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短編小説 | 巡礼

 開成五年7月2日。私は、唐の山奥にいた。この地は、春夏秋冬、いつ如何なるときにやって来ても、天候に恵まれないところである。雷が鳴りやまず、氷雨が突然降ってくることも珍しいことではない。
 しかし、そういった自然の厳しいところにいると、不思議と「人間は平等なのだ」という気持ちになるものらしい。自然の前では、富める者も貧しき者も、大して変わらないのではないか、という気持ちになるのだろう。

 この寺での生活は、決して楽なものではない。食料は限られている。贅沢をしなければ、なんとか食い繋ぐことができる程度である。
 しかし、この辺りには、何日もの間、飲まず食わずの生活をしている貧しい者が多い。
 僧とて人間である。自分の食うものを我慢してまで、貧しい者を助ける必要があるだろうか、と心の中で思った僧もいたが、乞食たちを寺に集めて、食事を施すことになった。

 僧も含めて、寺には数千人の人々が集まった。わずかではあるが、みな平等に食事を分け与えていった。
 およそ半数の者に食事を配り終わった頃、ひとりの身籠った女性が食事を受け取る順番になった。他の人々と同じ量の食料を手渡したとき、その妊婦は言った。

「私のお腹の中には、子供がいます。私と子供の分の食料をお与えください」

配給係の僧は言った。

「お腹の中の子供は、まだ生まれていませんよね。人の数に含めることはできません。あなたの分は差上げますが、お腹の子の分を差し上げるわけにはいきません。第一、お腹の子は、どうやってこの飯を食べるのですか?」

女はこたえた。
「愚か者!お腹の中の子供が食べることができないのなら、私はたとえ死んでも、なにも食べない!!」

 そう言い残して、女は寺を出ていこうとした。何日も食べていないのだろう。女の足取りは重い。今にも倒れてしまいそうだ。

 みな、暫くの間、呆気にとられていたが、僧だけでなく食事を受け取った乞食たちも、女のことを不憫に思って、その後ろ姿を追いかけた。

 女が食堂の門の外へ出るやいなや、女の影が太陽のように、食堂の中を照らした。眩し過ぎて目を開けていられないほどだった。その場にいた人々は確信した。

「文殊菩薩さまだ!!」

 そして、数千人の者が一斉に「文殊菩薩さま!」と叫んだ。その叫び声とともに、文殊菩薩の影は薄くなり、中空へのぼって行きながら、とうとう姿を消してしまった。そのとき、未だかつて経験したことがないほどの氷雨が、雷の怒号とともに、寺に降り注いだ。

 それからというもの、その寺に妊婦がやってきたときには、みな躊躇うことなく、二人分の食事を施すことになったという。



[終]

円仁(深谷憲一[訳])「入唐求法巡礼行記」(中公文庫)をもとにした創作です。

円仁(慈覚大師)[794-864]が著した「入唐求法巡礼行記」は、マルコ・ポーロ「東方見聞録」、玄奘(三蔵法師)の「大唐西域記」とともに、アジアの三大旅行記と言われることがあります。
ライシャワー博士による研究が有名です。

記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします