大きさとほぼ同じ大きさを誇る。中央政権とのかかわりを示す「前方後円墳」にならなかったということは、この地域を支配することを公式には認められなかったことを示すのだろう、と考える研究者もいる。

五つ子古墳群北西には
「子宝山脈」が聳える

 ③および④の前方後円墳も、謎が多い。③の「帆立貝式前方後円墳」は「前方後円墳」にしては小さすぎる。全長10mにも満たない。④の「前方後円墳」もまた同じである。石室があったという形跡もない。よって、③および④の前方後円墳は、埋葬施設ではなく、単なる①の「二子山古墳」の「陪塚」(ばいちょう、ばいつか **「陪塚」とは主たる古墳の単なる飾りとしての役割を担う古墳をいう)ではないか、という研究者もいる。
 あるいは、後世の盗掘にあい、この土地では産出されない貴重な「石材」の宝庫として、運ばれてしまったのではないかと考える研究者もいる。

五つ子古墳群南東には
天神ランマン山脈が走る🏃

 このように、「五つ子古墳群」には、数多くの謎が残されている。
 今後の研究が待たれるところであるが、この辺り一帯は、「古事記」の記述と酷似する地形をもつことから、「五つ子古墳群」は「宮内庁管轄」となっている。考古学者といえども、自由に立ち入ることは許されていない。残念なことである。
 おそらくまだ、手付かずに残されている埴輪や勾玉などの埋葬品、ひょっとしたら、埼玉古墳群稲荷山古墳で発掘されたような、文字が刻まれた「鉄剣」が残されている可能性も否定できない。
 また、この近辺には一切「窯跡」がなく、埴輪の類いがどこで生産されたのか、まったくわかっていない。


おしまい

💗すべてフィクションです💗

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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします